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【翻訳資料】ハウス「諸兵科連合とは何か」(1984)

現代の戦闘では、多種多様な装備品が使用されていますが、それぞれに利点と欠点があるので、戦況の変化に応じて複数の装備品を柔軟に組み合わせながら運用することが重要です。一つの装備品だけで、あらゆる脅威に対処することは不可能であるといえます。

例えば、陸軍では歩兵の標準的な装備として小火器が与えられています。小火器は口径が20mm未満の銃身で弾丸を発射する火器を意味しており、小銃、機関銃、拳銃、短機関銃、擲弾発射器、散弾銃がこれに分類されます。車載機関銃や戦車の主砲に並行して固定される同軸機関銃は例外ですが、基本的にこれらの武器は個人で携行できるように設計されており、かつ対人火力として十分な威力を発揮することができます。

戦場で現れる脅威の多くは、この種の火力で事足りますが、装甲を持つ車両が現れると、まったく別の種類の対装甲火力が必要となります。つまり、砲兵部隊が運用する榴弾砲や機甲部隊の戦車に塔載された戦車砲を連携させる運用を考えなければなりません。

このように、戦闘の状況、目標の性質に応じて必要な武器は多様ですが、すべての小隊、中隊にあらゆる武器を運用させることは専門性の観点で考えても、経済性の観点で考えても、決して現実的な選択肢になりません。そのため、さまざまな専門領域を持つ兵科部隊を、任務の内容に応じて連携させる諸兵科連合(諸職種協同)を研究することが戦術学の重要な検討課題となります。

このテーマに関する研究としては、1984年にアメリカ陸軍のジョナサン・ハウスが残した著作『諸兵科連合の歴史(Toward Combined Arms Warfare)』(1984)が古典的な業績です。以下のリンクで原著をダウンロードできるようにしておきますので、英語で読める方はぜひご一読ください。(追記:2024年に訳書が刊行されました。『諸兵科連合の歴史:100年にわたる戦争での戦術、ドクトリン、兵器および編制の進化』作品社、2024年8月

ハウスは序章(原著に見出し無し)で諸兵科連合の概念を一般的に解説しているので、この記事では序章を日本語に訳しました。あくまでも試訳であるため、文献への引用などはおひかえください。現代の戦闘と戦術を理解したいと願う方々の参考になれば幸いです。


序章「諸兵科連合とは」
『諸兵科連合戦に向けて』(1984)より

ジョナサン・M・ハウス陸軍大尉
武内和人訳

「我々は、騎兵戦術、砲兵戦術、歩兵戦術という語り方をするようになったが、この区別は単なる抽象化でしかない。実在しているのはただ一つの技術であり、それは諸兵科連合の戦術である。3種類の兵科部隊を編成する騎兵部隊の戦術は、歩兵部隊が大部分を占める混成部隊の戦術と同じ基本原則に従わなければならない。ただ一つの違いは機動である」英国陸軍ジェラルド・ギルバート少佐、1907年

 諸兵科連合(Combined Arms)の概念は何世紀も前から存在していたが、その協同の特性や組織化の水準に大きな違いが見られた。例えば17世紀以前では歩兵、砲兵、騎兵を小部隊単位で協同させる必要はほとんどなかった。戦場では、それぞれの兵科部隊が特定の作戦機能を遂行し、上級の指揮官だけが各兵科の活動を調整していればよかった。その後、数世紀にわたる一般的な傾向として、各兵科を少しずつ小規模な部隊ごとで協同させるようになってきた。指揮官の課題は、異なる兵科部隊の行動を調整することから、より緊密に協力させることへと変化し、最終的には、さまざまな兵科部隊の装備の効果が最大化するように、それぞれの部隊行動の協同に移行した。

