
5年後も、僕は生きています㉗「痛み」と「苦しみ」
今日も、このNoteにご訪問頂き、ありがとうございます。
感謝です。
なぜ、病気になるのか?
なぜ、ガンになるのか?
そのひとつの可能性が「ほんとうの自分」を生きていないから。
自分のことを置いて、他人のために生きていないか?
他人から認められるために、生きていないか?
自分さえ我慢していれば、全てが収まるという生き方をしていないか?
僕自身の体験と気づきの「生還記」です。肺がんステージ4宣告から、生還までの体験記(2016年9月~2017年7月まで)です。発売以来のロングセラーとなっています。何かのご参考になれば光栄です。(Amazonカテゴリ別/闘病記/発売後ランキング8ヶ月間1位・終末期医療・時々1位)
では「ほんとうの自分」とはいったい何なのか?
「ほんとうの自分」「ほんとうの自由」とは、いったいなんなのか?
ガン生還体験を経た気づきを「物語」にしました。
多くの方々から生き方が変わった、人生を変える後押しとなった、というご感想を頂いております。人生や生き方に迷いがある方は、ぜひお読み下さい。
では、「5年後も、僕は生きています」第27話です。
「5年後も、僕は生きています」第1話から読みたい方はこちらからお読みくださいね。
㉗「痛み」と「苦しみ」
2018年7月24日、体調不良をなんとかしのいだ僕は、妻と一緒に同大病院の診察室の前にいました。
6月から始まった体調の急降下も、毎晩のエネルギーワークや食事、生活習慣、陶板浴やサプリなどで改善していましたが、不安はかなり残っていました。
診察室に入る前、心臓がドキドキと早鐘のように鳴り始めました。
僕の感覚では、再発している可能性は約70%。
おそらく、何らかのものが写っているだろう。
覚悟せよ、刀根健。
僕は死刑宣告を待つ罪人のような気分で、鳴り響く鼓動を聞きながら、自分の名前が呼ばれるのを待っていました。
勢いよく、手のひらが汗で濡れてきました。
いつもなら病院が終わったらあれをしよう、これをしようと考えが浮かんでくるのですが、診察が終わった後のことを、なにひとつ想像出来ませんでした。
未来すべてが、真っ白でした。
「刀根健さん、診察室にお入りください」
ついに呼ばれた!
僕は妻に目で合図すると、大きく息を吸って立ち上がり、診察室のドアを開けました。

井上先生が座っています。
「体調は、いかがですか?」
僕はそれに応えずに、言葉をかぶせるように、早口で聞き返しました。
「CTの結果はどうだったですか?」
井上先生は机の上のPCを、僕の肺が写ったCTの画面に切り替えて、しげしげと見つめたあと、言いました。
「はい、今まで通り、問題ありません。順調です」
体中にはりついていた、とてつもない重量の重りがいきなり外れたように、体中から力が抜けました。
脱力して、へなへなとなりました。
椅子に座っていなかったら、へたりこんでいたでしょう。
そしてやっと、この言葉を言うことが出来ました。
「そ…そうだったんですね。良かったです…」
「何かあったんですか?」
「実は、体調がすごぶる悪くて、その悪い感じがガンが体中にあったときと同じだったもので、てっきり再発したものだと思いまして…」
井上先生は驚いたように言いました。
「そうだったんですね、いや、大丈夫ですよ、腫瘍マーカーも全然上がってません」
「もう、僕は覚悟を決めて…それで今日は妻まで一緒に来てもらったんです」
妻が安心した表情で、井上先生に軽く会釈をした。彼女もちょっと涙ぐんでいたかもしれません。
井上先生は笑いながら言いました。
「CTや血液検査の結果から問題ありませんね。細菌に感染したとか、風邪を引いたとか、まあとにかく、この病気とは関係ない症状だと思います」
診察室から出て廊下を歩いているとき、緊張の糸が解けたこともあって、じわじわと涙がにじみ出てきました。
よかった…ほんとうに、よかった。
目の前の病院の廊下が、涙でうるんで良く見えません。
妻が横で、ほっと安心した表情で微笑んでいました。
その笑顔を見ながら、思いました。
ああ、やっぱり僕は弱いなぁ~
こんなことで泣いてるなんて、弱虫タケちゃんだよ。
でも、同時に思いました。
そういう弱い自分も抱きしめて、ヨシヨシしてあげるんだ。
怖かったよな、不安だったよな、もう大丈夫だよ。
安心しな。
よく頑張ったよ
毎日、毎日、ほんとうによく頑張ったよ。
よしよし
その日の夜、僕は布団の中で身体を抱きしめ、なぜなぜしながら自分ヨシヨシをしました。
7月に入ってから、この結果を聞くまで、僕は未来のことが一切考えられませんでした。
ステージ4を宣告されたときと同じように、未来は真っ白でした。
…これで明日のことが考えられる。
7月27日以降のことが考えられる。
僕に、生きる時間が戻ってきた。
生きる時間があると言うことは、なんて素晴らしいことなんだろう。
2022年のいま、この体験を振り返ってみます。
この体験は僕にとって、とても大きかったことが分かります。
実際に再発していたか、それをエネルギーワークや陶板浴やサプリなどで消したかどうかは分かりません。
しかし、結果的にはあの「痛み」「違和感」「不調」はガンの再発ではない、という診断が出たのです。
つまり、あれだけ体調が悪くても、ガンの再発ではないのです。
あるいは、万一再発だったとしても、自分でなんとか対処できたのです。
ガンになると、健康だったときとは比べ物にならないほど、自分の体調に敏感になります。
ちょっとした痛みや違和感に対しても
ガンが広がったんじゃないだろうか
転移したんじゃないだろうか?
どんどん悪くなっているんじゃないだろうか?

