311地震の数日後に感じた周囲の放射能の影響 ー塩素臭い汗が洗い流した青春コンプレックスー 3
311地震の数日後、地域全体の人々の感情を悲しみ、悲嘆まで押し下げる放射能の影響を感じた。
地震の直後、保育園に子ども達を迎えに行き無事を確認。妻も早く帰ってきて家族は大丈夫だった。僕の関係者とは一通り連絡が取れたが、池袋の事務所でいつも一人で仕事している友人とだけ連絡がつかなかった。
だから僕は確認しなければと自転車を走らせ川越街道を池袋方面に向かった。
電車が停まり、都心から郊外に向かう道路は、歩いて帰宅する人たちで長い列ができていた。歩き続ける人、渋滞している車とは反対方向に僕は走った。
移動中、目に入ってくるひたすら歩いている人達の列。非日常的な状況を楽しんでいるようにすら見える人は少なくなかった。
池袋で友人には会えた。たまたま外に出ていて無事だったとのこと。事務所の棚はやはり倒れてぐちゃぐちゃだった。中にいたらおおごとだっただろう。
地震当日の僕の周囲は、大変なのはみんな一緒なので助けられることはしますよと知らない人同士の間でも助け合う関係が生まれやすくなっているように見えた。
翌日、翌々日と時間がたつに連れて、なぜか、怒っている人、泣いている人、妙に感情をむき出しにしている人が目につくようになった。
公園で息子達と遊んでいると、転んで頭を打って泣いている女の子、それを見てヒステリックに騒ぎ出すお母さん。
電器屋で目の前の店員に向かって大声を出している中年男性。
息子達も兄弟喧嘩してお互い怒鳴り散らした後に、メソメソシクシク泣いている。気がついたら僕もなぜだかみじめな悲しい気分になっていた。
地震の直後に見た秩序だった人々の様子とは、周囲の状況が大きく変わっていた。
僕も含めた周囲で急激に人々の感情が押し下げられた感じがしていた。
これがうわさに聞いていた放射能の影響だった。まずいな。どうしたらいいんだ?と先が見えない不安を感じていた。
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