【1-6】私が『ハンコ文化VSサイン文化』が「引き分け」だと思う理由…
サイン文化への理解をチェックしてみましょう
日本におけるハンコの変遷は理解しましたが、諸外国のサイン文化との比較を最後にしておきたいと思います。
これまで、
・日本のハンコ文化は世界的にめずらしいというお話
・日本も昔はサイン>ハンコだったお話
・ハンコの役割のお話
・ハンコかサインかの大激論が巻き起こったお話
というお話をさせていただきました。
この中で日本においても、サインは身近にあった文化だという事だったという事がご理解いただけたかと思います。
一方ここでは、日本のサイン文化ではなく、今使用されている「諸外国のサイン文化」について、理解度をチェックしてみましょう。
では、問題です。
「①本人認証」が必要な重要な取引(ハンコでしたら印鑑証明書が必要な取引)の際、サイン文化ではどうやって本人認証しているのでしょうか?
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答えは、
公証人制度(Notary Public)です。
大人としてしっかり正解できましたでしょうか?
※私がこの仕事をするまであまり知らなかった事には触れません(笑)
簡単に言うと、不動産取引や遺言等、重要な約束をする場合に、本人以外に”公証人“という第三者が介在し、署名者が本人であることに間違いないことを確認します。
これにより、契約した一方側が「自分は知らない」と言って後で揉める事になるのを防ぎます。
この公証人制度の場合、多くの場合公証人のいる場所まで出向いていき、費用を支払って公証してもらう事になります。
(ハンコ屋という立場を置いておいて)私は単純に結構手間だなぁと思ってしまいます。
要するにハンコが「役所」という第三者に届けることで、本人である事を証明してもらっているのに対し、サインは「公証人」という第三者に入ってもらう事で、本人である事を証明してもらうのです。
※日本にも公証人役場というものがあり、離婚や遺言を法的に有効な形(公正証書)で残したい時に利用される方が多いです。もちろん費用も証書作成からお願いした場合、5万円~15万円程度(契約金額により変動)かかるのが一般的です。
ハンコ文化VSサイン文化を評価
ここで話を元に戻します。
まず、②意思表示:その内容を認めたかどうかの意思を形にする役割
のケースで使用する場合には、サインはとても便利に感じられます。実際に様々な書類などにおいて、意思を確認したい場合などには、サインの方が便利な時って多いですよね。よって、ここはサイン文化に勝ち星が付くかと思います。
一方で
①本人認証:本当に本人かどうかを確かめる役割
として使用する場合には、サイン文化はハンコと比べても非常に面倒な手続きが必要です。
また、
・ハンコのように代理人が押す事も出来ない点や、
・「アルファベット」と比べ複雑な「漢字」という文字の性質上、毎回同じように書くのが困難である点
などもあります。
こうした点を鑑みますと、私は日本社会に限定した場合、若干ですがハンコ文化の方が優勢ではないかと思います。
よって、日本のハンコ文化 VS 諸外国のサイン文化 は1対1で引き分けと私は思っています。
皆さんはどう思われますか?
ハンコは高度経済成長期に役立った!?
また、私は
・組織を大事にする日本社会は代理可能な「ハンコ」を選択
・個人主義の欧米諸国は「サイン」を使用
という側面からみるのも面白いと思います。
どちらが優れているという事ではなく、どちらがその社会にマッチしていて合理的であるかという観点で考えるという事です。こうして考えると腑に落ちる部分もあり、大変興味深いのです。
例えば、日本は明治維新後の文明開化ならびに戦後復興期において、ものすごい勢いで経済成長を遂げてきた国です。その推進力の背景には、協調力に長けた民族性というものが影響していると私は考えます。この国は目的が定まった時に一致団結して事を成す力が他国と比べ、とても優れているように思います。
スポーツの世界などでも、こうした民族性を垣間見る事がありますよね。
記憶に新しい『2016年リオデジャネイロオリンピックの男子4×100mリレー』の銀メダルは日本の組織力を説明する上での好例ではないかと思います。
こうした日本社会では、代理性(委任)という側面をもったハンコ文化というものが上手くハマり、スピード感のある成長を遂げる一翼を担ったと言えるかもしれません。
代理押印は、ある企業の代表者が一定の権限を委任し、代理で押印して貰えることで、代表者は事業に専念できるという利点があります。これが署名(自筆)だとなかなかこうはいかないのではないでしょうか。ましてや画数の多い、漢字だと尚更です。
もちろん代理押印は悪用の危険性があります。したがって、この制度は一定の他者への信用を前提としている事がわかります。だからこそ日本社会では普及しましたが、他国ではそうはいかなかったのかもしれません。和を重んじる民族性がこうした側面でも有効にはたらいていたんですね。
このように考えると、結果からみても、この時代の日本社会においては、ハンコ文化というのが国家運営の戦略上、最適解だったと言えるのではないでしょうか。
変革期に大切なこと
今回はハンコという1つの道具をテーマに、その歴史の変遷をみてきました。このように歴史的、文化的な側面から、なぜその社会でこの道具が使用されてきたのかという事を考察することは、未来を創造する上でとても大切な事です。
殊更に何か大きな変化を起こす時には、一度冷静に過去を振り返り、歴史から学んだ事を現代に活かす事が肝要だと思うのです。
これはあらゆる分野に当てはまると思います。
・ハンコ文化はいい意味でも悪い意味でもガラパゴス文化であること
・日本がハンコ社会⇒サイン社会⇒ハンコ社会と変遷してきたこと
・明治維新後の日本社会にはハンコ文化が結果的に適していたこと
このあたりを抑えた上で、次回からはハンコをどうすればデジタルに置き換えていけるか?という事について、デジタル認証とアナログ認証の両面に触れたものの考えを記していきたいと思います。