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【映画コラム/考察】『ペイン・アンド・グローリー』ペドロ・アルモドバル監督「痛みと愛情と映画(愛を伝えるシニフィアンとしての映画)」
『ペイン・アンド・グローリー』(2019)
『セクシリア』(1982)
『神経衰弱ぎりぎりの女たち』(1988)
※現在、『ペイン・アンド・グローリー』は、Amazonプライム会員特典で視聴できます。
アルモドバル監督作品の対極にある半自伝的ストーリーとしての『ペイン・アンド・グローリー』
『ペイン・アンド・グローリー』(2019)は、これまでのペドロ・アルモドバル監督作品とくらべて、コメディ要素や極端な設定や劇的な展開がほとんどない作品です。
ペドロ・アルモドバル監督と言えば、女性賛美や性の解放を大胆に描く、ユーモアとサイケデリックな作品で、映画ファンを長年に渡って魅了し続けていて、精力的なイメージが強くあります。
しかし、『ペイン・アンド・グローリー』は、そんなイメージとは対極にある、監督の半自伝的な一面を描いた作品で、一見喧騒的でユーモアに富んだ作品の中にある、根源的な繊細さを垣間見ることができます。
身体的なペイン(痛み)と精神的なペイン(痛み)
特に、『ペイン・アンド・グローリー』にタイトルが示すように、ペイン(痛み)が主題になっています。
主人公のサルバドールは、蓄積された多くの身体的な痛みを抱え、映画に対する情熱を失っています。アルモドバル監督自身は、毎年のように作品を精力的に公開し続けているので、そこは事実とは異なりますが、重要なのは、身体的なペイン(痛み)が表象する、精力的なペイン(痛み)の原因です。この原因が、石化した異物(身体)と表象するサルバドールの後悔・心残りや罪悪感(精神)が並行して描かれています。
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映画によって犠牲になった二つの愛の物語
そして、この映画では、特に、映画への情熱により犠牲となった愛のストーリーが大きく二つ描かれています。そして、前述のとおり、この犠牲にした2つの愛についての後悔・心残りがこの作品の骨格になっています。
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一つ目は、フェデリコとの恋愛です。フェデリコが、ヘロイン中毒となり、サルバドールは、何度も彼を救おうとしてマドリード(都市)を離れ、旅をしますが、映画の仕事を捨てることができず、毎回、マドリード(都市)に戻ってきてしまいます。そして、断念し、彼との別れを選択します。これが、俳優アルベルトとの喧嘩の遠因にもなっています。
そして、二つ目が、映画のために、母親と故郷(田舎)を捨てたことです。さらに、マドリードで一緒に暮らせなかったこと、故郷(田舎)に一緒に戻る約束を果たさなかったことを後悔しています。
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「思いは必ず相手に届く」テーゼとしてのストーリー
確かに、映画によって失われた二つの愛に対する後悔や心残り=ペイン(痛み)によってサルバドールは創作意欲を失っていたわけですが、あることをきっかけに、再び彼を、映画製作に駆り立てます。
それが、フェデリコとの再会です。ここで重要なのが、この再会が、この映画の核心を突く壮大な出来事(ストーリー)だった点です。これが、本当のこの映画の主題(テーマ)であり、アルモドバル監督が最もこの映画で描きたかったメッセージだと思うのです。
それが、「思いは必ず相手に届く」というメッセージです。以前、岩井俊二監督の『Love Letter』の記事で書いたのですが、エドガー・アラン・ポーの『盗まれた手紙』を元にしたラカンの手紙(思い)は必ず宛名(相手)に届くというテーゼです。詳細は過去の記事を添付しますので参照ください。
まず、思わぬことから俳優のアルベルトがパソコンの中にあった『中毒』を見て、同じく薬物中毒だったアルベルトが感動し、自ら舞台で演じます。そして、フェデリコがそれを偶然見たことで、その思いを知ることになります。
ここで重要なのは、サルバドールのフェデリコに対する思いが、第三者に転移しながら、宛名であるフェデリコ本人に思いが伝わったという事実です。しかも、ペドロ・アルモドバル監督=サルバドールにとってさらに重要だったのは、それが創作(芸術)を通してであった点です。
