猫に飼われる
猫を飼っている。
名前はジョセフィーヌ。
キジトラの雌の美猫だ。
交通事故でぐしゃぐしゃになっていたのを保護した。
動物病院の先生は、多分助からないだろうと言ったが、奇跡的に生き延びた。
万一助かっても、自立はできないくらいの障害が残るだろうと言われたが、十分自立できるほどの障害で済んだ。
人語をほぼ理解していると思われるが、もしかしたら、超人的でおそらくは超猫的な能力を駆使して、言葉を介さなくてもすべてがわかっているのかもしれない。
ジョセフィーヌは、僕が和室にいるときは和室にいる。
炬燵の中か炬燵の脇で寛いでいる。
僕が動くと、一緒に動いたり、時には先回りして前を歩いたりする。
僕の入浴中には脱衣所で待っていて、時にはすりガラス越しに怪しい動きをしたり、早く上がれと鳴いて催促したりもする。
けれどもドアを開けて中に誘うと、決して入っては来ない。
そのくせ僕のいない時は、勝手に風呂場に入って、バスタブの上で、ぼうっと天井を見ていたり、洗面器をひっくり返して遊んだり、タイルの水を舐めていたりする。
バスタブの蓋が開いていた時には、ぬるくなったお湯にうっかり落ちてしまったこともあったが、懲りた様子はない。
体が濡れるのは好きではないが、水やお湯を眺めるは好きらしい。
気紛れなのは、食べる物にも当てはまる。
モンプチのカリカリのある種類がお気に入りだからと、似たような別の種類をやってみると、全く口をつけない。
仕方がないので毎日、同じそのお気に入りばかりやっていると、ある日突然、顔をそむけて食べなくなったりする。
そして、それまで見向きもしなかった三ツ星グルメとかシーバをおいしそうに食べていたりするのだ。
僕に対する態度は、もっと気紛れだ。
頭をごんごんぶつけてきて、ぐるぐる喉を鳴らすかと思うと、撫でようとしたら顔を背けたり、嫌がって逃げ出したりする。
時にはがぶりと噛んだり、不機嫌そうにさっと引っ搔いたりする始末だ。
僕にとって至福の瞬間は、夜中に目が覚めると横にジョセフィーヌがいるのを発見した時だ。
僕が寝床に就こうとしても、ほとんどの場合、ジョセフィーヌはついてこない。
たまについてきたり、先を越してベッドに寝ていたりすることもあるが、それは本当に例外中の例外だ。
一年365日のうち、少なくとも300日は、独り寂しくベッドに入らなければならない。
その300日のうち、少なくとも100日は、しかし、目が覚めると横にジョセフィーヌを発見するのだ。
生きていてよかったと思う瞬間だ。
但し、その至福の時には、少しばかりのスリルあるいはリスクも伴う。
おねしょだ。
日常生活には、さほど不自由はないものの、ジョセフィーヌの下半身には、交通事故の後遺症で麻痺が残っているのだ。
そのせいで、寝ている際に、本人の意思とは無関係に漏らしてしまうことがあるのだ。
そういう時には、しまったという顔をする。
申し訳なさそうな顔ではない。
プライドを潰されたというような、凛としながらも、痛ましい顔だ
今夜も僕は独りで床に就いた。
和室では僕の脇で、香箱になっていたジョセフィーヌだったが、僕が立ち上がると、顔を上げてちょっと睨んだだけで、そのままぷいと目を背けてしまった。
相変わらず冷たい。
でも、彼女のそんなところが好きでたまらないんだろうな。
ベッドに潜り込む。
すぐに眠りに落ちた。
夢を見る。
色のない夢だ。
落ち着きのない、動きの激しい映像。
ジェットコースターに乗って、風景を見ているような感じ。
鳥が急接近してくる。
巨大な黒い影になり、ばさりと顔にかぶさった。
目が覚める。
しまった…
またやってしまった。
おねしょ…
僕とジョセフィーヌは一体だ。
もはや、どちらがどちらなのかわからない程にひとつだ。
一心同体なのだ。
僕は僕なのかジョセフィーヌなのか。
そんなことはわからない。
わからなくたっていいじゃないか。
僕はジョセフィーヌを飼っている。
いや、待てよ、違うかもしれない。
うん、そうだそうだ、もしかしたら、こうだ…
僕はジョセフィーヌに飼われている。
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