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【映画解釈/考察】『コーヒーをめぐる冒険』(2012) 「現代ドイツとコーヒーをめぐる冒険の先にあるニコの違和感の正体」
『コーヒーをめぐる冒険』(2012) ヤン・オーレ・ゲルスター監督
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『コーヒーをめぐる冒険』は、ヤン・オーレ・ゲルスター初監督作品で、ドイツアカデミー賞の監督賞、脚本賞、主演男優賞などを獲得した2012年のドイツ映画です。
村上春樹の『羊をめぐる冒険』に似た邦題がつけられた本作は、90分の尺で、コンパクトな映画ですが、全編モノクロで、映画好きな人を確実に魅せるためのエッセンスが凝縮されており、個人的に2000年以降で最も好きなドイツ映画の1つです。
ドイツ表現主義やヌーヴェルヴァーグ的な印象を受ける作風で、画的なものだけではなく、内容的にも構造主義的なものを感じます。
そして、全編を、通して登場人物の顔をアップしたシーンが多用されているのも印象的です。特に、その後も『ピエロがお前を嘲笑う』や『ある画家の数奇な運命』などに主演し、ドイツを代表する俳優になっているトム・シリングが、憂鬱な主人公を最大限に体現してくれていて、彼の顔のアップが、映画の要となっています。
また、ドイツアカデミー賞での受賞(6部門)が顕著であるように、現代ドイツを反映した現代ドイツらしい映画の一本と言えます。以下ネタバレを含む解釈です。
(現在、Amazon prime video プライム会員特典で視聴できます。)
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1 社会のレンズに囚われた人々とニコの違和感
この映画『コーヒーをめぐる冒険』はただの一過性のモラトリアム期を扱かった作品というよりも、構造主義的な思想やドイツ史を練り込んだ人生哲学的な作品であると言えます。
主人公のニコが、このついていない1日に会うほとんどの人たちは、社会からの疎外感を感じている(あるいはかつて感じていた)にも関わらず、社会の価値観の一部に捕らわれている人たちです。または、社会の価値観を支配している言語(言葉)に捕らわれているパラノイアの人々と言えます。
ニコの免停を決めた神経質な臨床心理士、高いコーヒーにこだわるコーヒーショップの店員、ニコを不審に思う女性、かつて肥満児だった相手からの言葉や過去を無視できない女優のユリカ、映画『タクシードライバー』のトラヴィスのセリフを真似て「社会的に汚れているベルリンの街を一掃したい」という売れない俳優のマッツェ、乳がんで胸を切除した妻を愛せないと悩む上の階の住人カール、無賃乗車を取り締まる鉄道会社員を装うシュテファン、前衛的小劇団の演出家のラルフ、ユリカに執拗に絡むギャング風の男、ロンメルが演じるナチスの将校ハインリヒなどは、すべてそのような人たちです。
ニコたちが、撮影現場のロンメルの演技をレンズ越しに見ていたように、あるレンズ(価値観)を通してしか、世界(社会)を見ることができない現実がそこにあります。
そして、その現実がたった1つの真実ではないのを知っていても、映画の登場人物のように、それを受け入れることしかできないのです。ニコの違和感は、そこから生じているものであり、社会の正義やルールを学ぶ法学部を中退したという主人公ニコの設定も必然性があります。
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それでも、映画の中で、ニコに一時のあいだだけ、安らぎの時間を与えてくれる場面があります。それは、薬物を売るマルセルの祖母と過ごす時間です。そのマルセルの祖母と別れた後、少しの間だけ、ニコの目を通したベルリンの街は、輝いて見えます。
その後、ユリカが出演する前衛的な演劇を鑑賞するわけですが、世界(社会)に向けて、自分を直接的に表現するユリカに感銘を受けます。 しかし、そんなユリカもまた、ニコたちが過去に与えた心の傷から、ルッキズムのような価値観から逃れずにいたのです。
そして、ニコが見るベルリンの街もいつもの光景に戻ってしまいます。改めて、全編にわたるモノクロは、ニコの曇った心の視線を表現するのに最も適した手段であることが感じらます。
