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唐突に引っ越しが決まり、いまの家と大好きな街を離れることへの寂しさが爆発している

引っ越しが決まった。

いまの家に住みはじめたのは、ちょうど4年ほど前、当時の彼女であり、いまの妻であるパートナーと一緒に、ベトナム・ダナンから日本に本帰国した時だった。

2人とも日本で物件を探して住むのは初めてで、「そんなに簡単に引っ越し先が見つかるのか?」という不安と裏腹に、内見した瞬間に「ここだ」と決まった家。

決して広くはないけれど、大家さんの気遣いが随所に見られる設備と共用空間と、白を基調にしたインテリアと、西日が差し込む窓が素敵な家だった。

学芸大学という街も、当時は駅名くらいしか知らなかったのだけれど、このうえなく住みやすく、住人の街への愛着が強く、とてもよい街だと思う。
美味しい間借りカレーが食べられるお店・気さくなお姉さんが切り盛りするビアバー・朝から並ぶうどん屋・ポニーに会える公園などはもちろん、引っ越すことが決まった途端に、駅までの道や家の周りの道1本1本すらも恋しくなる。

そんな大好きな家と街を離れることが急遽決まり、自分でも驚くほどセンチメンタルな気持ちになっているので、家や街との思い出と、なぜ寂しい気持ちになっているかについて、勢いでポエムを書いてみる。

40㎡・1LDKで夫婦でテレワークは難しい

誰しもがそうであるように、1年ちょっと前から家に籠る時間が増え、テレワーク中心のライフスタイルになったことで引っ越しをした人、引っ越しを検討している人が多いのではと思う。

どうやら、僕も「そのうちの1人」になるらしい。

去年の3月からリモートワーク中心の生活になり、最初は食卓テーブルにポータブルモニターを置いて仕事をしていた。
食卓イスで仕事することが限界となり、ワークデスクとワークチェアを揃え、サブディスプレイを設え、夫婦横並びで仕事をする環境を整えた。

やっとの思いで整えた仕事環境

環境が整った。とはいえ、夫婦2人とも会議をしている時間が圧倒的に長く、イヤホンをして喋っていることが多いため、横並びで仕事をし続けることは難しい。

40㎡・1LDKで夫婦でテレワークは難しい。
工夫の末に辿り着いたのは、「引っ越すしかないのでは?」という結論。

ライフステージの変化

いまの家に住むときは、「オフィスに通うのが辛くない距離で、住みたいと思える家。予算はそんなにないので家賃は控え目」くらいしか条件がなかった。

日本に帰ってきて何年かが経って、ライフステージが変わって、昨年パートナーと結婚した。

お付き合いをはじめた当初から一緒に住んでいたので、結婚したとて何か生活が変わったということはないけれど、結婚をして、2人の未来について考える機会は増えた。
いまでは、妻と「子どもはどうしようか?」という話をすることもある。

仮にいまの家で新生児を育てる…となると、仕事場兼寝室とリビングが引き戸で繋がっており、音はほとんど遮られない 40㎡・1LDKのは難しい。
子どもが幼少期を過ごす場所としてどこがいいか・自分たちがどんな場所で子育てをしたいかを考えたりもする。

年を重ねるに連れて人生の優先度が変わるなかで、すごく悩んで(とは言え一晩で決めたのだが)辿り着いた結論は、「いずれ引っ越すしかないよね」ということ。

結婚式での1枚

自然に近い土地への回帰

僕らが以前住んでいたダナンは、ベトナムでも随一のビーチリゾート。
住んでいた家から徒歩3分にビーチがあって、30分もバイクを飛ばせば、猿が道を闊歩しているような山にも行けた。

夕方早めに仕事を切り上げて、夕食を作る前にビーチを散歩できる環境は、住んでいてとても気持ちがいいものだった。

ステイホームをきっかけに「海に行きやすいところに家を建てようか」という話をしていたのだが、土地を買って家を建てる隣るとお金も時間も掛かる。

「えいや」で進められることでもないので、まずは住みたいと思った土地に賃貸で住んでみて、いい土地や物件に巡り会えれば…と思いゆるく賃貸物件を探していたところ、山の端に建っている、徒歩で海に行ける距離の物件に巡りあった。

