グループワークの可能性を突き詰める【仲間×グループワーク研究会@GRANDSLAMのあしどり】
今年のはじめから「グループワーク」の可能性を探求する会を大阪福島のコワーキングスペースGRANDSLAMで始めています。
研究会がはじまったキッカケや主旨はコチラのnoteを読んでみてください。
会場は毎回大阪福島のコワーキングスペースGRANDSLAMです。
ここまで月1回、計6回実施してきたので、それぞれどんな企画を実施してきたのかを振り返ってみたいと思います。
vol.1 研究会キックオフ 2024/01/30(火)
★やったこと
①会の趣旨を共有
②「グループワーク」に対して感じていることを共有
フラットに話すことでのちのグループワークに向けて少しずつエンジンをかける
③グループワークやってみよう!
実施内容
(1)みんなの座右の銘当てクイズ
(2)座右の銘を統合して一つのコンセプトを導き出す
★ふりかえり
それぞれの座右の銘を書いてもらった紙を集め、それが誰の座右の銘なのかを当てるクイズ大会。その前の自己紹介や事例共有なども含めて相互理解に繋がりそうなワークでした。
さらにみんなの座右の銘が分かったあとはチームで一つの座右の銘を作るワークに。誰かの座右の銘を使うわけではなく、みんなの座右の銘が持っている要素を掛け合わせたうえでまた異なる言葉を導き出すワーク。チームビルディングに繋がる可能性を強く感じました。
vol.2 レゴシリアスプレイ×グループワーク 2024/02/26(木)
★やったこと&感想
前回参加いただいた方の中からレゴシリアスプレイのファシリテーター資格を持っている方がいたため、グループワークでの活用を模索してみました。隠れた内観を可視化する対話手法で「思考」先行ではなく「手を先に動かして」そこから生まれてくる「意味」を見出していくようなワークです。
【参加者の感想】
・レゴの使いやすさが面白い
・組み合わせていくところが面白い
・距離感を表現できる
・スイッチが入る瞬間がある
・みんな遊び心を持っている
・言葉が先行するワークだと「期待されていそうなこと」を答えてしまう
・言葉だと優劣が出るが、レゴは正解がないのでフラット
・どうしても頭で考えてから動いてしまう
・「自分に向き合う」×「没頭する」という時間自体がないから意味がある
★ふりかえり
☆感性と論理の両駆動
ホント面白いワークだなと思いました。言語・論理的な思考エンジンと感覚・感性的な思考エンジンの両方を駆動させている感じが今までにない感覚です。この「両方の駆動」をまず感覚・感性からスタートさせることがコツなんでしょうね。
僕はワークを通して「手に考えさせる」ことをするために、まずは論理スイッチを自分の中でオフにしようと試みてみました。どうしても「信頼か、うん、きっとこんな形状だろうな」と言うイメージを描いちゃうのですが、そこをグッと堪えてまずは何も考えずにブロックを積み重ねていってみるわけですね。
ある程度の形が出来上がってくると、その形状が「何か」に見えてくる。ここで「見立て」の思考回路が発動しています、「見立て」は感性と言語の中間地点ぐらいの思考エンジンな気がします。その先に「見立て」と「問い」をくっつけるわけですが、ここはアナロジー的な思考の使い方です。
僕の場合は途中組み上がってきたカタチが「ボロボロの宇宙船」に見えたことから、テーマの「信頼」と関連させて一つの物語を作り上げ、その物語に必要なモノを補完すると言う作り方をしました。
まとめると、①手を動かす(感性の駆動)→②見立てる(感性と論理の橋渡し)→③問いとの接続(アナロジーによる意味づけ)→④物語を描く(ナラティブによる意味づけの補完)でした。いやぁ、すごいワークだ。
「直感と論理をつなぐ思考法」という本に、このような感性を先に駆動させてから論理と繋いでいくアプローチが紹介されています。結構僕も影響を受けた本なので興味ある方はぜひどうぞ。
☆バックキャストかフォアキャストか
ちなみに、最初に「こういうカタチを作ろう」とイメージして作り始めるのはバックキャスト的な思考のアプローチです。僕らの一般社会やビジネスの現場などではこの思考様式で動いているものが多いです。
一方で「手を動かして何も考えず作ってたら何かに見えてきた」はフォアキャスト的な思考のアプローチです。実は最近この思考アプローチの価値が見直され始めてきていて、エフェクチュエーション理論や計画的偶発性理論もフォアキャストの世界観で生まれたものだと感じています。
