田久保剛(Takeshi Takubo)
『本当の自分』とは何か。自分が生まれて来た意味は何か。思春期の頃に抱いた純粋な疑問から「自分のコアが知りたい!」とスタートした自己探求の末に、私が見つけた「普遍意識」とは? 約30年に渡って心を扱う仕事を続ける私自身の実話を元に、私が普遍意識に出逢うまでの道のりを物語としてお届けします。
(前回より続き) その翌日、私は正式にB商品課の課長に昇格した。 正直、北野本部長も勢い余って言ってしまっただけのような気もするのだが、まさにこの出来事がきっかけで、北野本部長と私の間には、不思議な信頼関係が生まれた。 B商品課のメンバーは喜んだ。 何故なら私の昇格は、単なる個人的な昇格だけでなく、B商品課の存在を社内に示すものであって、 会社に対しても強い影響力のある新ボスからの、強烈な心理的後ろ盾を得たことにもなるからだ。 当時の私は、自分で言うのも何だが、業
(前回より続き) 私の「自分探しの旅」は、ある側面において、この時代のクライマックスに近づきつつある。 しかし、ここでのクライマックスは、私の更なる「心の旅」への第一ピリオドに過ぎない。 次なるステージを迎えるため、そして完全に自己の崩壊に至るために、私はこのステージで恐ろしいほど強靭な自己を確立していくことになるのだ。 そして、その過程がどれだけ重要な意味を持つのか、それは今、こうして自分の体験を振り返ると見えて来る、壮大な神のオブジェに示されていると感じている。
(前回より続き) 外交セールス部の本部長に迎えられた、北野氏の登場は鮮烈だった。 ある日、部の全員が、会社のセミナールームに集められた。 そこで、初顔合わせの意味を込めて、北野氏の演説が行われることになったのだ。 ライバル社で伝説ともうたわれた元セールス世界チャンピオンが、自分たちの新たなボスになるということで、セミナー会場は期待と緊張感が漲っていた。 やがて会場に、髪をビシッと整え、小柄で少し小太りの人の良さそうな、しかしキリッとした風格のある年輩の男性が、バリッ
(前回より続き) 今井次長の元に結束した外交セールス部・B商品課は、確実に力をつけ、それまでは社内で存在すら知られていなかった様な状態から、A商品課とも対等に張り合うぐらいの業績を上げていた。 その頃、A商品課に異動した赤坂君の代わりに、新しく長沢さんが入社。 この長沢さんもユーザーとして商品をこよなく愛し、その点でウマがあったのか、すぐに違和感なく溶け込んだ。 そんな、順風満帆と思えたこの時期、その事件は起きた。 少し前、電話営業部内で、驚く様な人事異動があった。
コラム『心の旅の協力者』4(前半より続き) この『サンクチュアリ』の他にも、世の中には、人の心を魅了して止まないストーリーが沢山存在する。 そのストーリーの背景に多くあるものは、神話に起源を置く「ヒーロー」の存在だ。 実はこの事は、神話学者ジョーゼフ・キャンベルの「英雄の法則」(ヒーローズジャーニー)や、英雄の法則をコンセプトにして書かれたクリストファー・ボグラーの名著、「神話の法則 ~ライターズ・ジャーニー」などに、もっと詳細に記されている。 とても乗り越えるのは難
コラム『心の旅の協力者』4「田久保君、サンクチュアリって知ってるか?」 「いいえ知りません」 異動して間もない頃、私と今井次長とで交わされた会話だ。 この会話に出て来る『サンクチュアリ』とは、史村翔原作・池上遼一作画の、今井次長の愛読マンガだ。 「へぇ~、知らないんだ…… えええ!!!! し、知らないぃ~~!? 田久保くん、そりゃ~まずいだろ~」 「えっ、何なんですか?」 「ま、まずはその辺りから、覚えてもらわなきゃならないみたいだな・・・」 この『サンクチュア
