身体と脳に効く話 対話を習慣化する (財団法人郵政福祉「りんりん」第190号(2010年9月1日発行)に掲載されました。)
たわいもないおしゃべり、とても大切だと思います。でももし、たわいもないおしゃべりをする雰囲気で、親と子の対話ができたなら。家族のコミュニケーションは、一歩深まる思います。
成長痛?足首を痛めた少女
「中学1年生の娘が足首の痛みを訴えている」との依頼を受けたときのことです。テニス部に所属していた彼女(Tさん)に、特に思い当たる原因はありません。そのせいか、逆に痛みへの不安を強く持っており、「このままではいずれテニスができなくなるかも」と心配していました。
そこでテニスの練習方法を変えると同時に、どうマインドセット(考え方の方向性)を変えていかに取り組むことにしました。新しい方法を始めるには、心の準備も必要ですし、本人が納得いくメニューにしなければなりません。それがうまくできていないとモチベーションが下がってしまうのです。
さて、セッションを終えると、お母さんは困惑した表情で言いました。「子供のうちにはよくあることですよね?」
心配して病院に行ったものの、医師の診断は成長痛で、「この時期にはよくあることです」と言われたそうです。しかし診断とは裏腹に一向に快くならない娘さんの容体に、正直頭を抱えていたようです。
恐怖心と向き合うために
当初、Tさんはほとんどしゃべりませんでした。それでも何度か会っているうちに、学校や友達の話、好きな漫画の話をするようになりました。笑うことが多くなり、ときには足首をかばいながらおどけて見せることさえありました。
セッションでは、はじめにこの1週間にあった出来事や練習方法を振り返り、問題点に築けるようなエクササイズをします。それから「どうしたら怪我への耐性をつけられるか」について対話するという流れでした。問題から目をそむけるのではなく、向き合うことで恐怖心を和らげる方法です。彼女の率直な意見を求め、できるだけ具体的な言葉で表現するよう促しました。
順調に進み「このまま不安がなくなるといいなぁ」と思っていた矢先、Tさんのもらした言葉に考え込まされました。両親から「インターネットで見たけど、怪我でも病気でもないのに痛がる中学生が増えているんだってね」と言われたそうです。両親は励ましの意味で言ったつもりだったんでしょう。
悪いことに、秋に開かれるテニスの大会が間近に迫っていました。練習不足と言うプレッシャーに加え、家族に理解されていないことでモチベーションが下がり、この1週間、家族の誰とも口をきかなくなったそうなのです。
家族に必要な対話とは
子供が痛みを訴えているのに、親には伝わらない。もちろん、「足首が痛い」という客観的事実は家族間で共有されています。しかし、問題は足首の痛みに対する「意味付け」が異なっていたことです。暴論かもしれませんが、今の日本の家族関係の一端、そして拠りどころのない時代の雰囲気を垣間見た気がしました。
情報が氾濫する前思うように情報を得られなかった時代には、例えば「おばあちゃんの知恵袋」を家族全員で共有していたと思います。今ではインターネットで検索すれば、先端医療から最新トレーニング法まで、何でも知ることができます。一方で、家族間の対話が十分に行われないケースが増えています。家族と言葉を交わさずに生活できてしまうのが、現代なのです。
私は思わずのけぞってしまうほど衝撃を受けました。沈黙の後、お母さんと話すため、Tさんの部屋を出ました。
「私はお母さんとの間で十分な話し合いができていませんでした。今、お子さんとって本当に必要な事は、自分の思いを素直に語れる場なのです」と、ありのままにお話しました。Tさんに限らず、痛みを抱える子供たちにとって、家族が心の拠りどころになるには現代の家族における対話、それが何かを懸命に考えなければなりません。
私は、Tさんが本当に思っていることを引き出すは、家族との開かれた対話が必要だと話しました。一方的に話すのでなく、聞き役を積極的に引き受けて欲しいとお願いしました。たわいもないおしゃべりはよくされていたそうですが、真剣な話し合いには慣れていませんでした。穏やかなふいんきを保ちながら、まじめなテーマを話し合う事は、案外難しいのです。
心が開き、つながる瞬間
昨今、「別に」「ビミョー」など、言葉がどんどん軽視されていく風潮があります。それは子供たちの言語力が低下しているだけでなく、大人側の言葉を受容する能力も低下しているからではないでしょうか。真の対話が、目の前にいる人と真剣に向き合うことからしか生まれない事は、いつの時代も同じはずです。
Tさんのセッションを通して、感じていることや考えていることを表現する喜びを実感しました。その気持ちを1人で抱えるのではなく家族に話すことで、ようやく足首も解放に向かったのです。
今、家族に求められている事は、相手の気持ちに思いを巡らせた上で、言葉によってつながるという「対話の習慣」です。対話なきコミュニケーションからは、お互いの理解を深めることなど一切できないのです。
財団法人郵政福祉「りんりん」第190号(2010年9月1日発行)に掲載されました。