この両方の思考様式を持っているって結構大切なことだと思ってまして、今回のレゴシリアスプレイはフォアキャスト的な「立ち上がる意味」を実感できるめっちゃ貴重な機会だと思います。両方の思考様式を保つために「実感する」って、すごく大切な要素になるんですよね。
☆向き合うのではなく、同じものを見る
あと、レゴを見ながら対話する、「対話する人同士の目線が合わない」ってのもイイ工夫ですね。
どうしても「対峙する」状態だとダイレクトに人間性同士で向き合うことになり、身構えてしまうことも多いと思います。それよりも、「一緒に同じものを見る」感覚がすごく面白い。
組織ビジョンの「浸透」に際するプロセスなんかでも相手とダイレクトに対峙するというよりは、横に立って同じものを相手と一緒にみるようなアプローチを取ると有効だと感じたことがあります。
もしかしたら1on1の手法として導入できるかも?、相手とは目を合わせず一緒に一つのモノを見ながら対話する1on1とかあり得るのかも?と思ったりもしました。
vol.3 ダンス×グループワーク 2024/03/25(月)
GRANDSLAMに偶然来ていたスーパーダンサーのクロメガネさんをお誘いしてダンスとグループワークの可能性を追いかけてみました。
https://www.instagram.com/kuromegane0802/
★やったこと
☆ワークの流れ
・自己紹介&アイスブレイク
・クロメガネさんレクチャー&ワーク
・チームでダンス
・クロメガネさんのお手本
・感想
★ふりかえり
☆チームビルディングにめっちゃ効く
一体感を生むという意味でダンスはとてもイイですね。「最初はできない」→「最後はできた」になっていくプロセスはまさにチームビルディング。誰に何ができる、誰は何が得意で何が苦手を短時間でコミュニケーション取る、チームとして「できる」ようになっていくプロセスがそこにあるような気がします。
組織研修などで導入するならチームは多様性持たせるとよりグッドだと思います。中には加齢で激しい動きがストップかけられているような人もいるでしょうが、身体に制約があるメンバーがいたとしても、そのメンバー・チームだからこそのアウトプットが生み出せるはずです。
「創造性を掛け合わせる」というポイントも面白いです。個人個人のアイデアがチーム全体として一つの作品になるわけです。単に「創造性を伸ばそう!」的なワークをすると、それは個人のアウトプットを促進するようなモノになりがちです。しかし、個人の創造性がそのままチームの創造性に変化するのはダンス特有の体験であるような気がしました。
チームビルディングの成果を実感するには「動画に残す」ことが、思った以上に大きなポイントになりそうです。自分たちが踊っている瞬間は特に初心者は必死すぎて、表現しようと思ったことができているのかできていないのかが分かりません。だから、踊り終わったあとにチームの表現がどう結実したかをしっかり確認できるのがいいですね。
この「身体性のど真ん中」であるワークだからこそ生まれる気づきがたくさんでした。皆さんもコメントされてましたが、必死になるからこそ、他のことを考える余地がなくなるわけです。これは思考が集中し、一種のフロー状態に導いていくような感覚です。とくに普段の仕事って「複数の思考」を同時に走らせるような状態になっている気がするので、そこを抜け出して「強制的に集中する」仕組みはとても面白いです。
色んなワークや日常生活の中で「身体性」の持つ意味をよく考えます。身体性は与えられた「意味」が染み込んでくるという効果があります。例えばお金がテーマのボードゲームをプレイするときに、フェイクであったとしても「お札」を模したツールを使うことで「お金を得る/失う」ことの意味が強化されて染み込んできます。
しかしダンスは「意味が誰かから与えられる」わけではなく、自分の身体動作に「自ら意味を付与する」という面でより主体的です。何かのテーマを表現する、そのために何かの動きを表現する、その「意味の付与」が大きなアクションを伴っている。前回のレゴシリアスプレイでも同じように「意味付け」というアクションが起こっていましたが、ダンスもまたそこに主体的な「意味付け」があるという面で身体性の持つ効果を強めていると感じます。
そもそもクロメガネさんとお会いした段階でそのまま研究会にお誘いしたのは、前回のレゴシリアスプレイから「身体性」を軸にしたワークのあり方をより掘り進めてみると面白そうだと感じたからです。
しかし最初はほとんどの皆さんがぶっちゃけ「できるわけねぇ」的なニュアンスでの気弱発言ばかりでしたが、終ったあとには「できる・できない」ではなく「楽しかった!」な感想がいっぱい出てきたのがダンスの価値を象徴していたように感じます。イイ時間でしたね!
