『ホーリーランド』【#マンガ感想文】居場所を見つけた、いじめられっこの話(毎日更新50日目)
森恒二先生のホーリーランド18巻を読破しました。
せっかく読んだ感動を言葉にしたい。
この物語はいじめられっこで引きこもっていた、学校にも家にもどこにも居場所のない少年が街へ出て、己の拳で強敵たちと語り合い、自分を確かに感じられる聖地=ホーリーランドを見つける話。
でも、そんなサクセスストーリーみたいな単純な話ではないのです。
感想としては、すごいおもしろかった。
とにかくおもしろい。
ストリートファイトしていくドキドキとかスリルも楽しい
でも深い内容すぎて言葉にできない。くやしい。
森恒二先生はどの作品もそうなんだけど、人間の深いところに問いかけるような内容なんです。
心にスポットをあてているからかもしれないなあ
はじめの一歩とかみたいに、いじめられっこが努力して強くなって成長していくみたいな、そんなマンガではあるんだけど、それのダークサイドに目を向けた作品というか、なんていったらいいんだろう
エヴァンゲリオンで言えば碇シンジみたいな子が葛藤しまくりながら、自分の答えや存在価値を見つけていくみたいな、、、うまく言えない
ただ主人公の神代ユウがずっといじめられていた経験から
自分の中に抑えきれない衝動、憎悪、周りに対する敵意、怒り
そういったものがモンスターとなって彼を振り回す
あの感覚がよくわかるなあ と思った。
ぼくは自分のことを振り返ってみると、そこまでひどくいじめられたことはなかったけど、周りに理解されないこと、理解してもらうために自己表現をすることができなくて、どうしようもない怒りをぶちまけてたなあ と
家の壁をぶっ壊したり、学校のガラスを蹴り壊したり、人を傷つけたり
主人公はその怒りや暴力を、自分という存在をストリートファイトで表現するのだけれど、ぼくも彼みたいに徹底的に鍛えてとことんやったら、違った人生になっていたのかなあ なんて思ったり
でも、すごくよく分かる気がするんです
どこにも居場所がなくて街をさまよう あの切なさも
自分はどこに行けばいいんだろう?
そんなものこの世の中にあるんだろうか?
っていう 寂しさ
この作品には思春期には感じたことのある苦い感覚を思い起こさせてくれる感じがあると思います。
暴力はしないにしても、同じような怒り、やるせなさ、ちっぽけな自分
それでね、救いがあるのが
そんな風に感じているのは、自分だけじゃないってこと
街をさまよって、刺激を求めて、楽しいことを探して
そんなことをしながら、自分の中のさみしさから
目を背けようとしているんじゃないかってこと
そして、もう一歩、あと少し踏み出せば
みんな同じ痛みをもった人間なんだってわかり合えるんじゃないかってこと
いじめられっこもヤンキーも根っこは同じ
ただの弱い人間なんだ
でもそれでいいんだ、
そんなことを感じました。
ホーリーランドは森恒二先生が8年かけて描いた作品です。
そんな8年もの思いを
ぼくは数日で読み終え、
ほんとうに伝えたい真意をくみとるなんて恐れ多いと思いました。
何回も読み直すことでもっとわかってくるんじゃないかな
どのマンガでもそうです。
作家さんが必死に命を削りながら、描いた作品を読ませてもらってるんだと思ったら、なんかすごく厳かな気持ちになりました。
またふと読み返してみた時に、もっとこの作品の良さが伝えられるようになっていたら嬉しいと思う。
今日はマンガ『ホーリーランド』の感想文でした。
それでは今日はこのへんで
また、明日。