ネガティブな思考が頭の中を走り、そして占領していきます。
気づくと、そのネガティブトーク、おしゃべりがずっとつづいている状態になってしまいます。
僕は全身からガンが消えてから、2年くらいはガンがあった場所がチクチク・ズキズキと痛みました。
もちろん、CTには何も映りませんし、腫瘍マーカーも基準値以下です。
おそらく、細胞が「痛み」の記憶を持っているのでしょう。
その記憶がリフレインしているのかもしれません。
僕が学んだこと。
「痛み」は「痛み」でしかない、ということ。
その「痛み」を「苦しみ」に変えてしまうのは、『思考』だということ。
プロセスを解説しましょう。
チク、あるいは、ズキッ)(言語化前の感覚)

これは「痛み」です。
すると「思考}が反応して立ち上がります。
痛い!!(言語化)
(思考のループが始まる)
ああ、この痛みは、きっとガンに違いない

ガンが広がっているんだ
悪くなっているんだ
ガンがないところまで
どんどん広がっているんだあ
(ループはつづくよ、どこまでも)

わ~
どうしよう
恐い
恐い
いやだ、いやだ
どうしよう、恐いよう
「痛み」から「思考」そして「ネガティブ感情」へまっしぐらです。
これを「苦しみ」と言います。
「痛み」と「苦しみ」は違います。
「痛み」は、身体が感じるもので、一過性のもので、過ぎっていきます。
「思考」は次々と連鎖的につながって、チェーンメールのように、あるいは無限再生映像のように、頭の中を走り続けます。
そして、免疫力がガタ落ちになります。
「痛み」と「苦しみ」は違うということ。
「危険」と「恐怖」は違うということ。
僕は先程の、あの体験で、再発の恐怖に飲み込まれそうになりましたが、なんとか巻き込まれずにすみました。
頭の中の「恐怖」に支配されずに、それを対処すべき「危険」とらえたからです。
「思考」が創り出すネガティブな未来予想は、ほとんど全てがフィクションです。
幻想です。
それを見抜くこと。
それが、ポイントだと思います。
「さとりをひらいた犬」でも、大熊ゾバックが同じことを言っています。

「“危険”は『いま、ここ』で対処すればいいものだ。
その“危険”を恐れ、未来を憂い、未来を不安視して心の中に作り出す影、それが“恐怖”だ。
したがって、“恐怖”というものは実在しない。
幻想だ。
目の前には危険しかない。
恐怖などないのだ.。
大勢の者たちは“危険”でなく、自らが創り出した“恐怖”という影によって未来におびえながら生きている。
恐怖は自分の思考が創り出した幻想だとも気づかずに。
恐怖の中で生きるということは、幻想の中で生きることと同じ意味なのだ。
この幻想に気づくこと、幻想を見抜くこと、それがほんとうの自分への、ほんとうの自由への第一歩なのだ」
身体って、意外と頑丈で、大丈夫なんです。
その健全なる働きを邪魔しているのは、ネガティブな思考なのですから、
一番いいのは、ここでもいつも書いているように、「考えないこと」なのです。
ネガティブ・セルフトークは、フィクション、幻想だと「見抜く」ことなのです。