vol.4 交流会×グループワーク 2024/04/25(木)
4回目ということで少し人数の定員を増やして「交流会」をやることにしました。その交流会にどんなグループワークを組み込めばより効果的になるかを考えてみた企画です。
★やったこと
①開始前のポカポカタイム
→バカッチェですでにスタート前から盛り上がる
②会の趣旨トーク&乾杯!
→まさかの食事テーブルの周りでみんなが話し出す!、バカッチェであったまってたから?
③自己紹介ゲーム!
→嘘を交えてやるとめっちゃ面白い!
④そのままフリートーク&感想シェア
→もう一つの企画、今日はもういいやとなりましたが、またどこかでやります!
★ふりかえり
改めて今回は、割とみんなが苦手にしている「交流会」がテーマ。毎度毎度「交流会」と名の付くモノに参加するたびに、隅っこでオロオロ、名刺交換ででアタフタ、最初のテーブルで探り探り、うーむ、なんとかならんかなぁと思っていました。そもそも「自分、交流会めっちゃ得意っす!!」って人自体が少ない気もしますしね。
そんな中で、果たして「自己紹介」ってどうあるべきなのだろう、何をしたらホントにイイ自己紹介になって「交流」ができるのだろうと思ったところからの企画でした。
自己紹介って「自分のことをしっかり話す」と「他人のことをしっかり聞く」の両立して初めて成立するものだと思います。いや、今まであまりそんな意識は持っていなかったのですが、今回改めて「自己紹介」と「交流」というテーマを真正面から考えたときに、どうあっても必要なモノだと気づきました。
でも、他人の自己紹介って、そこまでちゃんと聞いてないんですよね。普通に聞こうと思っても印象にはそうそう残らない。印象に残そうとするならば、脳ミソを単に集中させるだけでなく違うモードにしなきゃいけないと感じていました。ゲームはその一つの手法、「ちゃんと聞く」だけでなく「ちゃんと聞いた情報を使って何かをする」というアクションが聞いたあとに存在するから丁寧に聞くのだと思います。
目的意識があるだけでアクションや印象は全く変わる。とは言え「他人の自己紹介」に「ちゃんと聞く」以上の目的意識を持ってもらうことは困難。だからこそ、その先のアクションがゲームとして存在することで聞き方が変わってくるという実例でした。
とはいえ、おそらくいきなりあの企画をやっても上手くいきません。バカッチェですでに場が温まっていたということが大きいですし、皆さんそれぞれ楽しみながら場を作っていく感覚でいていただいたからだと思います。
だから逆に「最初から寒々しい空気の流れる場」とか「協力的な人が少ない場」みたいな、主催者にとって地獄みたいな環境であるときに、それでも「交流会」を成立させるための考え方などは課題になるのかもしれませんね。
vol.5 ゲーム×グループワーク 2024/03/25(月)
vol.4でゲーム的な要素を取り入れてみたので、今回は直球で「ゲーム」を題材にしてみました。普段からよくゲームに関する取り組みを一緒に行う大興印刷の成尾さんに色々とゲームを持ってきていただき、グループワークの可能性を探ってみました。
ちなみに持ってきてもらったゲームは「コミュニケーションを目的としたゲーム」と「純粋に遊ぶ目的のゲーム」のそれぞれがありました。コミュニケーション目的のゲームはそのままグループワークとの相性も良いですが、実は純粋に遊ぶ目的のゲームもグループワークと相性良いのです。
★やったこと
☆プレイしたゲーム
・バカッチェ
・ナナ
・月の塔
・ときめくり
バカッチェはコミュニケーション目的のゲーム、他の3つは遊ぶための本来的な意味でのゲームでした。
☆全体の感想
・コミュニケーション目的のゲームじゃないけど知らず知らずコミュニケーションを取れていた
・大人がギャアギャア楽しめる貴重な時間
・時間が経つのがとにかく早い
・視野が広がる
・開発エピソードが面白い
★ふりかえり
このゲームという分野は僕もここ数年急に自分にとってのど真ん中テーマになってきたのでよく考えます。
ゲームとその効能を考えるときによく出てくるテーマが「目的・手段論」です。この場合、ゲームを通して得られる効能を目的に定めゲームそのものは手段と位置付けられています。
しかし、本当にそうでしょうか?
