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高齢者だろうが容赦しない

前回のイケズ話の続編です。母と娘の日常的なひと悶着。


ある朝、高齢母が右肩を痛めて腕が上がらなくなった。痛みのあまりロクに眠れず、服を着るにも腕が痛すぎてツライのだという。だから「服を脱ぐのを手伝って」といわれた。わたしがイライラしながら服を引っ張ると「痛いっ。もっと優しくしてよ」と不機嫌そうに顔をしかめる。左を先に脱がせ、傷めた右はあまり動かさずに済むようにやり方を変えたら無事脱げた。ただ、「もう二度と手伝わない。あとは自分でやれ」と突き放した。その場を去ろうとすると、後ろから「はぁ…」とわざとらしい溜息が聞こえたのでスルーした。


さて、今回もイケズをしてやった。高齢だろうが絶対に容赦しない。


***


さかのぼること1週間。


すでに右肩の前兆はあった。「ちょっと右肩が痛いんだわー」とぼやく母に、わたしは「整体かマッサージに行けば?」と勧めたのだが、母は「大した事はないのだから、そんな必要はない」と突っぱねた。


「原因に心当たりは?」と聞いたがまったく分からないという。いや、わかるだろ! と言いたいところだが、日ごろから自分の身体に意識を向けていない人間は本当に分からないのかもしれない。


心当たりがないのであれば、わたしが見るに、スマホの使い過ぎじゃないかと思った。


母は文字を打つのも検索するのも異常に遅い。ラインを数行打つより電話する方が早いだろ、というくらい遅い(音声入力にしたらとアドバイスをしても聞かない)。


その姿をたまに遠目で見ているのだが、「あの姿勢で固まっているとどこか痛めるだろう」と思う。ここ最近、スマホいじりが増えたように見えたので、これが原因じゃないかなと思い当たった。


「いまはスマホを控えるとか、姿勢を工夫するとかしたら」というと、「スマホが原因なわけない」と一蹴された。あーそうですかい。右肩の痛みと言われても程度が分からないし、本人がいいというならそれ以上何も言えない。

ただわたしは母の身体に対する意識——、というかすべてにおける客観性を信頼していない。


母は趣味で卓球をしていたり、小さな庭で畑仕事をしたりと、多少は身体を動かすものの、正しい身体の使い方をしているようには見えない。そして基本的に楽をしようとするタイプ。
一見、元気に見えるが筋力はない。卓球は一応スポーツだが、母のレベルは上半身を動かすだけで足腰は鍛えられていない。身体を痛めた時に、自分なりに原因を探るような客観性は持ち合わせなさそう。


そんな様子を見て、「現代は放っておいたら身体を使わなくても生きていける。だから意識しないとどんどん衰えてしまう。長く元気に過ごしたいなら、トレーニングとか行った方がいい」と、以前からたびたび勧めていた。
最初は興味なさそうだったのが、わたしがあまりにしつこいので、ようやく自治体主催の無料ウォーキング教室は行くようになった。

しかしいくら教室とはいえ、無料はあくまで無料。トレーニングはド素人の母だから、次の段階として「お金を払って細かく指導してもらった方がいいよ」とアドバイス。しかし、「そこまでする必要ない」とのことだった。


母は長期的視点がなく、目先の利益を優先することをよーく知っているので、別の方面からもアドバイス。

「あのね、身体を痛めてから治療したり、もっとひどくなって入院とかすることになったら、そっちの方がお金かかるよ? 元気な時にお金をかけるともったいないと思うかもしれないけど、将来的に考えるとこっちの方がずっと安い。保険だよ保険」

みたいなことを言うと、マネーLOVEの母には響いたらしく、ちょっとは聞く耳を持つようになった。


そんなある日、偶然にも近所にパーソナルジムを発見。集団行動をあまり好まない母は、多少値が張ってもパーソナルの方が絶対に良いはず。徒歩圏内というのも出不精な母にはもってこい。

「こういうの、絶対いいよ」と勧めるが、しかし相変わらず興味を示す様子はなかった。まあ、そうだろうとは思ったが。


しかし今回、右肩が痛くなったのをきっかけにやっと興味を持った。ちょうどその時に、母の卓球仲間がヒザを痛め、想像以上に重症だったのを目の当たりにしたらしく、危機感を覚えたらしい。


ただ、痛くなってからパーソナルトレーニングは遅いだろう。「やるとしても、とりあえず治してから始めた方がいい。整体かマッサージ行きなよ」と再度勧めたが、それでも母はかたくなに拒んだ。

