【長編小説】六花と父ちゃんの生きる道 第十一話 魚政
六花は一旦二階に降りて、自分のスマホを手に、屋根裏部屋にもどった。
お母さんのスマホは、叔母さんが解約してくれているはずだ。お母さんの身体が粉々になるような事故だったのだ。スマホが無事だったとは思えない。
魚政と町名を入れて検索すると、行きつけのお店のホームページが出てきた。
電話なんてめったにしないし、相手はお店、しかも用件は謝罪なのだから、緊張してどきどきする。
それでも謝らなければ。魚政は、いいお魚を仕入れている高級店だし、イベントのときにはスペシャルメニューを用意して待っててくれるのだ。
無断でキャンセルして、きっとすごく損をしちゃったに違いない。キャンセル料を払え、と言われてしまうかもしれない。そうなったら、もう二度と通えないだろう。
「はい、毎度ありがとうございます。魚政です。」
電話越しの声に、懐かしさがこみ上げた。大将だ。白髪の髪を綺麗にまとめ、白い帽子と白い割烹着、筋肉質な腕と、すらっとした高身長。笑顔の優しいひとだ。六花は一瞬、たじろいだ。
「あ、あの。白鷺と申しますが。」
相手が一瞬、息を飲んだ気がした。六花は身構える。
「あ。ああ! 六花さんですか? びっくりしましたよ。お母さまに声がそっくりになられて。」
大将は変わらず優しかった。「お母さまに声がそっくりに」?
このひと、知ってる。あの事故のこと、知ってるんだ。思わず声が詰まってしまう。
「ごめんなさいっ!」
相手には見えないのに、全力で頭を下げてしまった。
「あの、あの、たぶん、九月二十六日に予約を入れていたんじゃないかと思って。ごめんなさい。知らなくて。気が付かなくて。あの、あの、本当に―――」
「六花さん、大丈夫ですよ。もしかしたら、いらっしゃらないかもしれないと、思ってはいましたので。」
「やっぱり、ご存じ……。」
思いがけない大将の言葉に、胸が詰まった。
「こういう商売をしていますとね。不思議といろんなことが耳に入ってくるものなんですよ。お母さま、やっぱり亡くなられたんですね。まさかと思う気持ちもあったんですが。
六花さん、つらい思いをされましたね。そんなときに、わざわざお電話くださって、ありがとうございます。」
優しい。まさかこんな展開になると思っていなかった。ひとのさりげない優しさに、涙がこぼれそう。
六花ひとりでも、父ちゃんとふたりきりでもなかった。頑なに、ひとりで生きているような顔をして。世界に閉じこもっていたのは、六花のほうなのに。
たくさんの優しい手が差し伸べられている。そのことに、今日やっと気づけたのだ。
「ご、ごめんなさい。ありがとうございます。」
「六花さん。もし、よかったら、なんですが。」
大将の声は、遠慮がちだった。
「はい。」
「十一月四日はお母さまのお誕生日ですよね。よろしかったら、うちへいらっしゃいませんか。ささやかですが、お食事をご用意させてください。お代はいただきませんので。このくらいしか、して差し上げられることがなくて、恐縮なのですが。」
「え!」
思わず大きな声が出てしまった。それは……ちょっと甘えすぎなのではないだろうか。六花の誕生日の分も含めて、二回も無償で出させてしまうなんて。
「あの。あの、お金は払います。と言っても、父に払ってもらうんですけど、そこまでご厚意に甘えるわけにはいきません。」
六花はきっぱりと言った。
「わかりました。六花さんはしっかりとしたお嬢さんだ。十一月四日、いらっしゃれますか? 何時にいたしましょう。」
「十九時、十九時でお願いします。」
「かしこまりました。お母さまは、白身のあっさりしたお魚、特に鯛がお好きでしたよね。六花さんは、脂の乗ったサーモンやカンパチなどがお好みで。お父さまは、断然赤身のまぐろでしたね。いろいろ取り揃えて、ご用意しておきます。」
大将は、ちゃんと好みを覚えてくれてる。六花を大人として扱ってくれるのも、昔からだ。
それだけで、この店を選ぶ理由になる。決して安くはないけれど、一流のお寿司と、一流のサービス。六花は、幼い頃から子供には分不相応な店に連れて行ってくれた両親に感謝した。
「ありがとうございます。よろしくお願いします。」
「当日、お待ちしておりますね。」
「はい! では、失礼します。」
「失礼いたします。」
誰もいないのに頭を下げて、六花は電話を切った。一瞬のちに、力が抜けてへたりこんでしまう。
「あー、緊張したあ。」
忘れないうちにと、スマホにスケジュールを登録した。父ちゃんにも伝えないと。あのひとがお母さんの誕生日を忘れるとは思えないけど。
(第十二話につづく)
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