論文紹介 冷戦期に選択的な核打撃の可能性を検討した戦略理論家の考察
コリン・グレイ(Colin Gray)とキース・ペイン(Keith Payne)は1979年にソ連がアフガニスタンに侵攻した翌年にあたる1980年に「勝利は可能である」という挑戦的な論稿を『フォーリン・ポリシー』39巻で発表し、大規模な核戦争の可能性を無視した戦略理論の問題点を指摘しました。
核戦争は恐ろしい出来事であり、想像することさえ困難ですが、それは戦争である以上、軍事的観点で分析可能な事象です。グレイとペインは、核抑止が不完全であり、核戦争のリスクが完全に消滅しない現実を踏まえ、核戦争が起きた場合を想定することが必要であり、その備えがなければ核抑止の信頼性それ自体が損なわれると述べています。この論稿は1989年に『アメリカの核戦略(US Nuclear Strategy)』に再収録されています。
Gray, C. S., & Payne, K. (1980). Victory Is Possible. Foreign Policy, (39), 14-27. doi:10.2307/1148409
何百万人ものソ連市民を殺し、何千万人ものアメリカ市民の命を奪いかねない戦争の有様を想定することは政治的にも、道徳的にも受け入れ難いものです。しかし、だからといって戦略の研究者が核戦争の具体的な計画を検討しないことは責任の放棄であると著者らは批判しています。著者らは「核の脅威がアメリカの外交的手段の一部であり、核の脅威が実際の作戦の意図を反映し、つまり完全なブラフではない限り、アメリカの防衛計画立案者は核戦争で起こり得る経過を注意深く考える義務がある」と述べています(Ibid.: 16-7)。
このような議論を提起したのは、米ソ間でデタントが進んだ1970年代以降にアメリカの防衛計画で核戦争の問題を徹底的に分析することがなくなったためであり、この時期に軍事専門家の間でも大規模核戦争が戦争というより虐殺のようなものであるという見方が広がったためだと著者らは説明しています。ニクソン政権とフォード政権において国防長官を務めたジェームズ・R・シュレシンジャーが採用した1974年に限定核オプション(Limited Nuclear Option: LNO)構想のように、核戦争の初期段階で少数の核兵器を限定使用する計画が議論されるようになりました。
著者らは限定核オプションが十分な検討されていないと評価しています。当時、著者らだけではなく、さまざまな専門家がこの構想を批判していますが、著者らが問題視しているのは限定核オプションを実行した後で次にどのような行動をとるべきかが不明確なままになっているという点でした。限定核オプションを発動した後でソ連が報復攻撃を選択した場合、アメリカはさらにエスカレーションを行うべきなのか、その場合にはどのような核打撃を実施すべきなのかは曖昧なままでした(Ibid.: 18)。核打撃目標の柔軟性が戦略として機能するのはエスカレーション管理の方法に関する明確な理論がある場合だけであると著者らは指摘しています(Ibid.)。
アメリカの政治的目的と核戦略との間に一貫性を持たせるには、核兵器を使用した打撃をどのようにして戦争の終結に結びつけるのか明確な理論が必要です。言い換えれば、核戦争でアメリカに戦略的優位を確保し、戦後の秩序形成を回復するための具体的な戦略構想が必要です。著者らは、あらゆる烈度で核戦争を遂行する能力を準備しておくことで、ソ連の指導者にアメリカの核戦力は平時の核抑止のためだけに配備されているわけではないことを伝えることが重要だと考えています(Ibid.: 19)。
具体的にはアメリカは許容可能な損害でソ連を軍事的に打倒する戦略計画を立案しなければなりません。核戦略で攻撃目標とすべき対象としては、主要指導部、通信手段、国内の統制手段が挙げられており、特にソ連の治安機関をはじめとする官僚組織を機能不全にすることで混乱を波及させ、無政府状態を創出すべきだとされています(Ibid.: 21)。
当時のアメリカの戦略計画で核打撃の対象とされていたのは軍事産業のインフラや経済復興に必要な経済主体でした(Ibid.: 23)。しかし、著者らはアメリアの存続可能性を高めるには、ソ連の政治、軍事の指揮統制に対する攻撃を優先すべきであり、生き残ったエリートが意思疎通を図れない状態に置くだけでも、十分に体制崩壊を引き起こす可能性があると述べています(Ibid.: 24)。
冷戦が始まった当初から戦争における核兵器の軍事運用に関する議論はありましたが、ここで注目すべきは精密誘導の技術に基づく選択的な核打撃を実効性のある核戦略の中で位置付けようとしていることでしょう。敵指揮通信ネットワークを選択的に打撃できれば、都市住民に対する損害を回避することが可能であるだけでなく、核兵器による反撃を防止することにも寄与します。
それまでの核兵器の戦略運用としては敵核兵器を標的とする対兵力ターゲティングか、あるいは都市を標的とする対価値ターゲティングに基づいて運用されることが前提とされてきました。しかし、著者らの核戦略の考え方はジミー・カーター政権(在任1977~1981)の戦略論争を通じて浮上し、ロナルド・レーガン政権(在任1981~89)で強調されるようになる核戦争遂行論に通じるものであり、核戦略の論調が変化していく過程を示すものとして興味深いものです。