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【震災と戦災の記憶】横網町公園を知っていますか?
東京の横網町(よこあみちょう)公園へ行ってきました。ここは、関東大震災と東京大空襲による震災・戦災の記憶を後世につなげるために造られた公園であり、 犠牲者を慰霊供養するための施設でもあります。都内でも、静けさ漂う場所です。
関東大震災から100年が経ちました。この震災の特徴は、地震発生後の火災による被害。マグニチュードは東日本大震災の方が大きかったのですが、被害者数は関東大震災の方が多くなりました。都市部で木造住宅が密集していたことや強風の影響で火災が広がってしまったことが大きな要因です。多くの人々がこの公園に避難してきましたが、迫り来る火災から逃げきれず、避難者の95%以上の方が犠牲にあわれたとのことでした。
その後、太平洋戦争へと突き進んでいた日本は、アメリカから東京大空襲を受けます。関東大震災から復興を遂げていた矢先に、東京大空襲で東京が再び火の海になってしまった。普通に考えたら立ち直れない状況です。
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関東大震災では、「朝鮮人が略奪や放火をした」といった流言飛語が広まり、朝鮮人らが殺害される事件が多発したそう。恐怖は正常な判断を阻害する。有事こそ一歩立ち止まって冷静な判断ができる自分でいたいと思いました。
決して目を背けてはいけない負の歴史です。差別や迫害のない未来を迎えたい。
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公園内には、数々の施設やモニュメントがあります。
併設されている東京都復興記念館にあった、ある一枚の写真に衝撃を受けました。その写真は、火災で焼け爛れた親子の遺体の写真です。性別の特定ができないほど、真っ黒でボロボロの皮膚。遠くから見れば「黒い物体」にしか見えませんが、それは、間違いなく死体でした。おそらく私が初めて写真で見た死体です。
「知識で救える命があったかもしれない」
そう感じている自分がいました。
この写真の遺体と声もなく対話している自分がいました。
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日本各地には、多くの遺構があります。原爆ドームで有名な広島県平和記念公園や東北地方の震災遺構、鹿児島県の知覧特攻平和会館などは注目度の高いスポットになっています。それに対し、この横網町公園は知らない人も多いのではないでしょうか。特に都内に住んでいない方。お恥ずかしい話、私は今まで知らなかったです。いけば必ず何かを感じられる。ぜひ、一度足を運んでいただきたいスポットです。このような場所をもっと多くの方々に知ってほしい。
私は、歴史を学ぶことを通して、「忘れ去られる人やもの」を守りたいと思っています。あったことを無かったことにしたくありません。時が流れるにつれ、社会は変化していきます。そこにいた人々や立っていた建物、流れていた空気や美しい風景。社会について学ぶことは、そのような「あったこと」を人々が忘れ去ってしまうことを防いでくれます。社会的な記憶を守ってくれます。
先人が伝えたかったことを守り、未来に繋げていく。社会的な記憶の風化を防ぐ。それが犠牲にあわれた多くの方々に対して、現代を生きる私たちができる唯一のことだと思います。望まぬ形で夢や希望、生きることを断たれた犠牲者の分まで、私は今を、これからを力強く生きていきたいです。