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【読書感想】朝井リョウ『何様』

2020/01/05、 読了。

朝井リョウ『何様』

直木賞作品の『何者』のスピンオフ作品集。『何者』の登場人物たちの前日譚や後日譚などが6編、収録されていた。

私は1編目と3編目を数年前に読んでいたけれど、順番は飛ばさずに読んだ。その時は大なり小なり心に響いたと記憶していたのだけれど、二度目に読んだら全く響いてこなくてビックリした。 

「朝井リョウ読んで響かないってどういうこと?!」と動揺した。それ程までに朝井リョウの作品は私を不安にさせたり、怒らせたり、落ち込ませたりしてきた。不感症になったのだろうか、丸くなりすぎたのだろうか、と色々考えたけれど、多分、朝井リョウの強度ラジオリスナーであることが一番の要因である気がする。「おっ、テラハだ」「おっ、結婚式エピソードだ」と、ラジオのフリートークが頭を過る。その念を振り払って本の世界に没入できなかった。

没入できないという不安を抱えながら読んだが、一つだけぐわっとのめり込めた作品があった。5編目の『むしゃくしゃしてやった、と言ってみたかった』。瑞月の父親の話で、私と年齢も近かったので、諦念というかお先真っ暗感が理解できた。大人の話の中にも幼さがあって、そこがよかった。

解説で、若林正恭さんが「若い頃の自意識過剰と再び向き合わなければ解説が書けそうにない」と書いていたのが印象的だった。

若林さんの解説を読んで、すごく腑に落ちた。若林さんの「青いものを失った痛みと恨みが今もまだ心の中に沈殿している」というところは、昔の自分にも愛おしさがあっていい。ほんといい。

なんだか知らない間に、私は過度な自意識地獄から足抜けしていたようだ。

あの頃の自意識は置いてこられたのか。

正しく老いていることにホッとするとともに、どこか寂しくも思う。

朝井リョウの作品が刺さらないことに動揺しているという、「今の自意識」を意識させられることが朝井リョウの作品の力かもなあ。

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