母がパーソナルに連絡したところ、いまトレーニングの予約は受け付けていないので、とりあえずヨガをすることにしたらしい。


今トレーニングをするのは逆効果だろうから、ヨガもどうかと思ったがトレーニングよりはまだマシか。やっとパーソナルに興味を持った母に水を差すのも何だから、見守ることにした。トレーナーもプロだから無理はしないだろう。

すると人生初のヨガは想像以上によかったらしい。しかも右肩も楽になったという。「次も行きたい」と楽しそうなので、結果オーライならそれもいいか、と思った。


しかし翌日。

母は卓球の試合に行った。初めて参加する小さい内輪の大会で、行っても行かなくてもいいレベルだったようだが、参加賞に”おいしいお菓子+卓球グッズ”がついている。せっかくだし、チームの付き合いもあるし、ということで参加したところ、レベル的にも雰囲気的にも母には合っておらず、「今後は不参加にしようかな」といっていた。


その晩、右肩に急激な異変が起こった。一昨日より「痛い」という回数が増え、ちょい辛そう。ただし、まだ日常生活に支障をきたすレベルではなかった。


「スマホ、今は止めておいたら?」とまた言ったが、「スマホでそんなことになる訳ないでしょ」とまた否定。


そして翌朝。激痛で腕が上がらなくなってしまった。そして冒頭のワンシーンときたワケ。


おーおーおーどう考えても自業自得だろ


母はここにきてようやく「接骨院いってくる」と朝イチで行った。遅い、遅すぎる。ヘタしたら整形外科レベルだ。


先生は状況を重く見たのだろう、かなり丁寧な施術をしてくれたらしい。負担がかからないように骨折した人みたいに右腕をつって、「早く治した方がいいので、今日午後に来てもいいくらいです」と言われたとか。ほれ見ろ。

右腕を吊った痛々しい姿も、冷めた目でしか見られない。それで「服が脱げない」とヌカスので、「楽できるように吊ってくれただけで、骨折してるんじゃないんだから、自分でゆっくりやんな」と突き放した。

腕を吊るのはいいんだけど、重症患者に見えるのが良くない。自他共に重症感が増す気がする。


わたしのアドバイスを聞いていたり、自分なりに治す努力をしていたならまだわかる。でも、何を言っても否定するし、右肩が痛いのに大会に出るし(しかもさほど乗り気でもなかったくせにお菓子につられて)、生活態度も変えようとしない。それで案の定ひどくなったら手伝え? ふざけんな。


先週からのわたしの行動とそれに対する母の返事をイヤミたっぷりで言って聞かせるのを、母は「フン」みたいな顔をして右から左に聞き流していた。絶対聞いてねえ。「客観的に聞いてどう思う? これ、他人の話だったら自業自得と思わん? ねえねえ」

ええ、わたしゃイケズな娘だよ。でも何回でも言ってやる。

「あと、右肩痛いのにタケノコ買ってくんな。鍋持てんだろ。午後から接骨院いっとけ」


先週あたり、確かにわたしはタケノコを食べたいとはいったが、よりにもよってなぜ今日? 母ができないならわたしが茹でてあげればいいと言われそうだが、ぜったい嫌です。

母はわたしがやってくれるのを期待して、自分で料理するつもりがないくせに、頼んでもない食材を勝手に買ってくることが多々ある。そして遠回しに「作ってよ」という雰囲気を出してくる。わたしは料理好きなので気が向いた時なら良いが、そうでなければ米と塩だけでも生きていけるタイプ。直接頼む勇気もないくせに、あわよくば人を使おうとする母のズルさが胸糞悪いので、基本無視。


わたしのガミガミが終わると、母は「眠いから寝る~」と毎日欠かさないお昼寝布団を引っ張り出し、ものの数分でイビキをかき始めた。いや、しっかり寝とるやんけ。外でものすごい工事の音してますけど?


まあ、今回は小話で済んだけど、努力しない人が歳をとって身体にガタがきやすくなるのは自明のこと。ケガや病気は歳を取るにつれ増えてしまうし、何かあったときは協力しなきゃとは思うけど、人のアドバイスも聞かず、案の定の事態になって「ケガしたんだから助けろ」って言われてもヤだよ。

そういや「接骨院の先生は優しく服脱がせてくれたよ」と母は本気か冗談かよく分からん感じで言ってきた。

「客なんだからあたりめーだろ!」まったく。「無条件に優しくしてもらいたかったらお金ばらまきゃいい。ゼロが増えるほど優しい人増えるよ」と言っておいた。

母はブスっとしてテレビを見ていた。


<完>
(続きませんように)


書いてみて気づいたけど、前とパターンが一緒だな…



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