そして、それをさらに確信に変わる出来事があります。それは、初恋の相手だったエデュアルドが彼に感謝の意を込めて贈った絵が、50年ぶりに彼の元に届けられたことです。これによって、サルバドール、再び映画に対する意欲を取り戻します。
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「思いは必ず相手に届く」テーゼとしての映画<入れ子構造>
ペドロ・アルモドバル監督の本当に脚本家として本当に天才であるとと思うのが、ラストのカットです。これは、この映画が入れ子構造になっていることを物語っています。これは、この映画が何のために作られているかに直結しています。
それは、もう一つの愛に対してのメッセージです。実は最後の場面と冒頭の方の場面が結びつく構成で、これはアルモドバル監督の母親や故郷への愛情を伝えるための映画であることが分かります。
そして、これは、「思いは必ず相手に届く」のテーゼを実践したものであり、しかも映画によってそれを実現しようとするアルモドバル監督の映画哲学を改めて示したものと言えます。
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そして、この映画はもう一つ、ペドロ・アルモドバル監督の映画を支えてくれた俳優たちへの愛情・感謝を表現した映画にもなっているような気がします。
アルモドバル監督と『ペイン・アンド・グローリー』の俳優たち
この映画の主演を務めているのが、長編2作目の『セクシリア』(1982)から出演しているアントニオ・バンデラスです。髪型もアルモドバル監督に寄せています。
『私が、生きる肌』(2011)でも主演を務めていて、アルモドバルのお気に入りと言ってよいと思います。
アントニオ・バンデラスにとっても、この『セクシリア』が映画デビュー作であり、また、世界的な有名俳優でありながら、大きな賞に恵まれていなかった彼に、『ペイン・アンド・グローリー』で、カンヌ国際映画祭、ヨーロッパ映画賞、ゴヤ賞などで初めての主演男優賞をもたらしているので、アルモドバル監督は大恩人だと言えます。
また、『神経衰弱ぎりぎりの女たち』をはじめ、アルモドバル監督の作品に出ているアントニオ・バンデラスは、いつものワイルドな感じではなく、繊細なキャラクターを演じることが多いため、違う俳優のようにも感じられ、アルモドバル監督との信頼関係の上に成り立っているのかもしれません。
そして、この『セクシリア』で主演を務めていたのが、『ペイン・アンド・グローリー』でも冒頭の方に登場する女優のセシリア・ロスです。セシリア・ロスの代表作でもある『オール・アバウト・マイ・マザー』でも主演を務め、ヨーロッパ映画賞、ゴヤ賞などで主演女優賞を獲得しています。
『セクシリア』の作品自体は、アルモドバル監督作品の中では、監督自身の脚本がまだ洗練されておらず、B級映画に近いような感じですが、アルモドバル作品の要素が全部詰まっているようなそんな作品です。
そして、『ペイン・アンド・グローリー』でサルバドールの年老いた母親役を演じていたのが、フリエタ・セラーノです。『神経衰弱ぎりぎりの女たち』はじめ前期作品で、アクの強い役を見事に怪演しています。
『ペイン・アンド・グローリー』では、主演のカルメン・マウラは、出演していませんが、ノラ・ナバス演じるサルバドールを献身的に支える女性は、カルメン・マウラを連想させます。
『神経衰弱ぎりぎりの女たち』は、ペドロ・アルモドバル監督の7作目の長編映画で、アルモドバル監督がヴェネツィア国際映画祭脚本賞を受賞して、一躍、世界的に名前が知れ渡るきっかけとなった作品です。『抱擁のかけら』の劇中映画に本作のパロディが登場します。
この『抱擁のかけら』や『帰郷<ボルベール>』など、後期のペドロ・アルモドバル監督作品に欠かせない女優がペネロペ・クルスで、『ペイン・アンド・グローリー』では、サルバドールの子供時代の母親役を演じています。アルモドバル監督にとって、外せないミューズなのがよく分かります。
『神経衰弱ぎりぎりの女たち』は、アルモドバル監督の脚本家として才能も完成されていて、アルモドバル監督作品全般に言えることですが、無理な設定にも関わらず、加速度的にストーリーに引き込まれていきます。
ペドロ・アルモドバル監督の前期作品の特徴である、テンポの良いラテン版ヌーベルヴァーグといった感じで、魅力的な女性を描くことと痛烈なコメディーを見事に両立させています。
ペドロ・アルモドバル監督作品は、全作を通して、自由な愛の形を伝えようとする、映画哲学が一貫しているのではないでしょうか。
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