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軍事学では力、時間、空間の三要素の組み合わせとして戦いを考える

あらゆる戦いは力、時間、空間という3種類の基本要素の組み合わせで成り立っていると考えることができます(戦いの三要素)。基本的に敵と味方がそれぞれ発揮した力の優劣を明らかにすることが分析の課題になるのですが、その際に分析者は敵と味方の力の優劣が時間、空間によって変化した可能性を考慮する必要があります。

今回の記事では、戦略の研究の観点から、時間と空間が力に与える影響を基礎に立ち返って解説してみようと思います。

歴史上の戦例で見る時間と空間の影響

歴史を振り返れば、大規模な兵力を動員し、高性能な装備を運用する軍隊が、時間的要因、あるいは空間的要因のために任務を完遂できなかったことは珍しいことではなかったことが分かります。

1812年のロシア侵攻でフランス皇帝ナポレオン一世は50万名を超える大軍を引き連れてモスクワを占領することに成功しましたが、パリから2,500キロメートルも離れたモスクワで大兵力を維持することは兵站の観点から見て非常に困難でした。パリとモスクワを結ぶ道路はロシア軍の遊撃隊に脅かされ、安全に物資や人員を安全に往来させることができなくなっていました。

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冬になる前にナポレオンは和平をまとめようと、交渉を急いだようですが、当時のロシアの皇帝が頑なに交渉を拒絶したため、ナポレオンは大きな被害を出すことを覚悟の上で退却しました。その途上で多くの歴戦の兵士が命を落としたことは、その後でナポレオンが没落する一因となりました。これは攻勢作戦で部隊が基地から離れるにつれて戦闘力を低下させた事例といえます。

1754年にプロイセン国王フリードリヒ二世が引き起こした七年戦争では、時間がフリードリヒ二世に味方しました。当初、フリードリヒはシュレージエン地方の領有権をめぐって対立したオーストリアに対して先制攻撃を加え、ザクセンを占領することに成功しました。しかし、オーストリア軍はすぐに態勢を立て直してプロイセン軍に反撃しました。数度にわたる戦闘でも決定的な戦果を上げることができなかったために、戦争はフリードリヒの予想を超えて長期化してしまいました。

オーストリアに味方してフランス、ロシアも参戦してきたため、もしイギリスがプロイセンに味方していなければ、プロイセンだけで戦争を続けることは難しかったはずです。開戦から7年後の1762年にオーストリアとロシアの同盟が解消され、オーストリアもシュレージエンを奪回する意欲を失いつつあったので、ようやくフリードリヒはシュレージエンの領有権をオーストリアに認めさせ、和平を結ぶことができました。

以上の事例から、味方の軍隊の能力は敵軍との関係で相対化されるだけではなく、時間、あるいは空間の中で相対化されます。同じ兵力、装備、編成、運用で交戦するとしても、その時機や場所によって発揮できる戦闘力は変化するため、どのような条件であれば戦争目的を達成できるのかを検討することが重要です。これこそが戦略の存在意義であるともいえるでしょう。

累積戦略と順次戦略を分けてみる

戦略の研究では、空間と時間の影響をどのように分析するのでしょうか? ここでは第二次世界大戦で経験を積んだアメリカ海軍の軍人ワイリーの理論を紹介してみたいと思います。

ワイリーは時間や空間が力に及ぼす影響を考慮に入れることが戦略の研究において重要な意味を持つと考え、戦略を累積戦略(Cumulative Strategy)順次戦略(Sequential Strategy)という2種類に分類することを提案しています。累積戦略は時間の経過と関係がある戦略であり、順次戦略は空間の支配と関係がある戦略ですが、その意味をワイリーは第二次世界大戦の事例に基づいて説明しています。

当時、アメリカ軍の作戦行動には二つのパターンがありました。一つはガダルカナル島をはじめとして、飛び石のように太平洋に散らばる島嶼部を攻略していく作戦であり、これは「順次戦略」として分析することができます。前もって準備した基地から部隊を出発させ、敵が待ち受ける島嶼部を奪取し、そこに新たな基地を設営します。

すると、その新たな基地から次の攻撃目標に向けて部隊を推進することが可能になるのです。事前の作戦行動の成否によって事後の作戦行動の可否が決まるので、これは順次戦略として分析すべき作戦行動です。

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もう一つは潜水艦による通商破壊であり、これは事前の作戦行動の成否が事後の作戦行動の可否を決めるわけではありません。1941年に開戦した当初からアメリカは日本の船舶を潜水艦で雷撃し続けました。この通商破壊は1945年の終戦まで続けられています。

それぞれの潜水艦の戦果が直ちに戦局全般に重大な影響を与えるわけではないのですが、時間が経過し、少しずつ日本の船舶の損害が累積すると、やがて日本は物資を輸送できなくなり、本国では物資や燃料が不足するようになります。

ワイリーの分析によれば、開戦時点で日本が保有していた船舶はおよそ600万トンであり、開戦直後におよそ300万トンの船舶を生産できました。しかし、度重なる潜水艦の襲撃を受けて船舶の損害が累積し、1944年末には1000万トンの船舶のうち900万トンが失われていました。この分析はあまり厳密なものではなく、大ざっぱに当時の状況を把握しているにすぎないのですが、確かに1944年以降に日本の海運がほとんど機能しておらず、1945年の末期には日本国内の航路でさえ安全ではなくなっていました。

ワイリーはさらに順次戦略と累積戦略はそれぞれに異なった論理を持つ戦略であるものの、実際の戦争では相互依存の関係にあると述べています。つまり、順次戦略と累積戦略は戦略を分析するための概念であって、どちらか一つを選択しなければならないというわけではありません。

例えば、順次戦略の観点から見て我が方が劣勢であるとしても、累積戦略の観点から見て時間が経過するほど我が方が優勢になる見込みがあるならば、必ずしも戦略的に劣勢であるとは言い切れないでしょう。反対に、累積戦略の観点から見て劣勢であるからこそ、順次戦略において迅速に決定的戦果を出さなければならない場合もあるでしょう。

まとめ

・戦いの三要素としての力、時間、空間に注目すると、時間と空間が敵と味方の力のバランスに与える影響が大きいことが分かる。
・戦略の研究では順次戦略、累積戦略という概念があり、順次戦略では空間の影響に、累積戦略では時間の影響に注目して戦いを組み立てる。
・戦略を立案する場合、順次戦略と累積戦略のどちらかを選ばなければならないというわけではない。敵と味方の力関係によって両方の戦略を組み合わせようとすることで、その状況に最適な戦略を導き出すことができる。

参考文献

J・C・ワイリー『戦略論の原点:軍事戦略入門』奧山真司訳、芙蓉書房出版、2020年(新装版)

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