 ギルバート少佐が諸兵科連合の重要性を訴えた当時(訳注:1907年)、数多くの将校が口先で「諸兵科連合」を語ってはいたが、小規模部隊で諸兵科間の協力あるいは協同を実現する必要があることを理解していた者はほとんどいなかった。それから、20 世紀の戦争、特に機甲戦では、戦場で勝利するためだけではなく、兵士が生き残るために、いくつかの諸兵科連合を実践することが欠かせなくなってきた。だが、このような戦闘行動は複雑であるために、訓練と整備の両面で専門化を招くことになり、今ではその専門性を担うのは主要な武器体系で構成される1個から3個で編成された中隊、大隊となっている。例えば、通常の機械化歩兵大隊は小火器、対戦車火器、迫撃砲や擲弾発射器といった短射程の支援火器を運用する。この大隊は、機甲、防空、工兵、長射程の間接照準射撃(を行う砲兵)、航空支援の領域では、ほとんど、あるいはまったく能力を発揮できない。戦車大隊や砲兵大隊の専門性はまずます高まっており、その装備によって能力は制限されている。

 これらの兵科部隊は、作戦を遂行するために、任務ごとに編成され、相互支援も実施する。しかし、多くの兵士は業務を専門化し、部隊との繋がりを保持し、そして適切に整備を行う必要があるので、自身の武器や装備を使用することに専念し、特定の敵の武器や装備を撃破しようとする。このような視野の狭さは、しばしば職業軍人の性格を反映しているが、有効だと思われる戦技に関して保守的になることは当然のことである。この単純なアプローチは、大部隊の指揮官や、他の部隊より他の兵科部隊と協同する機会が多い歩兵部隊、偵察部隊(または機甲部隊)の間では、それほど一般的ではないだろう。しかし、少なくとも一部の戦車兵は基本的に敵の戦車と戦うために訓練しており、現に戦闘機部隊は敵の戦闘機に対して航空優勢を獲得しようとしており、工兵は敵の工兵の障害処理や障害構成を妨げながら、味方の部隊が機動できるようにすることに集中している。これらの任務はいずれも戦闘で成功を収めるために欠かすことができないものだが、それらだけでは異なる武器や装備を確実に協同させることはできない。実際、それぞれの武器や装備には、敵の武器や装備に対して長所と短所があるので、個別に使用していては、敵を撃滅する上で最適な手段になり得ない。

 この「諸兵科連合」という用語は、しばしば人によって意味が異なっており、あるいは曖昧な定義のままにされている。しかし、この用語には少なくとも以下の三つの意味合いが含まれている。

一、諸兵科連合という構想は、異なる武器や装備を協調させながら使用することで、生存確率と戦闘効率を可能な限り向上させなければならないという基本的な考え方である。つまり、ある武器体系の長所は、別の武器体系の短所を補うために使わなければならない。この構想の下で運用される武器や装備の種類は、軍隊によっても、時代によっても大きく異なっている。しかし、現代の諸兵科連合では、少なくとも歩兵部隊(機械化歩兵、自動車化歩兵、空挺歩兵、空中機動歩兵、軽歩兵、特殊作戦部隊・非正規作戦部隊)、機甲部隊、騎兵・偵察部隊、砲兵部隊、対戦車部隊、防空部隊、戦闘工兵部隊、攻撃ヘリコプター部隊、特定の近接航空支援を考慮に入れているだろう。特定の状況では、このリストに電子戦部隊が入り、承認された場合は、核攻撃や化学攻撃を行う部隊が入る場合もある。この基本的なリストの他にも、部隊が協力し、持続して戦うためには、あらゆる戦闘支援部隊と後方支援部隊も重要である。ただ、議論を簡単にするため、本研究では諸兵科連合の後方支援については少し触れるだけにするだろう。

二、諸兵科連合の編成(中隊、大隊、旅団・連隊など)は、上述した異なる武器と装備を戦闘を遂行するために一つにまとめたものである。これは平時に恒久的なものとして定められた編制と、戦時に任務を遂行するため、応急的に複数の部隊を組み合わせた編組の両方を含んでいる。

三、諸兵科連合の戦術と作戦とは、異なる武器や装備を保有する部隊が、統合された集団として編成された後に、相互を支援する上で実際に果たすべき役割と応用すべき戦技である。これは職業軍人にとって非常に興味深い領域分野であるはずだが、歴史の記録や戦術の教範では、この部分に関する詳細が書かれていないことが多い。それだけでなく、大隊以下の小単位部隊の諸兵科連合の戦術と戦技は、科学技術の変化で最も影響を受けやすいため、歴史の記述で一般化して説明することが非常に難しい。