「またいつか海の近くに住みたいね」と半ば冗談のノリで話していたのがこんなに早く実現するとは。

ベトナムの家から3分のビーチ

一度は諦めて、再度巡ってきたチャンス

目ぼしい物件が見つかり、内見に行こうと思っていたものの都合がつかず諦めていたのが先週末の話。

「タイミングが合わなかったね」と結果を受け入れ諦めていたところ、木曜に不動産屋の担当者さんから1本のメール。

「先に申し込みをしていた人が審査に落ちました」と。

そんなこともあるんだなと思いつつ、直近で予定が空いていた土曜に内見をして、土曜深夜の仮押さえ期限ギリギリまで悩んで申し込みをし、今日ランチに向かう道すがら審査が通り、妻とビールを飲みに行く待ち合わせの間にスタバでこの記事を書いていた。

引っ越しが決まり、募る寂しさ

起きている間は新居の周辺情報を調べたり、間取りを考えたりと忙しくしていたが、寝ようと思いベッドに入ったら、ふと猛烈な寂しさに襲われる。

インターネットで調べてみると、どうやら人はこの気持ちを「引っ越しブルー」と呼ぶらしい。
なるほど、いまの僕の心情を描写するのにぴったりな言葉。

引っ越しブルーの要因は、大きく分けるとこんな感じらしい。

①住み慣れた家や街を離れることへの不安
②見知らぬ土地での見知らぬ暮らしへの不安
③友人知人との別れ
④思い出が詰まった家と離れることの寂しさ
なるほど…なるほど。僕にとっては④がとても大きいようだ。

都内には気軽に出られるし、家の周りに友人も多くないし、会おうと思えばいつでも会える距離に住むので、①〜③はさほど大きなことではない。

パートナーと一緒に家を選んで、何もないところから快適な空間を作り上げ、仕事が忙し過ぎてご飯の味がしなくなった日も、オーストラリアでプロポーズして帰ってきた日も、結婚式の準備に追われた日も、長期出張から帰ってきて安堵した日も、もちろんなんてことのない日常も。
まる4年ぶんの思い出が詰まっているこの愛しい40㎡の空間から離れて、もう2度と戻ってくることはない。

次にこの街を訪れるときは「この街に帰ってくる人」ではなく、「他所の街の人」になり、同じ風景も「日々当たり前のように見る景色」ではなくなり「かつて住んでいた街としてエモい気持ちで見る景色」になる。

そう思うと、寂しくて目頭が熱くなる。

いまの家を内見した日に撮った写真

寂しさ受け入れて、前に進む

どれくらい寂しいかというと、学校を卒業するときよりも、転職するときよりも寂しい。という塩梅。

僕は所属したコミュニティが解散したり、そこから出なければならなかった時は、愛着を持っていたものと別れる時は過剰にセンチメンタルになるらしい。

自分でも「大袈裟すぎない?」「ドラマチックに考えすぎじゃない?笑」と思うけれど、放っておくと脳みそがそう考えてしまうのだから仕方がない。

新たな土地・新たな出会い・新たな生活と、人生の次のステップを楽しみにしつつ、いまいる土地での残りの生活を名残惜しみながら過ごす。

日常の風景過ぎて街の写真が全然ない

おわりに

そんなこんなで1日で引っ越しを決めたので、まだ退去申請すらできていません。
これから「引っ越し チェックリスト」でググって、来週再来週と比較的予定の詰まった土日を駆け抜けながら引っ越し準備をはじめることになるんだと思います。

この文章を書いている間も寂しさが募っていたけれど、書くという行為に救われている気がする。

引っ越し先についてや、引っ越し先での暮らしについてはまた別の記事で。

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