見出し画像

プーチンのシンフォニヤ(ビザンティン・ハーモニー)ーー中村逸郎『ろくでなしのロシア:プーチンとロシア正教』(講談社、2013年)評

ソ連が解体して20余年。かつて腐敗や汚職、停滞、閉塞に淀んでいた社会に、ゴルバチョフとエリツィンとが自由や民主主義をもたらしたことで、ロシアの人びとはのびのび、安心して暮らせるようになった。スターリニズムの悪夢は過去のものとなったのである――というのはもちろんウソ。

社会主義というタテマエが廃棄され、「何でもあり」になったロシアで生じたのは、ソ連時代など比較にならないほどの腐敗や汚職、貧困や格差、「まじめにやるだけムダ」というニヒリズムであった。そうした「ろくでなしのロシア」に君臨しているのが、大統領プーチンである。まるで帝政ロシアだ。

プーチンの独裁ぶりやツァーリっぽさを指摘する書物は数多あるが、本書が興味深いのは、ロシア正教会との蜜月に焦点をあててプーチンを描いている点だ。ソ連解体とともに国民統合の物語を失ったロシアにあって、正教こそがその代替たりうる。つまり、プーチンのねらいは、正教会を統治機構に組み込み、人々を物心両面で統制する正教国家なのである。

政教分離を自明視しがちな私たちは、ついこれを「歴史の逆行」とみてしまいがちだ。しかしむしろ「政教分離がデフォルト」のように思えた時代をこそ、私たちは疑ってかかるべきかもしれない。翻ってみれば、「宗教的なもの」の噴出は、わが日本においても近年のトレンド。本書を鏡に、「ろくでなしの日本」について考えてみようか。(了)

※『山形よみかき小冊子 ひまひま』13号(2014年8月)13頁 所収

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?