見出し画像

サンクコスト(埋没費用)に惑わされるな

最近、行動経済学に関する本をよく読んでいるのだけど、その中に頻繁に出てくる「サンクコスト(埋没費用)」という言葉が好きだ。

「サンクコスト」とは「もう取り戻す事が出来ない費用・損失」というように定義される。

具体的にどういうものかというと、

例えばあなたが全くの初心者からピアノを始めたいと思い、レッスンに通い始めたとする。
レッスンには月々のレッスン料がかかる。
レッスンを受け始めて一年だった頃、自分にはピアノの才能が無いことに気づく。これ以上習い続けても、まともに演奏することなど出来ないだろう。
しかし、一年かけて月々のレッスン料は既に支払っており、もう取り戻す事はできない。
この既に払ってしまったレッスン料が「サンクコスト」である。

この「サンクコスト」が原因で、人は合理的な判断が出来なくなってしまう。
ピアノが上手くなる見込みが無いとわかっているのに、「今までのレッスン料がもったいない」と考え、そのまま習い続けてしまう。そして、その後も上手くなりもしないピアノにレッスン料を払い続けてしまうのだ。ピアノの才能が無い事に気づいた時点でキッパリとレッスンをやめてしまえば、それ以上レッスン料を払う必要は無いのに、「サンクコスト」のせいでその後も支払うレッスン料の総額を膨らませてしまうのだ。


政府の公共事業でも同じような事がある。
公共事業として大型施設の建設が計画されたとする。当初の見積もりでかかる費用から見た利益や効果は十分に元が取れる計算だった。
しかし、建設計画進行の過程において、予測できない出来事や想定の範囲外の事態はいくらでも発生する。そして、かかる費用は膨らんでいく。建設がある程度進んでしまうと、その過程でかかった費用は「サンクコスト」であり、もう取り戻せない。その時点で計画を中断してしまうと、それまでにかかった費用をドブに捨ててしまう事になり、不測の事態があったとしてもそのまま計画を進めてしまう。
結果、施設の完成の頃には当初の見積もり費用の何倍もの費用がかかってしまった。


このように、「サンクコスト」は、人間に「ここまでやったんだから、最後までやらないと今までのコストが無駄になる」という考えを持たせて結果的に損を大きくさせてしまう、という特性がある。

僕はこの「サンクコスト」という言葉・概念を知ってから、様々な意思決定の場面で活用するようにしている。公共事業や企業の長期計画のような自分1人ではどうにもならない事に対して途中で中止する、というのはかなりハードルが高いが、先のピアノの例のような個人的な事なら実践は出来る。


例えば、あるお店でポイントカードを作った時に、いくらかポイントが貯まった時点で、そのお店への興味が薄れてしまった時。
「せっかくここまでポイント貯めたんだから、ポイントが満タンになるまで通うか…」
と、判断してしまうと、たいして欲しくないものを買い続ける事になってしまう。
その考えが「サンクコスト」によるものだと気づいたら、すぐにそのポイントカードを捨ててお店に通うのをやめるだろう。


この「サンクコスト」の概念は「時間」にも当てはめる事ができる。
例えば、ある資格を取ろうと思い立ち毎日勉強をしているとする。
しかし、何度も何度も試験に落ち続けながら何年も勉強を続けていると、引き際がわからなくなる。そんな中、ふと「本当にこの資格は自分にとって役に立つ資格なのか?」と思ったとしても、今まで勉強に費やした時間を考えるとやめるにやめられなくなる。そして、受かるかどうかわからない、役に立つかどうかわからない資格試験のためにさらに勉強の時間を費やす事になる。
この費やした時間も「サンクコスト」と考える事が出来れば、「自分にはこの資格は必要ないものだ」と思ったその時に勉強をキッパリと止めて、他の事に時間を使う事ができる。


こんな風に「人間はサンクコストに惑わされる」という事を知っていれば、いろんな場面での決断に役に立つ。いわば、「キッパリとやめる」「キッパリと諦める」ための考え方である。

この「サンクコスト」の存在を頭のどこかに置いておくと、あらゆる場面で大きな損を回避する事ができる。僕はこの存在を知ってから、普段の生活がかなりスッキリしているのを実感している。

全ての人にオススメの考え方である。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?