ゲームをするときに、そのゲームの先に得られる効能を目的に果たして位置付けているか。いや、おそらく多くの場合でゲームは手段ではなく目的そのものです。効能として位置付けられているものは、ゲームという目的に全力で没頭した先に生まれる「結果論」と言えるのです。
だからこそ実は「効能を目的に言い換え、そこを軸に置きすぎたゲーム体験」は「手段と位置付けられたゲーム」であり、ゲームが本来持っている「没頭性」を消失させてしまうこともよくあります。ゲームはゲームをすることそのものが目的だからこそ、その効能が結果論として得られる。
このとき、従来の「目的・手段論」のロジックは崩壊します。手段と位置付けられているものを目的と捉え直し、それを徹底的に突き詰めることで「結果論」として得られる効能が研ぎ澄まされていく。
ちょっと大袈裟な物言いではあるのですが、「ゲーム」という行為そのものが「目的・手段論」一辺倒な世の中にちょっとした風穴を開けるものだと捉えることもできる。そんなことを感じます。
ゲームとは何なのか。いや、そもそも遊びとは何なのか。
興味ある方はヨハン・ホイジンガの「ホモ・ルーデンス」やロジェ・カイヨワの「遊びと人間」を読んでみてください。この世界も他の世界と同じく「沼」ですので、ハマりにきたい方はどうぞウェルカムです。笑
ゲームって面白いですよね。
改めてそんなことを感じた振り返りでした。
vol.6 身体感覚×グループワーク 2024/06/26(水)
演劇を軸に「身体性」に意識を向けるようなワークを実践されているアサカワミトさんをお招きして、「自分の身体」だけでなく「他者とのコミュニケーション」も含めてグループワークに発展させていきました。
★やったこと
①自分を観る
1.うで、くびのイメージ
2.呼吸のイメージ
②相手と自分を観る
1.棒のレッスン
2.もたれる
☆皆さんの感想
・意識してなかったけど感覚を研ぎ澄まされるのが面白い
・棒が面白い、普通に話している場面でも圧をかけ合っている
・ペアを変えただけでもこんなに違う
・体の感覚は普段あまり意識してなかった、人とのコミュニケーションとのあり方も変わる
・カードゲームにリズムとか距離感とかも反映できると面白い
・体のどこに何があるか、筋肉や血管まで意識した
・コミュニケーションって、「発する」と「受ける」が同時に起こる
★ふりかえり
ここまでの研究会を通して、リアルな場に必ずついてくる「身体性」について考える機会がたくさんありました。レゴシリアスプレイ、ダンス、ゲームなど、それぞれ「身体性」と関連するからこそワークの意味が加速するテーマです。だからこそ今回はさらに「身体性」を突き詰めてみたいと思いミトさんにお声をかけたというところがありました。
やってみての感想は皆さんが感じた通り、とてもとても気づきの多いモノでしたね。本当は五感を通して実践していたことを、文字通り「体感」したワークだったと思います。
コミュニケーションって「どこ」でしているのかと言えば、目だけでも耳だけでもなくもちろん五感をフルに活用している。人間の情報のウン割は視覚情報だなんてこともよく聞きますが、しかしコミュニケーションにおいては語感が駆動するからこそ互換が生まれる。五感と互換と、語感がよろしいようで。
「コミュニケーションは相互作用だ」なんてことは、言葉にすれば誰でも分かっていることです。僕自身もドヤ顔でそういうことを語っていたと思います。でも、「コミュニケーションは相互作用だと実感していたか」については、今回のワークでちょっと自分自身怪しいなと思いました。言葉で「理解したつもり」になっていたことがいかにたくさんあるか。
つまりは「分かったつもりになっている」ことが、実は山ほどある。言葉では理解していつつも、それをダイレクトに体感したことがない。昔から「百聞は一見に如かず」とは言いますが、まさにこの状況ですね。僕の場合は「百聞は一見に如かず」を言葉でしか理解していなかったようです。笑
