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5ー4 昔の大学院生の生活 終わり

前回は


修士論文

 さて、就職は決まったものの、修了しなければ意味がありません。9月からは別の意味で地獄の日々が続きます。

 今読み返して見ると、学部の卒論の方が出来が良かったのではないかと思うほど酷い論文です。教員養成にフォーカスした高等教育史なので、卒論より社会学的な分析としては、統計より理論に偏っていて、当時の時間のない中で、論文を読み込む事だけで精一杯だった実情が垣間見えます。

 ゼミでの指摘などで修正しながらも、年末には何らかの形が見えてきました。年末年始は最後の執筆に取りかかり、ほぼやっつけ仕事的に年明けには仕上げる事が出来ました。

 ただ、論文を書き終えた後の査問も地獄でした。やはり文献だけに頼った内容だったので、厳しい指摘が続きます。それでも、卒論の時に読み込んだ大学史に関する文献の知識がこんな時に役に立ち、どうにか受け答えが出来て、最終的には修了の許可が下りました。

生活を振り返って

 講義・演習とアルバイト、図書館に籠もっての文献の読み込みに費やした1年目。アルバイトに公務員受験と、修士論文執筆に取り組んだ2年目。兎に角、学部の4年間に匹敵する程の密度の濃い2年間でした。

 ゼミの終わった後に、毎回近くの喫茶店で行われたアフターゼミは、研究室の居室を持たず、とかく孤独になりがちだった研究生活の中で、それを補う貴重な意見交換と癒やしの時間になりました。よく他の研究室のメンバーも乱入して来て、早稲田らしい自由で闊達な時間を多くの人達と共有できた事は、自分にとって貴重な経験となりました。

 また、生活に不自由しなかったのは、当時の大学院生は少数派で、教員の補助員や学部の定期試験監督などの、学内のアルバイトが充実していた事もあります。

 特に、途中からは学内の派遣企業の 「キャンパス」に所属した事もあって、院生向けのより高度な仕事も任される様になりました。政治経済学研究科の修士の学生と取り組んだ、戦時中の軍部の資料の整理などは、仕事抜きに興味を持って取り組む事ができました。

三品食堂の思い出 

 そんな慌ただしかった生活の一コマとして、今でも思い出されるのが、教育学部の前にある「三品食堂」で、毎回カツ牛の中を注文していた事です。1年目の講義・演習の合間は時間が短く、講義棟から近く、安くて注文から出て来るのが早かったので、昼飯として重宝しました。

 メニューはカレーとトンカツと牛丼の3品の組み合わせになっていて、小・中・大やその上の赤などのいろいろな組み合わせが出来るのですが、めんどくさくて、ついつい同じものを食べていました。

 店内に卒業生の色紙が一杯張ってあるのですが、その中に、高校の先輩の色紙を見付けて、自分も早稲田の学生になったことを実感し、勇気付けられたものです。

 コロナ禍で、早稲田地区の飲食店が続々閉店していると聞きます。よく行ってた定食屋なども、もう閉店した店が多い様です。おそらく「三品食堂」もかなり厳しい状況にあると思います。今は遠い所に住んでいるので、食べて協力する事は出来ませんが、是非コロナを乗り越えて、早稲田の学生を形作る重要なピースの一つとして、末永く続いて欲しいものです。

 コロナが収まり、東京に行く機会がまた訪れたら、訪ねたい一店です。


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