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【長編小説】六花と父ちゃんの生きる道 第九話 お母さんの恋路

(これまでのおはなし)
 小学六年生の六花は、突然の交通事故でお母さんを亡くしたばかり。父ちゃんはショックで寝込んでしまった。六花は学校に行っていない。父ちゃんは会社に行っていない。
 買い物から帰ってきた六花は、お母さんの遺影になる写真を探すために、屋根裏部屋のお母さんの小部屋を訪れる。昔の写真のありかはすぐにわかったが、ひとつだけ、鍵のかかっているアルバムを見つけてしまうのだ。

 もっとも、とても簡単な錠前だったし、鍵はびっくりするほどすぐ見つかった。棚の上のガラス瓶のなかに、鍵ひとつだけが入っていた。たぶんこの鍵で間違いない。

 まるで見つけてくれと言わんばかりに、置いてある鍵。じゃあ、なんのための鍵? 六花に見つけてもらいたかったのだ、と、お母さんが言っている気がした。

 瓶から鍵を取り出し、恐る恐る差し込むと、あっけなく鍵は開いた。六花は恐ろしくなり、心臓がばくばくと音を立てる。お母さん、一体なにを残したの?

 机に置いたアルバムの上に、そっと両手を乗せる。落ち着け、落ち着け、私。だいじょうぶ。怖くない。

 最初のほうから数ページ、足早に見て、六花はたまらずアルバムを一端閉じた。これ、六花に残したものなんかじゃない。お母さんはきっと、誰にも見せないつもりだったんだ。一生涯、誰にも。

 そりゃそうだよね。こんなに若くして、買い物帰りにいきなり死んじゃうなんて、想像してるわけもないよね。病気などで、ある程度死期を感じていれば、きっと処分した類のものなのだろう。

 六花は自分の胸に、両手を当てた。落ち着け、落ち着け、私。ちゃんと見るんだから。

 最初のほうは、高校時代ぐらいに撮られたものだった。先輩のような男の子と、手を繋いだ写真だったり、バックハグされて笑顔で自撮りしたものだったり。もちろん父ちゃんではない。別人物だ。

 ふたりは鎌倉に行ったらしかった。大ぶりの天丼を前に、笑顔をみせるお母さん。撮影したのが父ちゃんでないことを思うと、父ちゃんがこのことをおそらく知らないのだと思うと、胸が痛んだ。

 お母さんの恋のお相手は、めまぐるしくほかの男へ変わっていく。美人のお母さんのことだから、相手の男たちもそれなりにかっこいい。たぶん父ちゃんよりかっこよく、父ちゃんよりも色気がある。

 六花はいちいち感情を込めて、写真を見ることをやめた。できるだけ冷静に。他人の青春を覗き見ている感じで。

 お母さんの恋の相手は、スポーツマン系から芸術家系に変わってゆく。年上が好みだったようだ。芸術家系の男たちの撮る写真は、とても雰囲気がある一方で、刺激が強すぎた。

 唇を重ねながら撮った写真、シーツの上で指を絡ませ握っている手の写真、無防備に、うつぶせに寝ているお母さん。お母さんはなにも身に着けていなかった。シーツに押しつけられた胸のふくらみがお母さんのなかの女を感じさせてぎょっとした。

 眠っているその顔が天国にいるように幸せそうで、六花は嫉妬した。なにごとか、当然あっての、この顔なのだろう。六花の知らない世界。六花の知らない、お母さんのなかの女。

 さらにページを繰ってゆくと、またタイプの違う男たちが現れる。サラリーマン風の男たち。海辺のテラスで、夕陽をバックにカクテルを傾けるお母さん。口にマスカットを一粒放り込まれているお母さん。なんだか、エロい。六花は何度も悶絶した。

 相手が社会人になってくると、旅行の写真が多くなった。国内外問わず、お母さんは相当旅行したようだ。この辺りにたくさんのページが割かれていた。

 白川郷の天井の高い家や、竹富島の可愛らしいおうち、ディズニーのランドに面しているホテルなど、いろいろなところに泊まっていた。

外国となると見当もつかないが、南の島のリゾートプールで大きなグラスに入ったカクテルを呑むお母さん、夕景で、水着に透けるような羽織ものを着て、セクシーだ。

 ヨーロッパらしい石畳の古い町並みで、見たこともない野菜の並ぶ市場を見ているお母さん。ニューヨークらしい街並みを、ジーンズと黒いメンズライクなコートで歩くお母さん。

 この頃の恋人は、相当羽振りがよかったようだ。豪華なクルーズ船に乗ったり、飛行機は、テレビでしか見たことのない、ファーストクラスだ。気になったのは、男の年齢がかなりいってそうに見えたことだ。四十代を下回ることはないだろう。もしかして、妻帯者だったのでは……。そう浮かんで、六花は大きくかぶりを振った。

 決めつけはよくない。すべては終わったことだし、いまとなっては、本当のことなんてわかりはしないのだから。

 写真は、コスモス畑で目を閉じて、うっとりしているお母さんの横顔で終わっていた。ちょっと陽が傾いてきて、逆光になりつつある。

 光に包まれたお母さんは、とてもとても美しかった。切なさと幸福感が、見るものの胸に同時に入り混じる、いい写真だった。

 やっぱり父ちゃんは出てこなかった。これは秘密のアルバムなのだ。お母さんが父ちゃんと結婚したのが二十六歳のとき。それより前に、お母さんは六人もの男と付き合っていたのだ。

 写真には全て、年月日が印字してあって、どの写真も結婚の一年半ぐらい前までに撮影されていたから、父ちゃんと大きく被っていたことはないのだろう。お母さんは綺麗なひとだし、清楚で優しく、温かく、そして男たちにとってセクシーでもあったのだろう。

 だけど、だけど……。消化しきれないものが、胸に残る。

 六花は恋など知らないし、これから先も、恋愛に熱くのめり込むようなことなどないような、そんな予感がしている。お母さんには、たぶん一生敵わない。

 たくさんの、自信ありげな男たちを夢中にさせて、お母さんは楽しかったんだろうか。写真のなかの彼女は、そのときそのときの恋人にちゃんと惚れているように見えた。いつも瞳がうっとりして、濡れているように光っていた。

 わからない。わからないよ、お母さん。恋ってそんなに素敵ですか? めんどくさくはないのですか? そしてなにより、最後に選んだのが、なんでよりによって父ちゃんだったのですか?

 六花は父ちゃんのことが大好きだ。単純で、純粋で、たくさん愛をもったひとだ。だけどお母さんが付き合ってきた六人の男性に比べて、明らかにセクシーじゃないし、大人っぽくもないだろう。頼りがいもないし、子供のまま大人になったようなひとだ。

『それでも好きなのよ。あのひとのことが。』

 お母さんの声が聴こえたような気がして、はっとした。いつか、言っていたのだ。確かにそう言っていた。父ちゃんのことが好きなのだと。

 あれはいつの日のことだったのだろう。思い出せ。大事なことだ。


(第十話につづく)

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