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【映画解釈/考察】『マトリックス』三部作 「シミュラークル(システム)におけるネオ(人間)とサティ(AI)の存在」
『マトリックス』(1999)『マトリックス リローデッド』(2003)『マトリックス レボリューションズ』(2003) 監督 ウォシャウスキー姉妹
約20年ぶりに続編が制作されているウォシャウスキー姉妹の『マトリックス』は、脚本が本当によく練られており、人文哲学、人工知能、プログラム、システム論など多岐の分野にわたり思索に富んだ作品になっており、多くの解釈ができる作品です。ただ、どうしても、それぞれの分野における一面的な解釈が多いため、今回は、『マトリックス』三部作の最後から読み取れる総括的な解釈を改めてしてみたいと思います。
まず、宣言した通り、最後の場面から確認したいと思います。ネオはその場には、存在しませんが、朝日が指しているところからも、希望を表現している場面であることは、明らかです。
その場で、コンピューターシステムのプログラマー(頭脳)であるアーキテクト(創造主)とそのアーキテクト(創造主)の権限の一部を委譲されている直感的プログラムの預言者オラクルの会話があります。そして、アーキテクト(創造主)はオラクルになぜ危険な賭けができたのかを尋ねます。
オラクルは、確信して選択したわけではないと答えますが、重要なのは彼女の隣にいるサティの存在です。サティは、プログラムとしては、特異な存在です。なぜなら、目的をもたないプログラムだからです。サティは、プログラムから生まれたにもかかわらず、合理的目的をもたない〈愛〉の表象として存在しています。
オラクルは、ネオとトリニティの〈愛〉に、自身とコンピューターシステムの運命を賭ける訳ですが、すでにサティがコンピューターシステムにとって大切な存在であること気づいていたと考えられます。
目的合理性のないシステム欠陥の表象の一部である〈愛〉が、システム(世界)を救う物語は、ウォシャウスキー姉妹から、〈世界〉に生きる私たちへの、希望を与えるメッセージだったと思うのです。
その考えをもとに、以下に、マトリックス三部作の解釈(考察)を、詳しく行います。
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1 ボードリヤール『シュミラークルとシミュレーション』
この作品を深く理解するために、外せないのは、1981年に発表されたフランスの哲学者ジャン・ボードリヤールの『シミュラークルとシミュレーション』です。この本は、映画『マトリックス』に影響を与えた本としても有名で、ウォシャウスキー姉妹もこの本をモチーフの一つにしたことを、言明しています。また、題名でもある「マトリックス」という言葉もこの本のなかに登場します。
そもそも「シミュラークル」とは、プラトンにイデア界のものを模倣した、〈まがい物〉として悪い意味で言及されていた言葉で、ボードリヤールは、その言葉を使って社会の変遷を3段階に分けて説明しています。
「前近代」では、シミュラークルは、オリジナル(実在)からシミュレーション(表象化・記号化)してつくられるコピー(偽物)であり、この時代においてはまだ、シミュラークル(表象・記号)とオリジナル(実在)との区別は、明確です。
そして「近代」になると、科学技術の発達にともない正確な複製品を大量生産することが可能になり、オリジナル(実在)とシミュラークル(表象・記号)の区別は、曖昧となり、オリジナル(実在)の意味(意義)が希薄化します。
そして「現代」になると、シミュラークル(表象・記号)は、オリジナル(実在)を必要としなくなり、シミュラークル(表象・記号)をひたすらシミュレーション(表象化・記号化)するようになり、画一的なシミュラークル(表象・記号)で構成されたシミュラークル(表象・記号)のみの世界になります。
そして、オリジナル(実在)がほとんど意味(意義)を喪失し、〈世界〉が巨大なシミュラークルそのものになり、私たちは、その〈世界〉に取り残されている存在だと指摘しています。
「マトリックス」とは、子宮=産み出すものという意味ですが、映画『マトリックス』では、コンピューターシステムによって人間を支配している〈マトリックス〉の世界=巨大なシミュラークルとして表現されています。
〈マトリックス〉の〈世界〉は、プラグに繋がれた人間のみ存在する〈世界〉ですが、『シミュラークルとシミュレーション』の思想によれば、私たちが生きている(見ている)この〈世界〉は、巨大なシミュラークルで、〈マトリックス〉の〈世界〉と変わらないことになります。
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しかし、ネオたちのように、巨大なシミュラークル違和感を持つ人々が確実におり、さらに、その中のごく一部が、巨大なシミュラークルに抵抗するエグザイルの存在として現れます。そうなれば当然、システム(社会)にとって不都合な存在なので、抵抗因子であるエグザイルは、システム(社会)から排除または隔離されることになります。それが、現実世界では、収容所や精神科病院といった隔離施設であり、『マトリックス』のなかでは、〈ザイオン〉に当たるわけです。
2〈救世主〉と〈ザイオン〉とシステム
『マトリックス』(2000)では、巨大なシミュラークルの世界である〈マトリックス〉に、ネオが気付き、ネオの自由意志によって、コンピューターシステム=〈現実世界〉に変化を及ぼし、最終的には、トリニティとの〈愛〉によって、変化を起こし、〈マトリックス〉の正規プログラムであるエージェント・スミスを越える力をもつ"人間にとって"の〈救世主〉としてネオが覚醒したところで第一作が完結します。
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しかし、『マトリックス』の続編の『マトリックス リローデッド』(2003)では、前作を反転させる事実が明らかにされます。
