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「ジャスコ」

4月。新生活が始まる季節。

皆様の新生活はどうだろうか。新たな環境になじめず、ホームシックにはかかってないだろうか?就職や入学、そしてお引越し。

今思えば、転校って転職よりキツイイベントだったと思う。

僕は小学生の途中で、千葉県から福岡県福岡市に引っ越した。

千葉県市川市。お隣が東京都江戸川区なのもあって、住んでいたエリアは、所謂「千葉都民」気取りの人が多かった。僕の両親も「ここはほぼ東京だから、なんなら東京より便利よ?」と口にしていたので、そういう人が多かったのは事実だ。キレイなお家も多くて静かなエリアだったのでとても気に入っていた。

そんな時、父に福岡転勤が命じられた。40代半ばでの転勤なので、ここで成果を出すか否かでキャリアが変わってきそうなイベントだったと思う。

僕は子どもながらに千葉都民であることを自覚していたし、なんなら悪いところだけを取り入れていたので、僕にとって地方に引っ越すことは「都落ち」を意味していた。友達に引っ越しのことを伝えても「あー、ドンマイだね!」と言われた。とても残酷な別れセリフだったと思う。

3月末に福岡市に引っ越した。ここでも便利+静かなエリアを選んだので、家は大濠公園の近くに決まった。関東と比べて家賃が安価なのもあるが、多分親のプライドだったのかなと思う。ちなみに今の実家もそこだ。

改めて言うことでもないが、福岡市は十分に都会だった。なんなら千葉より便利だ。すぐ近くに天神や博多駅もあるし、自然も豊か。交通網も十分だし、「デニーズ」はないけど、「ジョイフル」という楽しそうな名前のファミレスもあった。

「え、ぜんぜん都会じゃん。ちびまる子ちゃんが8チャンじゃなくて9チャンだけど、それ以外は大丈夫じゃん」と僕は安心した。

4月になり、転校先でも無事友達ができた。方言という言葉の壁は確かにあったけど、転校生が多い学校だったので割とすぐに馴染めた。朝の会と帰りの会で、「いざ行け若鷹軍団」を歌わされること以外は千葉の学校と同じだった。

市川市の友達や幼馴染を思い出すこともほとんどなかった。「住めば都」とはこのことだ。僕は福岡市で生きていける。と思った。

夏休みになり、母方のお墓参りにいくことになった。お墓は北九州にあるので、僕をのせた車は国道3号線を北に進む。だんだんと都会の景色がなくなり、見たことの無いラーメン屋さん、パチンコ屋さんや家具屋さんが見えてきた。「旅行みたいだな」と思った。

渋滞し始めたので、「ちょっとトイレ休憩しとこうか」と止まれる場所を探す。休憩だって旅行の醍醐味である。

そして見つけた先に見えたものが

引っ越してから4か月間堪えてきたものが崩壊した瞬間だった。僕は涙が止まらなくなってしまった。

ジャスコだ。田舎の象徴であるジャスコだ。人生初のジャスコ。自分の世界には存在しないと思っていたジャスコが目の前にある。

そのジャスコに我が家は入ろうとしている。その事実が耐えられなかった。ジャスコをきっかけに僕はホームシックになった。inジャスコする車を止めることもできず、我が家はジャスコで休憩をした。

トイレを終えても泣き止まない僕に、「どうした?なんだ?」と父は声をかけた。でも答えられない。「ジャスコ…ここジャスコじゃん…もう帰りたい…」としか答えられないのだ。そんな奇天烈な理由では帰してもらえず、すぐにお墓参りに向かった。帰りは高速道路で帰ったのだが、寝ていたのか覚えていない。

日を改めて、母に「市川に帰りたい」と訴えた。環境の変化を子どもながらに受け入れていたが、さすがに無理だった。結局夏休みの後半2週間、千葉の友達の家で過ごすことになった。

その後中学を卒業するまで、長期休みがあるたびに千葉に帰る生活だったが、アビスパ福岡という生きがいを見つけたことで、再びホームシックになることはなかった。アビスパ福岡は命の恩人である。福岡は第二の故郷。今なら自信をもって言える。

あれから20年以上経ち、ジャスコはイオンという名前に変った。そして全国の郊外と呼ばれるエリアなら、どこにでもあるスーパーになった。

田舎にしかなかったものが、どこにでもあるものへ。今ならきっと、ホームシックを和らげてくれる存在だったかもなと思う。

新生活は楽しい事ばかりじゃない。キラキラした毎日のどこかでストレスを感じているはず。ポジティブにありたい!と思うほど、実はキツかったりする。僕の場合、ジャスコがそれを気づかせてくれた。

ゴールデンウイークが近づいてきた。連休の楽しいイベントに参加しつつ、出来れば頑張った自分を休ませてあげるのも、いいかもしれない。


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