5.大学職員採用3~5年目
前回は
ストレスとの戦い
今で言うデジタル人材として引っ張られた〇〇係でしたが、実情はアナログが溢れる職場で、デジタル化を進めるには困難が多くありました。日常の業務だけでも、それまでの技能職員の仕事も背負って、莫大な量になっていました。それに加えて毎晩繰り返される酒宴の日々…。
一日のルーティンは以下の様な流れです。
朝は上司がやってくる前の朝7時過ぎには出勤して、前日の残務の続きを行い、8時前から係員が揃ったところで上司や会議室の清掃、本来の勤務時間である8時半からは新聞のスクラップづくり、9時に上司がやってくる頃に、通常の業務に戻ります。
業務量は、事務室時代の4倍から5倍の莫大な量で、そのまま仕事に集中しても定時にはこなせない量でした。それに加え、夕方には酒宴の準備に加えてお付き合いし、酒宴のお開きになる20時前にやっと残務整理に当たることが出来ました。当然退勤は早くて22時過ぎ、日によっては終電で帰ることも度々で、それでも消化できない場合は、休日出勤までしていました。ちなみにほとんどがサービス残業です。
月の残業時間を計算していたことを思い出すと、確か、夕方の酒宴の時間を除いても申告残業時間の10倍の月100時間を超えた、今で言う過労死ラインの月が度々ありました。
私の場合は、本務に加えて、部局のデジタル化に関するヘルプデスクを兼任していたので、その度に呼び出され、部屋に戻るとまた呼び出されるということを繰り返し、本務の仕事が進まないことが数知れず…。
こういう生活が、2年半続きました。
この頃から、胃腸に違和感を感じ、病院通いが始まります。検査を何度かしましたが、腫瘍などの異物は見つからず、腸の動きが悪くなっているのが原因ではないかとの医師の診断で、腸に関する薬を飲むようになります。
これ以降、薬は私の生活から切り離せないものとなったのです。また、この頃から、今考えるとPCの頻繁な買い替えや、同僚への暴言、ネット依存などの奇行と思われる行為が続き、精神が蝕まれて来ていたのだという事を今になって自覚しています。
異動と云う名の再びの左遷
2年半続いた激務から開放されたのは、ある係の異動と絡んでいました。
ある係は、私の最初の異動時に、後任として私のいた事務室に着任した方が、再び部局内の異動で業務を行っていた、デジタル推進と広報を謳った係でした。
ある係は4人構成でしたが、全員が春の異動の対象になり、その補充として、部局内から私が、他部局と新採が3人着任するという、今考えると恐ろしいアクロバティックな異動を強行しました。
私に白羽の矢が立ったのは、上司にとってデジタル人材ではあるけど、〇〇係の人としては物足りない人物だよねと捉えられたからだと思っています。
これで長い抑圧された身の上から開放されるという安心感と、この期間に、仕事以外に手が回らなくなり、とある研究グループから離脱してしまい、多くの共同研究者の方々に迷惑をかけてしまったという罪悪感が、ないまぜになった感情が、自分の中で整理のつかない複雑さを生んでいました。異動までの暫くは精神的に不安定な日々を送ります。そして、6年目の春に4回めの異動の日を迎えます。