〜ひとくち映画レビュー〜 (ネタバレあり)PERFECT DAYS
今回観た映画はかなり感動したので、ひとくち、ではなくがっつりレビューです笑。
長文失礼。
僕の大好きな映画監督であるヴィム・ヴェンダースの最新作であり、さらに東京を舞台にした本作。
観ないわけにはいかない!と思いたち、仕事をサボって(!?)映画館に走った。
ヴェンダースは期待に応えてくれた。観てよかった映画である。
役所広司さん演じる主人公・平山は都内のトイレの清掃員。毎日早朝に起き、布団を所定の場所にたたみ、ヒゲを整え、歯を磨き、植物に水をやる。清掃の服に着替えて、家の前の自販機で缶コーヒーを買い、仕事に向かう。昼の休憩はいつも決まった公園。昼食を食べながらカメラで木漏れ日を撮影する。真面目に仕事をこなし、仕事終わりに銭湯に向かう。その後、浅草の地下の飲み屋で一杯、自宅に帰り眠くなるまで本を読む。
休日は、清掃服をクリーニングに出し、仕事の昼休憩に撮った写真を現像しにカメラ屋に向かう。自宅に戻るとうまく撮れた写真を選定し、それが終われば古本屋に向かう。夕方になると通いのスナックで一杯。自宅に戻り、いつも通り本を開いて眠る。
この後の展開についてはネタバレになるので、後述になるが、最後の役所広司さんの表情の演技だけでこの映画を観る価値があった!カンヌでの男優賞受賞も納得。久しぶりに演技に心を掴まれる経験が出来た。
以下、ネタバレ!
「ささやかな日常の幸せを描いた映画」と巷では表現されているが、僕にはとても寂しい映画に感じた。
「こんなふうに生きていけたなら」というキャッチコピーも、観終わった後には悲しく響いた。
というわけで、ここからは僕なりの解釈で解説していきたいと思う。
それには、まず、なぜ、平山はこのような生活をしているのか?というところから考えなければいけないだろう。
作中では詳細は語られないが、姪のニコを平山の妹が迎えに来た場面でいくらか想像ができる。平山の妹が乗ってきた高級車、使用人らしき人物、そして平山の妹の「本当にトイレ掃除やってるの?」「もう、お父さんは昔みたいなことないから」というセリフから、平山自身、かなり裕福な家庭の出身であり、過去に家庭内で何かしらの揉め事があったことがわかる。
想像するに、平山は会社の跡継ぎの問題で何かしら揉めて、それに嫌気がさして、家を出ていった。つまりは、平山の今の単調な慎ましい生活は平山自身が望んで手に入れた生活なのだ。
平山は自ら望んで、規則正しいルーティンを繰り返す生活を営んでいる。「今度は今度、今は今」というセリフは、規則正しいルーティンの中に見出せるその時々の出来事を愛おしく大切にしている平山の心情が見えてくる。
しかし、変わらない日常を送る中で、日々その生活の変化を強いられる場面がある。それは、他人の存在である。職場の後輩が急に辞めてしまう、姪が急に現れる、いつもの飲み屋がたまたま満席で決まった席に座れない、行きつけのスナックでママと見知らぬ男が抱き合っているのを見てしまう…などなど。変わらない日常を変えてしまうのは、どうしても他人の存在である。そして、その変化は平山の日常を壊してしまうこともある。
変わらない日常、というのは言いかえれば、平山が変えたくない日常である。決まったルーティンの中で生きることを望む平山にとって、日常を変えられるのは苦痛でしかないだろう。
そんな平山はどれだけの変化があっても元の日常に戻そうと努める。
しかし、どれだけ平山が日常を変えないようにしても変化は外からやってくる。
そして、悲しいことに、平山はそれを理解している。
「何も変わらないなんて、そんなバカなことはないですよ!」
それを理解しながらも、平山は変わらない生活を続けていこうとするのだ。
最後の笑ったような泣いたような平山の表情はおそらく、
変わらない生活を送りたい。それが最も幸福なのだ。しかし、周りは変わっていく。その哀しさ。
"幸福のための変わらない生活"を続けていくための苦痛
を感じている表情なのではないだろうかと感じた。
そう考えると、映画のキャッチコピー、
「こんなふうに生きていけたなら」というのは、平山自身の思いのように思える。
望む生き方があるがそれが日常の中で何度も壊されてきた平山の複雑な心境が現れていると思うのだ。
巷のレビューでは、平山の日常が幸せそうに見える感想が多いのだが、僕には平山が変わらない日常のためにすり減っていくように見えたのであった。