高等教育飽和の時代
高等教育の黄昏
昨年の大学入学者が初めて定員を下回ったそうです。
少子化が進行するのに、大学の設置認可を認め続ける今の状況では、遅かれ早かれこうなることは予見できたのですが、少子化が予想以上に深刻化する状況では、今年度を境に、大学の設置だけでなく縮小や退出も進んでくる事が考えられます。
現実問題として、すでに幼稚園業界では、幼保連携型認定こども園への移行が難しい幼稚園を中心に、廃園する幼稚園が私の住む県だけでも年間で数園見られます。全国でも同様のことが起きているのではないでしょうか?
大学・高等専門学校だけではなく、専門学校でも、専門学校を大学化するツールとして編み出された専門職大学・短期大学が、そのハードルの高さから一部の専門学校の昇格が見られるのみで、大多数の専門学校は、現状維持を決め込むか、既存の国内外の大学との連携に活路を見出すか、新規に通信制の大学を設置して、専門学校と並行して履修させるなどの方策で改善を図っていうのが現状です。
現に、一部の専門職大学では、既に廃校する大学も出る始末で、こんな事なら、専門学校の機能強化で、一条校化と専門士と高度専門士の学位化をした方が良かったのではないかとの意見が出ても仕方がない状況です。
高等教育全体が、複線化ならいいのですが、単に大学に専門職大学、専門学校とその役割が交錯化・複雑化して、収拾がつかなくなっているのが現状だと思います。 まさに、高等教育の黄昏と言っていいような末期的症状を見せています。
高等教育の再配置の必要性
国立大学・国立高等専門学校の貧困化、私立大学の野放図な設置ラッシュ、短期大学の衰退、専門学校の迷走と、国家予算の僅かな補助だけでは、どこも維持できない状況にこの30年の間に陥っています。研究環境の悪化は国力の衰退を、制度の複雑化は進路指導の困惑化を、そして、一番の影響を受けているのは、制度に翻弄される進学希望の高校生、大学などの学生や大学院生ではないでしょうか。
ここで、制度の再配置が必要になって来ると思います。防衛費の様に、国際水準であるGDPの4.7%以上の教育費を確保して、高等教育への重点的な配分を行う。そして、複雑化している学校類型を整理して、修学期間に分けて、4〜6年の研究教育機関を大学、2〜3年の研究教育機関を専門学校、高等学校と接続した専門学校を高等専門学校と定義して、それぞれの設置基準を再定義する。短期大学、専門職大学・短期大学も発展的に大学か専門学校に収れんする。設置基準は最低限のものとして、基準審査機関での審査を数年ごとに義務付ける。一法人による複数の地域における学校の運営を奨励して、一法人で基準審査を行い、地域的な有利不利を緩和する。定員が小規模な学校を集合体として運営する制度を創設する。
以上の改革で、現在の複雑化した制度をある程度まとめることができるのではないでしょうか?
小規模の大学・専門学校が合衆連合して、〇〇大学機構や〇〇専門学校機構が結成され、その機構に対して基準審査機関が審査の上で国庫からの補助を行えば、現行より効率的な補助がなされるでしょう。
文部科学省でも、急速な少子化に対する対応を以下のようにまとめようとしています。
読んでみると、各方面に配慮しすぎな感じがします。もう制度自体をいじらないと根本的な解決に至らない感じがするのですが、これでいいのかなといった感想です。
高等教育の未来は
私論について述べさせていただきましたが、もう時間は待ったなしの状況になっています。このままでは来年以降は大学や専門学校の合併や廃学・廃校が続々と出て来ることが容易に想像できます。財務省に対抗するためにも、文部科学省には、根本的な制度改革をアピールして、文教予算を増額することに努力していただきたいと思っています。
高等教育の現状がジリ貧なだけに、未来への展望は暗いと言わざるをえません。やはり国民全体が高等教育自体が危機的な状態に陥っている認識を共有し、政治に働きかけていくしかないでしょう。
高等教育の無償化も大事ですが、その高等教育自体が劣化しては元も子もありません。先ずは高等教育自体の底上げのために、制度の見直しと官民挙げての協力こそ必要ではないでしょうか?
現状についてこれからも発信し続ける必要性を感じた、年頭の記事に関する感想でした。