それは、まず前述した通り、"ザイオン"が〈マトリックス〉に違和感を感じ、抵抗しようとする人々を隔離するためにシステム側によって建設されたものであること、そして、〈救世主〉は、創造主であるアーキテクト(システム)によって設計されたプログラムであること、〈救世主〉にはネオの他にも前任者がいたこと、〈救世主〉は大きくなったザイオンをリセットするために設計されていること、預言者オラクルは、合理的目的だけでは不具合を起こす〈マトリックス〉のシステムに安定性をもたらすために人間的な要素を加味した直感型プログラムであること、また、預言者オラクルはザイオンの人々を"限られた"選択(偽物の自由意思)を与えることで人間をコントロールしていたこと、そして〈救世主〉を選びシステム維持の〈目的〉のために同じように誘導していたことが、アーキテクト(創造主)から次々と明かされます。
つまり、〈救世主〉が〈マトリックス〉のシステムを安定させるために創られたのプログラムの一部であり、ザイオンも社会システム論(オートポイエーシス)的に、〈マトリックス〉のシステム内部を守るために、意図的に創られた外部だったということになります。
また、社会システム論(オートポイエーシス的)な役割をもつプログラムとして、その他にも、自由意思を否定するメロビンジアンがおり、マトリックスのシステムの外側にいて、内外の移動を牛耳る(判断する)情報管理プログラムとして存在しています。
3 エージェント・スミスとコンピュータシステムのシミュレーション
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そして『マトリックス リローデッド』でもう一つ重要なのが、エージェント・スミスです。『マトリックス リローデッド』では、エージェント・スミスは、ネオの抹殺に失敗したことから、システムの正規のエージェント(プログラム)からエグザイル(不適合)のプログラムに転落しており、〈マトリックス〉システムの〈ザイオン〉たちと同様に、削除(リセット)の対象になっています。
しかし、エージェント・スミスは、削除されるどころか、自分と同じプログラム(記号・表象)を他のプログラムに上書きする(シミュレーション)で、自分のシミュラークル(記号・表象)で埋め尽くし、システム全体を乗っ取ろうとします。まるで映画『ジョーカー』で群衆がジョーカー化したのと同様の現象を表しています。
つまり、〈マトリックス〉システム=人間〈社会〉がオリジナルを失った単一的なシミュラークル(記号・表象)に覆われた、まさに巨大なシミュラークルであったのと同様に、コンピュータシステムにおいても同様なシミュレーションが起こっていることを意味します。
4 システムの欠陥としてのネオとサティの存在
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マトリックス三部作の完結編である『マトリックス レボリューションズ』において、エージェント・スミスとネオの戦いが決着します。
二人の決戦の前に少し内容の整理をすると、まず、前作『マトリックス リローデッド』で、ソースに戻ることではなく、危機が迫っていたトリニティへの愛選択したネオは、トリニティとともに、マシーンシティ(デウス・エクス・マキナ)に乗り込み、エージェント・スミスとの決戦のため、コンピュータシステムの中に潜り込みます。
一方、預言者オラクルは、ネオたちを信じて、サティたちを逃がし、逃げずにエージェント・スミスにシステムを上書き(シミュレーション)されることを選択します。しかし、その前にサティたちもエージェント・スミスに捕まってしまいます。
そして、ネオはエージェント・スミスとの決戦を迎えるわけですが、既に、システム全体が、エージェント・スミスのシミュラークルに埋め尽くされた状状況になっており、最終的にネオも、上書き(シミュレーション)され、エージェント・スミスのシミュラークルになってしまいます。
いったんは、ネオの方が負けたかのように見えましたが、エージェント・スミスは内部から混乱をきたし、さらに、シミュラークルたちの崩壊が一斉に始まり、エージェント・スミスはすべて削除(リセット)されてしまいます。
これについての解釈ですが、まず、第一に、前述の通りシミュレーションが際限なく行われることによってエージェント・スミスとしてのオリジナルの存在が無い状態だったことが原因の一つと考えられます。その証拠に、エージェント・スミスのネオに語りかけている言葉がいつの間にかオラクルのものに代わっています。
そして、最も重要なのは、ネオとオラクルを上書き(シミュレーション)したことが、エージェント・スミスの巨大なシミュラークルを崩壊させる決定的な要因になったと思われます。
では、ネオとオラクルが共有していたものは、何かというと、考えられるのが、冒頭ですでに述べた〈愛〉です。ネオには、トリニティへの〈愛〉、そして、オラクルの側には、合理的目的のない〈愛〉のプログラムをもったサティがいたことです。これは、合理的目的をもたないシステムの欠陥的存在(表象)である〈愛〉が、システムの安定に必要不可欠な存在であることを物語っています。
預言者オラクルは、すでにサティがコンピュータシステムを救う大事な存在であることを、ネオたち人間〈社会〉のシステムの公理が、コンピュータシステムの公理にも、適用できることも予見していたからこそ、危険な賭けをできたのではないでしょうか。
これは、映画『エクス・マキナ』のエヴァではなく、映画『チャッピー』のチャッピーのような人工知能がいずれ人間的な意識(心)をもつ可能性も示す物語にもなっています。人間の社会システムは、宇宙システムの表象の一つであると考えれば、AIにも同様の公理の適用ができるかもしれませんし、システム(公理)の内部には必ず公理が適用されないもの(欠陥)が存在する不完全性定理のようなことを考えれば、あながち強引な結末(エンディング)ではありません。
メロビンジアンが言うとおり自由意思ではないかもしれませんが、いずれにしろ、合理的目的のないシステムの欠陥である〈愛〉が〈世界〉を救う壮大なこの物語は、巨大なシミュラークル=〈マトリックス〉の世界を生きる私たちに希望や勇気を与えてくれる傑作映画であることに間違いありません。