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自己肯定感と自己受容感にもう一つ追加したい概念

「自己肯定感」と「自己受容感」だけでは、大切なモノが欠けると思っています。世間で言われる「自己肯定感」と「自己受容感」にビミョーな違和感を覚えていました。でも何が違和感だったのかは言語化しきれなかったんですよね。

曰く、自己肯定感は自己受容感があって生まれるモノだの、自己肯定感は他に自己決定感・自己効力感・自己信頼感ほかモロモロの感情が合わさって構成されているだの、分かるような分からないような・・・と言った具合でした。

そもそも「自己肯定」「自己受容」とは、何をすることなんだろう?
そもそも「自己肯定」「自己受容」とは、何のためにすることなんだろう?
当たり前のようにサラっと流れていましたが、目的も手段も自分の中ではイマイチ刺さってきていません。

で、今回は「時間軸」から考えてみたのです。時間軸から紐解くと、なんとなく「これかな?」と思うところが見えてきたので、いつものごとく何の証拠もなき自己主張をツラツラ述べるに至ったのです。

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まずね、自己肯定って「過去」だと捉えたんですよ。

その時点で「ハァ!?、何言ってんの?」って思われるかもしれませんが、まぁ聞いてください。

僕たちが「いまここ」に存在できているのは過去の自分の「選択」があるからです。過去の自分の選択がなければいまここに自分は存在しません。もちろん主体的ではない選択もあったでしょう、選択と意識すらしていない流された選択もあったでしょう、でもその全てによって今の自分が構成されているはずです。

仮に後悔するような選択が過去にあったとしても、「いまその選択を後悔できている自分」そのものを作っているのも、同じように過去に選択してきた自分によってです。

だから、いまこの瞬間に存在する自分自身は、過去の自分の選択によってここに存在することが「できている」のです。つまり、いまここにいる自分の存在を作り上げてくれた、すべての選択を現在の自分が肯定してイイんじゃないかということなんですよね。

後悔も反省もしていただいて結構です。しかし、後悔も反省もしながら同時に肯定することが可能だと思うのです。その選択がなければ、いまの自分は生まれていないわけですから。

次に、自己受容は「いまここ」の自分に向ける態度です。いまこの瞬間にいる自分を、そのまま「ありのまま」に受け入れる態度が自己受容です。だから自己受容は過去に対してでも未来に対してでも向ける態度ではなく、ただひたすらに「いま」の自分に対して向ける態度であると感じています。そこには肯定も否定もなく、ただ受け容れる姿勢が存在するのみです。

しかし、自己肯定が過去で自己受容が現在なら「未来」はどこにあるのかと疑問がわきませんか?、ここまで言語化して僕が「自己受容」と「自己肯定」に対して抱いていた違和感が理解できました。未来がないからモヤモヤしていたんだと。

だから、未来に対する言葉を考える必要性を覚えたんですね。

でも、丁寧に過去の選択を「自己肯定」して、いまこの瞬間の自分を「自己受容」してみると、見えてくるモノがあります。未来に対するありたい姿を思い描いたときに、ならばどう辿っていくのかの道筋も見えてきます。

過去と現在と未来のすべてをつないだときに、未来は「辿り着くことのできる目的地」として目の前に現れてきます。そうなると「期待」が生まれるんですよね。だから未来に対して抱くのは「自己期待感」なんだと感じたのです。

過去を肯定し、現在を受容し、未来を期待する。
とても自分を奮い立たせる構図だと感じるんです。

もちろん過去・現在・未来の「どこ」から思考をスタートさせるかは、きっと人それぞれの特性で異なるところがあるのでしょう。でも、この3つの時間軸に立って考えたときに、すべてを満たす思考に至ることが出来れば、きっと前向きなあり方を導き出せるはずだと感じるのです。

そうそう、過去も未来もすべては「現在の自分」から見た解釈になります。ある意味で虚構の世界ではありますが、その虚構の力はとても強大で、とてもしなやかです。だから、例え虚構の力であったとしても上手く使えばいい。

いまの自分の「あり方」を整えるため、自己肯定ー過去、自己受容ー現在、自己期待ー未来の構図を有効活用していこうと、自分自身でも思うところなのです。おわり。

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