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【マキアヴェッリ語録】 第13回
マキアヴェッリ語録
🔷 塩野七生さんの『マキアヴェッリ語録』からマキアヴェッリの言葉をご紹介します。マキアヴェッリに対する先入観が覆されることでしょう 🔷
7年前にブログで投稿した記事を再構成し、時には加筆修正して、お届けします。(2015-06-28 17:12:06 初出)
目的は手段を正当化する
マキアヴェッリ(日本ではマキャベリと表現されることが多い)は『君主論』の著者として知られ、「マキャベリズム」が人口に膾炙しています。
その思想を端的に表現する言葉は、「目的は手段を正当化する」です。
目的のためならどんな手段を講じてもかまわない、と解することが多いですね。
実は、私もこの書を読むまではそのように解釈していました。
言葉を文脈の中で解釈せず、言葉が独り歩きすることの怖さは、風説の流布でも経験することです。
福島第一原発事故以後、周辺にお住まいの方々は風説の流布に悩まされ続けています。拡散した誤情報はさらに誤情報を加え、拡大していきます。
容易に訂正されることはありません。
話しを戻しますと、マキアヴェッリの実像はどのようなものであったのか、そして「目的は手段を正当化する」と言っていることの真意は何だったのか、を知りたいと思いました。
先入観を取り払い、大前研一さんが言う、「オールクリア(電卓のAC)」にしてマキアヴェッリの説くことに耳を傾けることにしました。
マキアヴェッリは、1469年5月3日にイタリアのフィレンツェで生まれ、1527年6月21日に没しています。15世紀から16世紀にかけて活躍した思想家です。500年位前の人です。
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塩野七生さんは、「まえがき」に代えて「読者に」で次のように記しています。塩野さんが解説ではなく、また要約でもなく、「抜粋」にした理由を説明しています。
尚、10ページ以上にわたる説明からポイントとなる言葉を「抜粋」しました。
塩野さんが解説ではなく、また要約でもなく、「抜粋」にした理由
この『マキアヴェッリ語録』は、マキアヴェッリの思想の要約ではありません。抜粋です。
なぜ、私が、完訳ではなく、かといって要約でもなく、ましてや解説でもない、抜粋という手段を選んだのかを御説明したいと思います。
第一の理由は、次のことです。
彼が、作品を遺したということです。
マキアヴェッリにとって、書くということは、生の証あかし、であったのです。
マキアヴェッリは、単なる素材ではない。作品を遺した思想家です。つまり、彼にとっての「生の証し」は、今日まで残り、しかもただ残っただけではなく、古典という、現代でも価値をもちつづけているとされる作品の作者でもあるのです。生涯を追うだけで済まされては、当の彼自身からして、釈然としないにちがいありません。
抜粋という方法を選んだのには、「紆曲」どころではないマキアヴェッリの文体が与えてくれる快感も、味わってほしいという私の願いもあるのです。そして、エッセンスの抜粋ならば、「証例冗漫」とだけは、絶対に言われないでしょう。
しかし、彼の「生の声」をお聴かせすることに成功したとしても、それだけでは、私の目的は完全に達成されたとはいえないのです。マキアヴェッリ自身、実際に役に立つものを書くのが自分の目的だ、と言っています。
お待たせしました。マキアヴェッリの名言を紹介していきます。
マキアヴェッリの名言
第1部 君主篇
優れた指揮官ならば、次のことを実行しなければならない。
第一は、敵方が想像すらもできないような新手の策を考えだすこと。
第二は、敵将が考えるであろう策に対して、それを見破り、それが無駄に終わるよう備えを完了しておくこと、である。
敵の計略を見ぬくことほど、指揮官にとって重要なことはない。
だが、このことほど優れた資質を要求される能力もないのだから、これに恵まれた指揮官は、いかに賞賛されたとしてもされすぎることはないのである。
そして、敵の行動を予知するよりも、敵の計略を見ぬくことのほうが、容易である場合が多い。
なぜなら、行動ともなると、遠くに離れていては予知など不可能なものだが、計略の予知ならば、離れているほうがかえって有利なものだからである。
金銭で傭うことによって成り立つ傭兵制度が、なぜ役立たないか、の問題だが、その理由は、この種の兵士たちを掌握できる基盤が、支払われる給金以外にないというところにある。
これでは、彼れの忠誠を期待するには少なすぎる。彼らがその程度のことで、傭い主のために死までいとわないほど働くと期待するほうが、甘いのだ。
だから、指揮官に心酔し、その下で敵に勇敢に立ち向かうほどの戦闘精神は、自前の兵士にしか期待できない。
マキアヴェッリの語る言葉は深い
🔶 マキアヴェッリの語る言葉は深い、と思います。
マキアヴェッリは人間観察に優れた人だった、
と想像します。心理学にも長けていたのでしょう。
「君主」を「リーダー」に置き換えて考えてみるとより身近に感じられるでしょう。
🔷 「備えあれば憂いなし」ということわざ通りですね。
あるいは、『孫子の兵法』で有名な言葉で、
「彼れを知りて己を知れば、百戦して殆|《あや》うからず」
と通底する内容です。
マキアヴェッリ語録の内容は、優れた戦略論の総集編でもあります。
⭐️ キーセンテンス
指揮官に心酔し、その下で敵に勇敢に立ち向かう
ほどの戦闘精神は、自前の兵士にしか期待できない
フランスの外人部隊が有名ですね。
グリーンベレーにサングラスをかけた、一見するとクールな兵士が映画に登場することがあります。実際の姿かどうかは分かりません。
マキアヴェッリの言葉に従えば、外人部隊は「傭兵」なので、フランスのために敵に立ち向かうほどの戦闘精神は期待できないことになります。
実際はどうなのでしょうか?
