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30代の普遍的な悩みについて

「20代最後の年」というものが自分に訪れるなんて思ってもいなかった。
自分自身の感覚はいつも変わらない。18歳の時も25歳の時も29歳の今も変わらずに「今」という感じがしている。

だけど、周りの環境は大きく変わっているかもしれない。
仕事では自分が後輩を育てるようになっているし、プロジェクトのメンバーもたくさんいるし、プロジェクトマネージャーとして振る舞っている。
プライベートではライフスタイルのこと、資産運用のこと、結婚のことなどこれまで考えもしなかったようなことに頭を使うようになっている。

それらの多くは、気がついたらそうなっていた、といったふわふわした感触のもので、改めて考えてみると「どうやら変化してきているらしい」ということに気がつくといった具合だ。

あまり一般的な「大人」にはなれていないのかもしれない。でも、みんなだいたいそんな形で人生を送っているものだ、という感じかもしれない。どこにも答えはないし、ただ時間が過ぎているという事実だけがそこにあるのかもしれない。
普通の人生を普通に歩んでいくことがそれ自体立派なことと言える。

ときどき、自分がなんでこんなことを喋っているのか、考えているのか、振る舞っているのかとメタ認知することがある。
環境がそうなっているから、自然とそれに合わせて行動しているのだけれど、自分の中のある部分だけは現在地点にとどまっていて、外側の自分とどんどん距離が離れていくような感覚だ。
時間の進みと自分自身の経験の隙間が広がっているようなイメージで、時々、突然にそんな感覚に襲われる。
自分に自信がある、という自分と、何も変わっていない自分の近くとのズレなのだろうか。
とても奇妙な感覚だと思う。

自分の好きなものとか、好きな時間の過ごし方は多分そんなに変化していないんだと思う。
だけど、周りの舞台セットは容赦なく切り替わっていく。
機械的な部分と、人間的な部分のズレを感じて、なんだかおかしな気分になってくる。

今日も朝起きたと思ったのに、もうお昼になっていて、多分すぐに夜になっていくんだと思う。
いつものようにいつもの時間を過ごして、それで多分30歳に機械的になるんだろう。
そういうものなのかもしれない。

この文章をChatGPTに投げたところ、30代の普遍的な悩みですね、と言われた。

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ふなっち@Web Director/Writer/Essayist/Pastel Artist
誰かを楽にして、自分も楽になれる文章。いつか誰かが呼んでくれるその日のために、書き続けています。 サポートするのは簡単なことではありませんが、共感していただけましたら幸いです。

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