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2 フリードリッヒとドイツ
そして、この映画の最後に出てくる最も重要な人物が、パブで出会った老人のフリードリッヒです。フリードリッヒが、語った内容で、重要な点が2つあります。言葉(ドイツ語)が分からないという話と昔この近くに住んでいて、ここを離れていたが、数十年ぶりに戻ってきたという話です。
後ろの話から、見ていくと、この場所とは、フリードリッヒ通りのことです。映画の中にも出てきますが、近くに、フリードリッヒ通り駅があり、東ドイツ側の国境でかつて検問所があった場所です。病気の女性から最後に教えてもらった老人の名前もフリードリッヒです。この名前からも明らかなように、この老人の話は、おそらくドイツ自体を暗喩しています。
そして、ニコのなぜベルリンを離れたのかという問いに対して以下のように語ります。小さい頃、この通りで、自転車の練習をしていて、皆がそれを見て笑っていた話をします。それは、彼が幸せだった頃の思い出として語られるわけですが、ある日突然、その世界に終わりが訪れます。ある日、フリードリッヒは、夜に突然父親に起こされ、このパブの場所にかつてあった建物に向かって石を投げるように言われます。そして、通りにはガラスが散らばっていて、彼はもう前みたいに自転車で走れないことを思って大声で泣いたというところで話は終わり、老人は席を立ちます。
この話は、社会(価値観)がいかに虚構であるかを物語るものです。ベルリンを代表する駅の1つであるフリードリッヒ通り駅が現在の形になったのは、ナチスが政権を取ってから数年後で、ベルリンオリンピックに向けて整備されたものです。戦後は、ドイツとベルリンは東西に分断され、フリードリッヒ通り駅は、社会主義の東ドイツの検問所としての役割を担うようになります。
この話は、ドイツ自体が社会の虚構に振り回されてきた歴史があり、それが、現代ドイツにおいても影を及ぼしていることを示唆するメタファーになっていると思われます。
同じ2010年代を代表するドイツ映画であるフランツ・ロゴフスキ主演の『希望の灯り』(2018)も、かつて東ドイツの配送センターだったスーパーマーケットを舞台にした映画で、東ドイツの影が作品の重要な要素になっています。
そして、もう一つ、前者の言葉(ドイツ語)が理解できないというくだりは、老人が、虚構である社会の価値観を産み出す(支配する)ための現代の言葉を理解できないことを暗示するメタファーだと考えられます。朝を迎える場面で、ベルリンの街に溢れる罵詈雑言が写し出されることからも確認させられます。
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3 コーヒーをめぐる冒険と冒険の最後に見たもの (コーヒーとアルコール)
やっと見つけたニコと同じ違和感を持った老人は、通りで倒れ、孤独のまま帰らぬ人になってしまいます。その現実を噛み締めるようにニコがコーヒーを飲む場面でこの映画が終わります。
ここで、改めて気づくのは、この『コーヒーをめぐる冒険』という邦題をつけた秀逸さです。確かに、朝からことごとくコーヒーにありつけない描写が挿入されています。急いで家を出る、お金が足りない、エスプレッソマシーンの故障、ちょうどコーヒーのポットが空になっている、父親にウォッカを注文される、エスプレッソマシーンを既に洗浄中などの理由でコーヒーを飲むことをことごとく阻止されます。
そして、その代わりに飲むのは、ウォッカなどのアルコールです。ニコは、社会の虚構に対する違和感に悩まされているわけですが、それをやり過ごすための手段としてアルコール類の飲酒が描かれます。マッツェの調味料を大量に掛ける行為も同じ効果を狙ったものと考えられます。
これに対してコーヒーを飲む行為は、逆に目を覚ましたり、頭をはっきりさせる行為であり、社会の虚構性を気づかせ、ニコの違和感が正しいことを確認するメタファーになっていると思われます。
しかし、それと同時に、コーヒータイムには、一息を入れる意味含まれています。コーヒーを飲むニコに、一筋の光が射している場面は、名作に相応しい心に残るラストシーンで、ある意味、諦念の境地に至り、ニコがそれでもなんとか生きていこうと決意するところで、この映画が終わっているような印象を受けます。
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