反復横跳び
女優の坂井真紀さんは、「マイムマイム」が異常に好きで、自宅に招かれた男も、一晩中一緒に踊らされるという。
蓮佛芽衣さんは、反復横跳びが異常に好きだ。
自宅に招かれた男は、一晩中反復横跳びに付き合わされるという噂だが、こちらの方の真偽は定かではない。
なぜなら、体験者自身の口からその事実を聞いたことは無いからだ。
あくまでも、噂に過ぎなかった。
幸か不幸か、しかし、それを確かめる機会が僕にやって来た。
蓮佛芽衣さんから、ヴィーガン料理のモニターになってくれないかと頼まれたのだ。
見よう見まねと試行錯誤で、幾つか作ってみたが、自信が無いので、試食してほしいとのことだった。
何か別に魂胆でもあるのではないかと疑わないこともなかったが、そこはまあ、勘ぐったりするとややこしくなるので、素直に応じることにした。
ヴィーガン料理はおいしかったが、パスタ、野菜炒め、スープなど、見た目は普通の料理とあまり変わりが無かった。
正直を言えば、一番おいしかったのは、彼女が粉から自分で焼き上げたヴィーガンクロワッサンだろうか。
もちろん本人には、そんなことは言ったりしない。
どれもおいしいと、素直に褒めておいた。
「お腹が落ち着いたら、反復横跳びしない?」
ほら、来た来た…
「うん、いいよ。
俺、けっこう得意なんだ」
体力測定は総じて苦手だったのだが、反復横跳びだけは、なぜか得意だった。
高校時代には確か、20秒で60回を超えた記憶がある。
「じゃ、こっち来てみて」
招かれて、キッチンの方へ行くと、フローリングの床に、3本の白いテープが平行に貼ってある。
「タイマーで20秒間ね。
スタートで始めてね」
芽衣さんはスマホのタイマーを構える。
「はい、では行きます…スタート!」
靴下だと滑るので、裸足になり、大人げもなく、本気でチャレンジした。
「ストップ!
55回ですね。
けっこうすごいじゃない」
自分の年齢からすると標準以上なのだろうけど、60以下というのが、ちょっと不満ではあった。
「芽衣さんは?
今度は、俺が測ろうか?」
「頑張っても50がやっとかな。
でも、いいの、楽しみでやるんだから記録にはこだわらないの。
じゃあ今度は、一緒に…」
「ちょっと休ませてよ」
息が落ち着いてから、ふたりで向き合って構える。
「ゆっくりマイペースでいいんだよ。
わたしに合わせる必要もないからね」
そして、果てしの無い反復横跳びのデュエットが始まる。
芽衣さんは何も言わない。
嬉しそうだ。
嬉しそうなどころか、恍惚としているようにすら見えることがある。
僕も無言だ。
自分のペースで流しているから、しんどくはないのだが、そうは言っても、段々足が言うことを聞かなくなってくる。
おまけに、足の裏にマメができたようで、痛くなってきた。
「疲れてはいないんだけど…いつまで続けるの?」
「もう飽きちゃった?」
「いいや、飽きはしないんだけど…。
こんなに同じ動きを繰り返してると、ちびくろサンボの虎みたいに、バターになっちゃいそうな気がしてきてね」
「ヴィーガンは、バターもダメなのよね」
そんな会話を限りに、ふたりともまた黙り込み、黙々と反復横跳びを続ける。
僕はバターにはならなかったが、気が付いたら蒟蒻になっていた。
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