【長編小説】六花と父ちゃんの生きる道 第七話 憧れのお店、そして祈り
エコバッグは使ってしまっていたから、三円払ってビニール袋を買った。
変な世の中だ。コロナ撲滅キャンペーンが下火になったと思ったら、CO2削減ごっこが始まった。
地球の温暖化については、いろいろ思うところがあって、六花なりに本を読んでいたりして、プラスチックを減らすことに効果があるかどうかについては懐疑的。
地球と太陽とのお付き合いはものすごく長くて、その間、太陽は常に一定のぬくもりをもたらしてくれたわけではない。
氷河期や弱氷河期のように寒いときも幾度もあったし、きっと暑いときだってあったはず。太陽だって、寿命のある生き物なんだから。
地球の生き物は生体を替えたり、滅んだりもしてきた。環境に適応したせいで、繁栄した生き物もいるのだろう。
なんでも人間がコントロールできるはず、っていう前提の考え方に、六花はそもそも馴染めない。
それでもエコバッグを持ち歩くのは、無駄に敵を作りたくないっていう保守的な思いからだった。
変なの。
レジ袋はなにかと便利で、生活に欠かせないものなのに。
六花の家では、エコバッグは使っているけど、代わりにビニール袋の五十枚入りを購入するはめになった。
ビニール袋はお店の収益。レジ袋の利益もお店のもの。別に国に役立つわけではない。
「飽きっぽいからなあ。この国のひとは。」
なんだかため息が出てしまう。私ってやっぱりすごくめんどくさい。とにかく六花はレジを済ますと、足早にスーパーを出た。
グリーンの看板の、ボタニカルショップの前を通りかかる。
ボディーソープや色とりどりの入浴剤を取り扱うその店は、通りかかるといつもいい匂いがして、ちょっと憧れている店だ。六花はその店の前で歩を緩めた。
おとなの女性のための店、という感じがして、いつも気おくれして入れなかった。置いてある商品だって、そんなに安いわけじゃないのだ。
ものすごく高いわけではないけれど、六花のお小遣いからしたら、ぜいたく品だ。でもきょうは、入ってみたくなった。
「見るだけ、見るだけ。」
香しい匂いにちょっとだけうきうきして、勇気を出して店に入る。可愛いポップが、あちこちに貼られている。六花はそれを読んで周った。
大きなバスケットのなかに、バスボムが入っている。手のひらで包むよりちょっと大きいくらいの、色とりどりの入浴剤だ。もちろんお風呂一回分。使い切りの商品だ。
「一個三百円。三百円かあ……。」
六花にはもったいない金額だ。でもきょうは、なんだかそんな贅沢がしてみたくなった。
「父ちゃんもお風呂に入れないといけないし。わかんないけど、たぶんずっと入ってないと思うし。」
自分に言い訳してみる。並んだポップに、香りの説明がしてあるので、端から読んでみる。オーシャン、ラベンダー、ローズ、ホワイトムスク……。
「え、キンモクセイ? キンモクセイの香り、あるんだ。」
柔らかいオレンジ色のバスボムをひとつ、取り上げてみる。おそるおそる鼻を近づけてみたが、透明なビニールでがっちりコーティングされているので、香りはしなかった。
意を決して、キンモクセイの香りのバスボムを、ひとつだけ取り出すと、レジに持って行った。
緑色のエプロンを着けた、髪の毛のさらさらな店員さんが対応してくれる。彼女の髪はかなり明るい栗色に染められていた。
いいな。早くおとなになりたいな。髪の毛染めたり、ネイルしたり、いい匂いのお風呂に毎日入って。上品な化粧をして、知らないお客さんにもにっこり微笑んで。
余裕あるっていうか、花盛りの年頃っていうか。うらやましいな。
店員さんはバスボムひとつを、小さな緑の紙袋に入れてくれた。六花は店を出た。
買い物も終わりに近づいていた。あとは最初に見た花屋さんに行って、ミニブーケをふたつ買って帰るだけ。
店頭に並んでいるブーケのなかから、柔らかい色合いのものをふたつ選ぶ。優しい藤色、控えめなピンクや黄色、白い花もちょっと入ってたほうがいいかな。できれば青い色味が欲しいな。青くて小さな、可愛らしい花。
六花は似たような印象だけど、ちょっと色味の違うブーケをふたつ買った。
ひとつはおうち用。ひとつは、事故現場用。花すら捧げてなかったなんて、寂しいはなしだ。大切なひとには花を。これからは、欠かすことのないように。
毎日のように捧げることを考えると、あまり高いものは選べない。五百円のミニブーケで精いっぱいだ。
事故現場に行って、菊の花束の横に並べてみると、六花のはやっぱりとってもちっちゃくて、一瞬、気おくれがした。
小さくても、色鮮やかな花たちが、背中を押してくれる。六花は菊の仏花に、ひとり話しかけた。
「お母さん、ただの死んだひとじゃないんです。ちゃんと個性もあるし、歴史もあるし、思い出もあるし、好みもあるんです。ちゃんと生きてたんです。そんな死んだひとに贈るみたいな花、置かないでほしいの。六花のお母さんは、こういうひとです。」
菊の花の隣に置いた、小さく、優しい花々を見やった。菊を献花してくれているひとに、思いが通じるはずもないことはわかっていた。六花はお母さんに聞こえるように言ったのだ。
六花は荷物を下に置き、手を合わせて深々とお辞儀した。
いままで来なくてごめんなさい。私、怖かったの。お母さんはもっと怖かったはずなのに、もっとつらかったはずなのに、思いやりが足りませんでした。優しさが足りませんでした。これからは毎日来るから。必ず来るから。
ごめんなさい。許してください。幸せに、なってください。父ちゃんと六花は、なんとかがんばって生きてみます。見守ってくれなくていい。いつかまた産まれて、新しく幸せな人生を歩んでください。
六花は顔を上げ、小さなブーケににっこり微笑んだ。がんばろう、がんばろう。お母さんが産み出してくれたこの命、精いっぱい生きてみよう。
哀しみは湧かなかった。こころのなかに、小さな灯がともる。荷物を持ち上げると、もう一礼して、家への道を歩みだした。
まずは父ちゃんをなんとかしなくちゃ。ずっとほったらかしてあげるほど、六花は優しくありませんからね。
(第八話につづく)
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