調べてみました。データが見つかることは、あまり期待していませんでした。
検索してみたところ、フランス外人部隊に入隊した日本人の評判についてのレポートが見つかりました。
少々長いですが、抜粋してお伝えします。
フランス外人部隊と聞けば、さぞ精強で屈強な猛者が集まる集団と誰もが思うだろう。
たしかに各国から集まった命知らずの男たちが集う精鋭の軍事組織であることはいまも昔も変わりはない。
だが、このフランス外人部隊にも時代を経るに連れ、緩やかながら変化が起こっているという。
フランス外人部隊に在籍している日本人・A氏(30代)はその実情を次のように明かす。
フランス外人部隊では、入隊時にフランス語が話せなくても入隊試験はクリアできるという。
事実、入隊試験は日本語でも実施されているのだ。
その試験内容は日本の公務員試験同様、数的推理、判断推理、空間把握や、地図の把握など基礎的知能を問うものだ。
日本人なら中学校卒業ないし高校1学年修了程度なら、まず合格できるレベルだそうだ。
意外にも入隊へのハードルは低い。
合格し入隊が決まると、いよいよ“精強部隊”への仲間入り。
巷で言われる“地獄の訓練”がはじまる。
この最初の訓練時に脱落する者がもっとも多いという。
しかし、日本人が脱落する理由は、フランス外人部隊で頑張っている現役の日本人兵士をがっかりさせるにあまりあるものばかりである。
「自分が除隊を申し出た日本人兵の通訳を担当した者のなかには、『親の家業を継ぐことが決まった』『すぐに戦場に行きたいのに、なかなか機会がない』『雑用ばかりで本物の男になれなさそうだから』などなど、ナメた理由ばかりです。
日本人の評判が悪くなるのも頷けますよ」(同)
「訓練や任務についていけないなら、そう正直に話してくれればいいんです。それをああだこうだ理屈を並べ立てて……。
同僚の外国人兵からも、『やっぱり日本は恵まれた国だ』とバカにされています」
いくつかの紛争国に実戦参加経験もあるA氏は、「軍隊などどこの国でも日常は雑用ばかり。草むしり、掃除、体力練成が続く。自分も実戦に参加するまでは本当にこれが実戦に役立つのかといつも疑問を抱えていた。
しかし最初の実戦に参加してその考えは一変しました。
雑用ひとつこなせない人間は実戦では何の役にも立たないと」(同)
こう話す彼の目が静かに鋭く光った。フランス外人部隊が、“外資系企業”への就職と同列に扱われる日本の実情は、フランス外人部隊の現実とはあまりにもかけ離れている。
この話は、1例にすぎないと思いたいですが・・・・・・
戦場に向かうには、生易しい気持ちでは、到底、兵士として持続できるはずがありません。
まして、その前段階で除隊するくらいなら、最初から入隊してはならない、と思いました。
私は、戦争反対の立場ですし、安倍首相の憲法第九条改正には納得できません(最初の投稿当時のことです)。
『リーダーシップの本質』
堀紘一氏の『リーダーシップの本質』と対比していただくと、興味深い事実を発見できると思います。
🔷 著者紹介
塩野七生<著者紹介から Wikipediaで追加>
日本の歴史作家、小説家である。名前の「七生」は、ペンネームではなく本名。
東京都立日比谷高等学校、学習院大学文学部哲学科卒業。
日比谷高時代は庄司薫、古井由吉らが同級生で、後輩に利根川進がいて親しかった。
1970年には『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』で毎日出版文化賞を受賞。
同年から再びイタリアへ移り住む。『ローマ人の物語』にとりくむ。
2006年に『第15巻 ローマ世界の終焉』にて完結した(文庫版も2011年9月に刊行完結)。『ローマ人の物語Ⅰ』により新潮学芸賞受賞。
99年、司馬遼太郎賞。
2002年、イタリア政府より国家功労勲章を授与される。
2007年、文化功労者に選ばれる。
高校の大先輩でした。
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