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新自由主義のオルタナティヴへ ――シャンタル・ムフ[山本圭/塩田潤訳]『左派ポピュリズムのために』(明石書店、2019年)評

イギリスのコービン、アメリカのサンダース、スペインのポデモス、ギリシャのシリザ、フランスのメランション、そして日本の山本太郎。政府・企業の新自由主義を批判し、反緊縮を掲げて躍進した野党の政治家たちが注目を集めている。近年、各国の政治に共通して生じているこれらの現象とはいったい何であり、背景には何があるのか。

闘技民主主義として現代民主主義を論じてきた著者は、これまでの議論の延長線上でこれらの現象を「左派ポピュリズム」と名づけ、民主主義を回復・深化させる――ラディカル・デモクラシーを構築する――ための重要な契機と位置づける。本書は、政治学者による「左派ポピュリズム」構築のマニフェストであり、「~のために」とはそういう意味である。では、著者が描いている現代政治の地形図とはどのようなものか。

戦後、冷戦下で左/右――社会主義/自由主義――の政治が長らく続いてきたが、1980年代以降、サッチャーが成功を収めたことで新自由主義モデルがヘゲモニーを確立することになった。その核にあるのは、市場原理(規制緩和、民営化、緊縮財政など)であり、結果としてその後の40年間、各国では不平等や排除、差別などが広がり、しかもそうした声が誰によっても代弁=代表されることなく放置され続けてきた。

ムフはこうした現状を「ポピュリスト・モーメント」と呼ぶ。代弁=代表されることなき人びとの声に最初に手を差し伸べたのは、右派の政治家たちだった。彼らは現在の窮状を移民やマイノリティに帰責し、排外主義で以て人びとの再統合を図る。だがもちろんそんなものはオルタナティヴでも何でもない。まっとうなポピュリズムが必要である。新自由主義モデルに闘争の線を引き、平等と社会正義とを掲げる、これまでの空白地帯に座を占める政治勢力、これこそが著者の言う「左派ポピュリズム」なのである。

さまざまに分断され、排除された人びとの声を媒介するにはもちろん、特定の社会的カテゴリーのみに重きを置くのではなく、さまざまな勢力や運動とつながり、それらを相互につないでいくこと――著者はこれを「等価性の連鎖」と呼ぶ――で、新しい〈私たち〉という集合的意志を紡いでいかなくてはならない。しかもそれを、院外/院内にまたがって構築していく必要もある。まだまだ萌芽状態といえる左派のポピュリズムにそれが可能か。その答えは、いま、私たちの手元にある。(了)

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