 この研究は簡潔なものであるため、これら3種類の要因が最近の軍事史に及ぼした複雑な影響を総合的に考察することができない。しかし、イギリス軍、フランス軍、ドイツ軍、ソ連軍、アメリカ軍における最近の諸兵科連合戦の遂行で繰り返し取り上げられているテーマと問題点を捉えることは可能だろう。これらの軍隊は、さまざまな時代で戦術とドクトリンの開発における世界の先駆者であった。1948年以降には、イスラエル軍もその一員に加えるべきだろう。なぜなら、イスラエル軍の経験は他の国々の武器やドクトリンに多大な影響を及ぼしてきたためである。本研究では、特に師団とそれよりも小単位の部隊において、さまざまな武器と装備を統合する戦術的、組織的な構想の開発動向を広い視野で明らかにする。師団が恒久的な編制として採用されて以降、各国の軍隊で師団の組織構造に数えきれないほどの小さな変更が加えられた。本研究はその詳細を記述するものではないが、部隊における兵科間の比率がどうなっていたのか、それら兵科部隊がどれほど統合されていたのかといった傾向については、少数の折れ線グラフとブロック図で説明が可能である。このようにして捉えられた傾向は、現在、諸兵科連合を組織化、運用する方法に関して独自の詳細な構想を開発する読者のために、歴史的視点と背景的知識を与えてくれるだろう。

 本研究は、徹底的な分析ではなく、暫定的な概観に過ぎない。本研究で描き出した諸兵科連合の潮流を発展させ、あるいは異議を唱えることによって、陸上戦の重要な課題に関する研究をさらに前進させる人々の助けとなることを願っている。

 具体的な歴史の記述に移る前に、諸兵科連合の構想に関する基礎的な解説を行っておこう。これらの解説のほとんどは自明なものではあるが、読者が以下の内容の意味を理解する上で役に立つだろう。

 一般的に、戦術行動は機動力(mobility)、防護力(protection)、攻撃力(offensive power)の3要素を組み合わせとして考えることができる。機動力とは、地形に妨げられることなく、部隊を機動し、集中させる能力だけを意味しているのではなく、敵の射撃に晒されている状況下であっても人員と部隊を移動させることができる能力も意味している。機動力は絶対的な能力ではなく、地形の険しさや他の味方の部隊、敵の部隊の機動力と相対化して測定しなければならない。諸兵科連合部隊では、機動力が最も乏しい部隊が部隊全体の機動力を決定する場合がある。機動力が欠如していると、集中、機動、攻勢の原則を適用できなくなり、奇襲することが非常に難しくなる。防護は、敵の奇襲に対する安全を確保することと、戦場における攻撃と防御のための部隊の機動の掩護することの両方を意味している。この戦場における防護は、地形による遮蔽や築城を用いることによって、あるいは装甲のように人工物によって達成することができる。攻撃力、あるいは火力は、敵に対して我が方の意志を強要し、その防護を打ち破るために必要とされる。

 これら3つの要素は、軍事史の中で絶えず相互に影響を及ぼしていた。特に過去1世紀では、武器の威力が大幅に向上したことが注目される。掩護された機動と各種の火力を注意深く連携させるように作戦を設計しなければ、大きな困難を乗り越えることはできなくなった。そのことが明快に示された例が第一次世界大戦の防御システムだった。その火力と防護の連携に立ち向かうためには、歩兵(機動力)、火力支援(攻撃力)、機甲(理論的に3つの要素の総合)を密接に連携させる必要があった。第一次世界大戦に関するこの説明も単純化されたものではあるが、機動力、防護力、攻撃力という3つの基本的な要素は、ほとんどすべての戦術の方程式に見出すことができる。

