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現代に重なる先人たちの戦い――渡辺尚志『江戸・明治 百姓たちの山争い裁判』(草思社、2017年)評

近年、日本列島の各地で都市型水害が多発している。河川上流域の山野・森林が開発によって切り開かれ、その保水機能が失われたことが背景にある現象だが、そうした因果に思い及ばぬほど、私たちの多くは「山」というものから遠く隔たってしまっている。

本書は、そうした「山」というものと、列島に暮らす人びとがこれまでどのような関係を結んできたのかを歴史的に明らかにしていく試みだ。著者は、江戸時代の村社会が専門の歴史家(一橋大学大学院教授)。環境史の観点から、江戸・明治期の列島人の基本的なありようが明らかとなる。

それはどういうものか。江戸時代の村や百姓というと、つい私たちは、自家の田畑を耕して生計をたてる専業農家を想像してしまうが、実際はまるで違うと著者はいう。百姓たちは、田畑の耕作に加え、狩猟や採集、漁業や林業、商い、ものづくりなど、さまざまなナリワイを状況に応じて適宜組み合わせることで、多角的な家計運営を行っていた。

百姓たちがそうしたナリワイのポートフォリオを作成するにあたって、そのためのさまざまな資源・環境を提供していたのが、村落を取り巻く里山であり林野であった。それらは共有地(コモンズ)として村ごとに共同管理されていたが、その経済的・社会的価値ゆえに、村と村の境目ではしばしばコモンズの帰属をめぐる領土争いが勃発したという。

百姓たちの、ときに領主層を巻き込んでの領土争いは、当時の裁判記録に詳細に残されており、本書の記述もそうした裁判闘争を再現しながらなされる。山形の私たちにとって興味深いのは、出羽国村山郡における山口村と田麦野村(どちらも現・天童市)の山争い裁判が詳細に再現されている点である。そこには、限りある資源をめぐって争いあう中にも、むきだしの暴力を回避するやりかたやほどほどで相互に矛を収める工夫などが散見される。まさに「大人の対応」。

そうした「山争い」のありようは、人口減=税収減の進行下で自治体間競争が激しさを増す現在の私たちの姿にも重なる。父祖が残してくれた知恵に学ぶべきことはまだまだ多そうだ。(了)

※『山形新聞』2017年12月13日 掲載

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