言葉として理解しているけど、身体を伴った経験として実感できているわけではないことを、ワークを通しながら実感していく。実感によって言葉で理解していたことは補強され、強い確信になっていく。もちろん身体性だけでなく言語や理論も必要で、これは両方が存在するから橋が架かるようなモノなのでしょう。
特に棒を使ったワークではそれが如実に可視化されて面白かったです。
あの「棒」って、要するに「情報」と「コミュニケーション」のメタファーですよね。でも、メタファーでありながらそれが現実に現れて実感できることに意味がある。
その中で複数人での「自分のやりたいことをやる」「他人の動きにも気を遣う」「全体を成立させ続ける」を実践しようとしたことが、まさにグループワークに落とし込んだときの、構造的なキモであるように感じました。
例えば組織活動においては「個人が自己実現する」と「チームの目的を達成する」が両方成立してこそ良い組織であるという認識は誰もが持っていることでしょう。しかしコレをグループワークの中で「ロジックで理解する」ことはできても「身体で感じ取る」ことはそう容易ではありません。でもコレは実感して欲しいし、実感するからこそ日常の中に落とし込める。
複数人での棒のワークは、それを実践・実感するための、とても面白いアプローチであるように感じました。ワークの構造として「自分のやりたいことをやる」「他人の動きにも気を遣う」「全体を成立させ続ける」をさらに強調した感じで実践し、しかも組織や個人のあり方と紐づけるようなカタチも出来そうだと感じます。
と、ここまでの6回のプロセスを見ると「身体性」をどう取り込んでいくかというテーマがよく出てきています。そして、それを取り込むためには「実感」が必須であるため体当たり人体実験方式でのワークをやっています。
今後はこの「実感」を「理論」や「事例」などとも掛け合わせ、広いテーマを含めた対話機会も増やしていきたいなと思っています。
何かが生まれる場所、GRANDSLAM
この研究会はGRANDSLAMで出会った人たちと作り上げてきています。また、この研究会をキッカケにGRANDSLAMに入り浸るようになった方もいます。
以前にもGRANDSLAMについてnoteを書きましたが、この場は本当に「共創」が起こる場だと感じます。もちろん運営する皆さんが作る空気、その場にいる人たちの作る空気によるモノだとは思いますが、それにしてもこの場の持つ「やっちゃおうか!」と思わせるチカラは凄い。
ここでは会員/非会員という区別は特に意味を持っていません(もちろん月額利用することのメリットはありますが)。僕自身はドロップインで使うユーザーですが、特にだから自分のアクションを何か制限するような思考が働くかと言えば、全くそんなことはない。
そもそもこの研究会が発足したのも、一緒に主催する寺西さんのツイートがキッカケでした。この辺りは最初にリンクを貼った研究会の主旨のnote記事を読んでいただきたいです。
研究会を進めていく中でも、例えばvol.3のクロメガネさんはドロップイン利用で初めてお会いしたときに、自然とお互いがどんなことをしているか対話しつつ、それならぜひ研究会をやってみませんか?と、その場のノリでお誘いしたようなカタチです。
僕自身、普段からそこまでアクティブに人と機会を繋ぐような行動はしていないと思いますが、おそらくはGRANDSLAMという場がそうさせてくれるのでしょう。だから、この場の面白さがもっともっと強まって広がっていくとイイなと思っています。
「やっちゃおうか」が自然と自分の中から湧き出てくる。
「やっちゃおうか」と誰かと一緒に新しい一歩を踏み出してしまっている。
これはもしかしたら、今の自分には予想もできない方向での「やっちゃおうか」かもしれません。そんな予想外な未来が突然生まれるからこそGRANDSLAMは面白い。
この先も、この場所で、グループワークの可能性を追いかけていきます。
※参加希望の方はXかFacebookでご連絡ください。
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