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350mlをどう読むかで月明りの美しさは変わるのかもしれない

人間慣れていくことが増えていくなぁと思います。

例えば「A」という出来事が起きたら
「B」という反応が返ってくる。
そしてその後は多分「E」の対応をされて、結局は「Y」になるみたいなことです。

自分の人生で今の自分は最年長で長い事生きてて経験値が増えていくので当たり前ではあるのですが、これがどうも厄介な気がするこの頃です。

経験はまるで自分はこうであるかのようなイメージを植え付けます。

最低なことをしたら多分それはずっと最低なことで、クソみたいなことはクソなりに愛があることが分かっていて。
何もないと分かっているのに、夜の近所を散歩して、しっかり職質されて、うまく生きれているようで、生きれていないことを見透かされて。
経験したところでうまくいかないのに、経験値だけ増えていって、分かり切ったことの繰り返しを行って、なるべく自分が傷つかない選択を取っていく。

でもたまに慣れないことが起きるときがあるんです。
想像を超えていくようなことが起きたときに、自分は怖くなります。
そんな時間はあっという間でもしかしてドッキリで私を嵌めようとしているんじゃないかと思うことがあります。
こんなことが自分に起きる訳がないってなるのですが、どう考えても確かにそれは存在していたという事実だけは忘れずに生きていきたいですよね。

サプライズは全ての歯車がかみ合った瞬間だと思うんです。
それって歯車がそもそもないとこんなことが起きること自体がないわけで、
自分の経験値を歯車にしているかもしれないなぁと思うとなんだか少し寒い夜も一人でも温かいです。


明日はゴミ出しで、夜にゴミ出そうと思ったときにふと飲みたくなってお酒を買いにいって、ビールを飲んでいたらゴミ出すことなんてすっかり忘れちゃって。

月明りは頬が赤いカップルを美しく照らして、長袖短パンサンダルの僕には眩しすぎてふと目線を逸らしてしまったな。


そういえば、先日飲んだ方がこんな話をしていたんです。

愛と生殖は似てるようで違うって。
同じであれば恐らく学問として分かれることはないだろうと。

確かになぁと思って、なんかふと思い出して考えてみました。

生殖が無ければ多分悩むのかもしれません。人が生まれたときのそもそもの意に反してしまうから。でももっと大事なことってあるんじゃないかなって思います。


多分ですけど、愛が無ければ多分悩むことなんてないんだろうなって思います。
でも愛があることで迷っても、悩んで、周りを気にしてどうしたらいいか分からなくなっても、それでも月明りはきっと愛を持って悩んでいるあなたを照らすと思います。
だから友達が少なくたって、うまく生きれなくたって、ココ壱でメニュー間違えられたって、おいしいかき氷屋がシロップをかけ忘れて氷の味しかしなくたって、愛を持つだけで照らされるべき人間になれるはずだからきっと大丈夫、うまく生きていけます。
まぁとやかく言ってますが結局愛ってなんやねんって分からないんですけどね。

そんなことを夜に銭湯に行こうとしたら職質されて拗ねて帰ってきて、今書いてます。


さぁまた銭湯再チャレンジですね。

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