またノープランで句点(。)一個で何か掘り起こそうと冒険的に、
書き始めるわけなんですけども、いつもお読み頂いているあなたにはなんか申し訳ないな、なんて感じつつ、この書き方が今できる精一杯の行動のような気がしてて、も少しお付き合い頂けたらありがたいんですけども、と言いますか、普通の書き方をしようとすると、頭の中がうじゃうじゃしてくる感じがして、まあ端的に言うと書けないわけなんですけども、それは思い込みの可能性も大きいのですが、これって鬱の構造と似ている気がしてて、実は鬱とか言いつつも思い込みによる部分が大きいように思える時があったりしているんですが、でもその思い込みを拭い去るのってとても難しくてですね、相当なメタな視点が必要になってくると思うのですが、それができたら鬱になりにくいわけでして、鬱と思い込みの区別というのはできるものなのかしらん、なんて考えたりするのですが、それにあたって、非鬱人の言う、鬱は暇だから起きる、鬱は考えすぎなだけ、鬱は甘えだサボりだ怠けだ思い込みだ、とかいう言い草に含まれる「思い込み」とは明確に違いがあると断言したいわけでありまして、とうのは感情的な問題が大きく作用しているのでしょうか、だって命がかかってるのですよ?それを感じたことのない人の言い分はどうしても空論にしか思えなくって、どうしても、大きなシステム、例えば会社とかに組み込むための強引な論理としか思えない節もありつつ、心無い言い方をする人が一定数いるのも存じ上げますが、いや、いいや、今日は荒れてるようで、この話題はこのへんで切り上げたくなってきたので、そうしますが、すいません、
鬱と思い込みの差っていうのは微妙なところでして、思い込みから抜け出せない状態も含め、鬱とするならばそれはもう鬱という言葉を膨らましすぎな気もしますが、実感としてそういう側面は確実にあるわけでして、まだまだ考えなくていけなさそうな事柄を含んでいるなあ、なんて妥協しつつ、やはり継続して考えるにおいてここでは棚上げにしたいのですが、
さて、昨日はあの古本喫茶に行って歴史サロンに参加してきたわけですが、とても楽しかったわけでありまして、ここである程度まとめた内容も話せたし、少しは盛り上げというか、おもしろげな話題を挟み込めたのではないかと思うのですが、どうでしょうか、風杜さん、そうであったら嬉しいのですが、本当は、こんな変な文章ではなくきっちり記事に写真も多く交えつつ書きたいところではあるのですが、やはりまだ鬱っぽさは抜けていなくてですね、きっちりしようとすると、すぐに寝転びたくなる衝動がでてきて大変なので、この形でご容赦願いたいわけであり、そうだ、前回に撮りそびれた一番大きな本棚の引きの写真をここでお示しさせていただいて、
やっぱりいいなあ、なんて感じつつも、この感じをあなたと共感できたらすごく嬉しいのですが、聞くところによると、店主はこの本棚の整理を目論んでいるらしく、どういうふうにするかも考え中のようで、アイデアを聞かれたのですが、僕がウキウキする本棚というのは、雑多にひしめき合ってる感じが好きで、ジャンルも著者も出版年月もごちゃまぜになって、ずらあって壁一面に埋め尽くされているに心が弾むのですが、あなたはどんな本棚がすきでしょうか?、なんてアイデアを募りたいんですが、きっとここの店主もこの記事を読んで頂けるので、コメント頂けると大変参考になるのは間違いなく、ぜひお願いしてみたい所存なのですが、何せここ以外に2階にはさらに5000冊もの書籍を蔵しているようなので、どうかその計り知れないポテンシャル(いや、今が活かされてないというわけではないですよ)を存分に発揮して頂けるのならこの上なく嬉しいので、希望する次第なのであって、また、そこでもお伝えさせて頂いたのですが、もし力仕事など必要なのでしたら、無給で手伝わせて頂きたく思っていて、本に触れていたいのですよ、ってな具合でいつでもお声掛け頂けると喜んで馳せ参じますので、よろしくお願いいたします。