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【コラム8】現実への究極の対峙 〜瞑想法〜 (前半)

注:この物語は、私の身に起きた「完全実話」ですが、
プライバシーに配慮し、登場人物や企業名等は原則仮名です

コラム『心の旅の協力者』8


『瞑想』と言う言葉を聞いて、何を思い浮かべるだろうか。

座禅を組み、じっと黙って身じろぎもせず、心を落ち着かせて長時間座り続ける、宗教の修行僧のような姿を思い浮かべる人も多いだろう。

「悟り」「解脱」といった言葉を連想する人もいるだろうし、中には「リラクゼーション」「癒し」「不眠改善」などの身体的効果を想像する人もいるかもしれない。

最近では、世界的大企業の経営者が瞑想を取り入れていたり、「マインドフルネス」という言葉が広まったことで、これまで精神世界に興味の無かった人や、ビジネスの世界でも幅広く浸透するようになった。

瞑想は、近代や現代になってから、癒しや集中力などの副次的な効果を得る目的として開発(又は改良)されたような手法は別としても、

古くからある『瞑想』の手法を突き詰めると、「心を鎮め、悟り(又はそれに相当する状態)の境地を得る」といったことを最終目的としているものが多い。

少なくとも私自身が、瞑想を自分の生活に本格的に取り入れるようになったのは、この「悟りの境地」「神と一体になる究極の境地」に興味があったからだ。

しかし、若かりし頃の私が心の世界を探究したのは、現実的な「悩み解決」が目的だった。

当時から、確かに瞑想という言葉には数多く触れて来たし、興味もあった。

でも、当時はまだ自分自身の理解は浅く、「悩みの根本原因は自分の心」ということまでは理解出来ても、その解決策は、どちらかというと成功法則や、願望実現といったテクニックに興味の矛先が強く向いていて、瞑想に対しても直接的に「悟りの境地」を求めた訳ではなかった。

ちなみに、今では心の分野で情報を発信する側にいる私だが、情報を求めて来るお客様の中には、やはり問題の解決方法を、具体的なテクニックで求めて来られる方は多い。

テクニックの奥にある、もっと根本的な「心」に手を付けなければ、本当の意味での解決は無いということを、頭では理解していても、やはり表面的なテクニックで解決策を求めてしまうのは、仕方のないことなのかもしれない。

テクニックを学び、様々な成功も失敗も実際に経験して初めて、本質的な解決はもっと奥にある「心」が原因なのだと、本当の理解に意識が向くのだろう。

事実、私自身も成功法則の分野において自分自身の目標を達成し、満足の行く結果を出したことで「成功法則」への興味を失いつつあった自分が、次に深く興味を抱いたのが「精神世界」などの、もっと精神性の高い分野の情報だった。

成功法則などのテクニックだけでは辿り着けない「何か」を求める気持ちが強くなったのだと思う。

厳密には「成功法則」も「精神世界」も非常に切り分けが難しく、どちらのジャンルにも属するような内容のものも沢山あって、成功法則より精神世界が本質的などと短絡的に言えるものではない。

しかし、私自身の悩み解決のターゲットが、徐々に根本原因の「心」に絞られて来て、表面的なテクニックではなく、より根幹に近い精神性の高い表現のものに強い興味が移っていった、という感じだった。

そして、成功法則や能力開発では一般的に「愛」や「感謝」などと表現されている、深層意識の更に深い部分、「本当の自分」の部分の言葉の表現が、

精神性の高い分野に近づくと、「宇宙意識」「神」「真我」「悟り」「解脱」「普遍意識」など、様々に変容した。

そして、それらの表現をじっくりと観察すると、詰まるところの結論は、やはり同じ真理を指す言葉であることが、私なりにだんだん分かって来た。

「宇宙意識」「本当の自分」は、心の世界であるが故に、物質的な物のように手に取ってその存在を証明することは出来ない。

だから「本当の自分なんてあるものか」「それなら今の自分はなんだんだ」という反応をする人も多くいる。

しかし、心の世界や真理を深く追究していけば、確かに、私たち人間の五官や心という制約された枠組みの状態では認識することの難しい、「本当の自分」という「意識」の存在を、多くの書物は示しており、それが究極の答えであると語り継がれ、また多くの人々がその境地を求めて来たことも事実である。

私は、それらの知識を自分なりに勉強し積み上げていく一方で、自分自身の成功や失敗などの実体験を経て、その究極の答えに焦点が定まって来たのが、現在、このブログの「自分探しの旅」の中で展開している、独立時代だったように思う。

そして丁度、その時期に私が求めた手法の中でも、納得感があり、実践してみたいと思った手法こそが「瞑想法」だった。

当時、私が強い興味を抱いた瞑想法の本は、内容的には「願望実現法」を説くものだった。

しかし、その本の中には、瞑想、脳波、意識、宇宙、など魅力的なキーワードが並び、著者の実体験を基に、論理的にも納得感のある内容でまとまっていた。

しかもそれは、能力開発教材の会社にいた頃からの私の心の葛藤を、ズバリとついていたような内容だったのだ。

そして、それまでの自分の世界にはない、更なる深遠で大きな可能性の世界へと、私の目を向けさせるきっかけになった。

更に、実際に瞑想教室に通い、その手法を実践してみると、それは私が想像していた以上の効果を私にもたらした。

いや、「想像していなかった効果」と言った方が、正しいかもしれない。

観念というフタを外し、自分に対して自分が無意識についている嘘に気づく、という手法によって、私は、それまで見えなくなっていた自分の深い本音に、どんどん気づく様になっていった。

それまでに徹底的に身につけたプラス思考を、どこかで誤った方向に使ってしまい、その強固な信念が、自分の本音に全く気づけない自分を作り上げていた。

そしてそのフタがあまりに強固であったため、フタが完全に外れ、粉砕した時の衝撃は、自分には受け入れ難い強烈なものだった。

実は、この本に書かれた『瞑想法』は、素直に本音を出すことそのものが目的ではない。

願望実現のために、本来の自分の内に秘められた能力を引き出すには、多くの現代人が無意識に陥っている、顕在意識と潜在意識の分離した状態から、それらを統合していくことが必要で、本質的な意味で心に矛盾が少ない人であればあるほど、願望を実現出来る可能性が高くなる。

だから、頭と本音のズレを無くすために、最初のアプローチとして「本音」を発見していくのだ。

しかし、私にとってこの瞑想法がもたらした最大の効果は、願望実現そのものより、まさに「心の矛盾」を無くしていくこと、つまり、最初のアプローチで行った、自分の本音に向き合ったことだった。

(後半に続く)


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