 より実務的な観点で見ると、これら3つの機能は、個々の武器の設計と操作において技術的に統合されており、また異なる武器と兵科部隊の連合において戦術的に協同されている。1982年版の野戦教範『100-5 作戦』では、諸兵科連合の構想と実践を、追加的な諸兵科連合(supplementary or reinforcing combined arms)と補完的な諸兵科連合(complementary combined arms)という2種類の要領に分類している。追加的な諸兵科連合とは、その言葉が示している通り、ある武器体系あるいは兵科部隊の効果を、他の武器や兵科が発揮する類似の効果によって増幅させることを意味している。例えば、迫撃砲と火砲の効果は、統合射撃計画で互いに補強し合うことができる。また、工兵部隊はその装備を用いて装甲車両を掩蔽する陣地を構築することにより、装甲車両の防護力を強化することが可能である。これらとは対照的なのが、補完的な諸兵科連合であり、これは異なった効果や特性を同時に用いることによって、より複雑な脅威をもたらし、敵をジレンマに陥らせるものである。防者は地雷原を構成することができるが、地雷を除去しようとする敵を観測できれば、それを火砲あるいは対戦車砲によって攻撃し、その場で敵を阻止することができる。このようにして防者は、異なる種類の武器を統合し、単独で使用した場合に達成できるよりもはるかに大きな効果を得ることができるようになる。その結果として、敵は地雷を除去している間に損耗が発生することを受け入れるか、あるいはどこか別の場所から前進するかというジレンマに陥るのである。

 しかし、さまざまな武器や兵科を協同させるドクトリンを開発するだけでは不十分である。ドクトリンを実践し、改良し、運用するためには、少なくとも5つの要素が必要となるためである。第一に、軍隊はドクトリンが要求する性能を発揮できる武器を設計し、それを調達しなければならない。さらに、それら武器とドクトリンを無効にし、あるいは効果を減少させる恐れがある技術革新に対して絶えず注意を払わなければならない。

 第二に、ドクトリンを分かりやすく解説し、それを使うことが期待されている指揮官に普及させなければならない。第三に、指揮官はそのドクトリンが運用可能な組織、武器、部隊に有効であると確信していなければならない。軍人は自然と過去に得た経験に頼りがちであるため、新たなドクトリンを普及させ、受容させにくい。大佐は無意識のうちに数年前、あるいは数十年も前に自分が中尉だった時期と同じような方法で小隊が活動することを期待するかもしれない。どのような軍隊にとっても経験は貴重な資産である。しかし、それが時代遅れなものになれば、技術とドクトリンの導入を遅らせ、妨げる要因になることは必然である。

 第四に、指揮官の目から見て、指揮下部隊がドクトリンを実行できる練度と士気を備えていなければならない。この研究で繰り返し取り上げられる主題の一つは、職業軍人が戦場で効果的に活動するために必要な訓練の量と質を過大に評価する傾向がある、ということだろう。優れた訓練は欠かせないが、歴史を振り返ると、部隊に高い水準を求める指揮官は、部隊に実行できないと思われるドクトリンを拒絶し、あるいは修正してきた。ただ、訓練の不足が特定のドクトリンや編成にとって障害となる可能性があることは否めない。もし中隊長がたった80名の兵士と2種類の武器体系を運用することしかできないのであれば、10種類の武器体系を備える170名の中隊を設計したところで無駄だろう。このように規模が大きく、より複雑な部隊を指揮する将校を訓練するためには、平時において莫大な費用がかかるかもしれない。

 最後に、諸兵科連合のシステムは、そのシステムを統合し、指導するための有効な指揮統制がなければならない。事実、統制の範囲、意思決定の速さ、そしてリーダーシップの能力を向上させる要因は、武器それ自体と同程度の意義を持ちえる。

 歴史的に成功した指揮官は、これらの要件を直観的に理解していた。スウェーデン王のグスタフス・アドルフ、プロイセン王のフリードリヒ二世、フランスのナポレオン一世は、諸兵科連合のための本格的な新ドクトリンや新兵器を開発したわけではなかったといえる。20世紀に、軍隊の規模が大きくなり、武器が複雑化していく中で、一名の指導者がこれらの要件をすべて満たすことは不可能になっているだろう。このことは、1914年に勃発した第一次世界大戦以降、さまざまな武器の統合が戦闘力を向上させるためだけでなく、生存するために欠かせないものになっているという軍隊の現実を一層複雑なものにしている。本研究の焦点は、20世紀において、諸兵科連合の構想、編成、戦術が発展し、また制度として定着していく過程である。

見出し画像:U.S. Army photo by Pfc. Christina Westfall

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