プロジェクトマネジャーの育成って難しいですね
本多静六さんが、貧乏はハシカのようなもので誰でも一度は経験する必要があるのだから早い時期に経験してしまうべしというような文脈で書かれたなかに上記の一文があって、「これはプロジェクトマネジャーの育成でも同じ構造だなあ」と思ったので書き換えてみました。
私が知っているほんの数人のプロジェクトマネジャーを見る限り、その人がプロジェクトマネジャー的なポジションを引き受けるようになった経緯って、立派な先輩がいて「この人みたいになりたい!」と憧れることからじゃなくて、「あんなヤツのせいで痛い目に遭うくらいなら自分がやった方がまだマシだ!」という嫌悪感?から始まっている人が多いんですよね。
私自身がそうでした。
前回、下手な廻し方をしてメンバーを疲弊させた戦犯を、会社が反省もなく次のプロマネ的ポジションにしていることに失望し、自分と周りのメンバーを守りたくて勝手にスケジュールを作ったり意見するようになったのが始まりです。
戦犯の人には生意気だと言われたし(それなら私が作った資料を使うな)、周囲のメンバーからも感謝されることは少ない(なぜかけっこう嫌味を言われたりする)。
それでも、とにかく全員が早く帰れるならそれで十分だと自分に言い聞かせながら歩いた帰り道を今でも覚えています。ブツブツ言葉にしながら、ときどき悔しすぎて泣きそうになっていた。
「少なくともあんなヤツよりはマシにできる!」という怒りが原動力になっていただけで、正しいやり方を知っていたわけでも自信があったわけでもない。止むに止まれず手を出したことから始まって10年、せっかくやってきたんだしと思ってPMPを取得したのが私のストーリーです。
それはさておき。
最近、今いる組織でプロジェクトマネジャーを育てる機会が多くなってきています。
私がいるのはIT業界ではなく、会社内にプロジェクトマネジャーという役割は明確には存在せず、社内の理解も浅いものです。
体制図上では、管理職など責任者の欄に「兼)PM/PMO」と小さく書かれていることが多く、いつも目を疑います。
それ、小さい字で書くことじゃない。
当然、PM/PMOは不在となり、操舵手のいない船は幽霊船と化して霧の向こうへ消えていく。
いや、だから、それはさておき。
悔しすぎて何度でもこの話に戻ってしまう・・・。
最近、今いる組織でプロジェクトマネジャーを育てる機会が多くなってきています。
いざプロジェクトマネジメントを教えるとなると「できるだけ炎上してほしくない」と言う思いから、経験の浅いメンバーにもあれやこれやと先回りをして教えてしまうのですが、そんなときはだいたい当人たちはポカンとしており、実感として伝わっていないなというのがよくわかります。悲しい。
こちらとしては、いざと言う場面で大怪我をしてほしくないと言う親心から言葉数が多くなるんですが、先回りしてあれもこれも教えてみたところで、相手はまだそれを受け取れるだけの経験をしていないんですよね。
これが「貧乏したことのある人間でなければ、本当の人生の値打ちはわからない」ということなんでしょう。
プロジェクトマネジメントも、実体験として痛い目に遭った人間でなければその必要性を理解することができないんだろうと考えると、必要なのは先回りして教育することじゃなく、転んでも死なない環境を与えて早くチャレンジさせることなんでしょう。
自分と同じ目に遭ってほしくない。
教えたからには早く前へ進んでほしい。
こんな欲望は(それが愛情に由来したものであっても)教える側の身勝手であって、人間が成長するためには本人が経験して思い知るというフェーズが必要なんだ。また、教える側にはそれを見守る根気が必要なんだ。
と言うようなことを考えさせられる今日この頃です。
今回は以上です。
読んでくれて、ありがとう!