(前回より続き) 「田久保は外交セールス部のトップセールスマン」 そういうイメージは、徐々に定着していった。 私が電話で成約する姿を見て、「やり方を教えてくれ」と言って来るような人も出て来た。 私は当初、 「絶対に、条件の悪いB商品課で、今井次長を持ち上げ、花を持たせるんだ!」 そんな気概で営業を行い、その成績をキープし続けた。 だから、私にとっては同じ外交セールス部でも、A商品課の営業マン達はライバルだった。 それがまた、自分を良い意味で奮起させる要因となり
(前回より続き) 早朝と夕方はチラシ配りとポスティング。深夜は仕込み作業。 日中はその反響のあったお客様とアポイントを取るか、電話口でのプレゼンテーション。 体力的には確かに大変だったが、私も若かったし、体力勝負の努力が何となく、当時は性に合っていたというか、むしろ頑張れた気がした。 チラシの驚異的な反応率の高さは、当然、私の営業成績に大きく影響したが、もちろんそれだけが理由ではない。 私は、肩の力を抜きつつも、電話営業時代に培った根性で、外交セールス部の社員が全員
(前回より続き) 顧客開拓のためのチラシは、外交セールス部の営業には欠かせないツールだ。 ハンディングやポスティングのためのチラシには、担当者の名前が分かるように、担当者の印を押す。 経験のある方は分かると思うが、数百枚のチラシにスタンプ印を押すのは、結構な時間がかかる。 スタンプ印を押したり、チラシを渡しやすいように、また、ポストに入りやすいように折り込んだりする作業は、お客様からの電話が鳴りにくい深夜に仕込みを行った。 チラシを配るのは、通勤時間に合わせた早朝の
(前回より続き) 前回、なぜ私が、異動から僅か1か月でいきなり成績が上がったのか、二つの部門にあった盲点と、その背景をお話した。 そこだけを聞くと、まるで私が何の苦労もせずに、ラッキーだけで成績が上がってしまったように思った人もいたかも知れない。 しかし、現実的にはもちろん、相当な努力もした。 私も、外交セールス部の先輩方に見習って、通勤・帰宅ラッシュの駅前で、毎日のようにチラシを配った。 チラシのハンディングと一言で言っても、コツがある。 地域によっても反響の質
(前回より続き) 電話営業部と外交セールス部。 それはすぐ隣にあって、あたかも別世界であるかのように、営業スタイルも雰囲気も異なっていた。 別世界を創り上げていた現象的な要因は様々にあるが、結局のところ、それらの要因によって創造された、そこで働く営業マンたちの「意識」こそが、それぞれの世界を築き上げていたのだ。 電話営業部の営業マンは、外交セールス部に対し、 「あいつら、よく、下地の無い独自開拓のお客様に対して、セールスなんて出来るよな」 と思っていた。 逆に、
(前回より続き) 私が異動した先の外交セールス部は、販売代理店を開拓するための部門でもあったが、実際には、当時、販売代理店を育てて売上に貢献するには、まだ発展途上にいた。 事実上、部の売上は所属社員による直販がメインであり、営業マン自身のコミッションも直販が頼りであった。 しかし、販売に至るまでの方法は、私が前に所属していた電話営業部とは、全く違った。 電話営業部の営業マンにとっては、お客様に電話が繋がるゴールデンタイムは、日中ではなく、むしろ夕方からだ。 だから、
(前回より続き) ある日突然のように知らされ、まったく前触れもなかった、異例の人事異動。 電話営業部から見れば、非常に肩身の狭い「外交セールス部」の中でも、さらに存在感の薄い「B商品課」に異動した私は、 電話営業部の同僚からは、「成績が悪くて、閑職に飛ばされたかわいそうな奴」という目で見られていた。 しかし実際は違った。 今井次長が、自分を是非にと山川本部長にかけあってくれ、引き抜かれての異動だったのだ。 この異例の人事と、今井次長との出逢いが、私の運命を変えた。
(前回より続き) その後、山川本部長に呼び出された。 「俺は出したくなかったんだが、他部署からどうしても君を欲しいと言われ、しかたなく今回の異動になった」 と言って、新しい異動先の上司となる今井次長を紹介された時には、 「嘘をつけ!どうせ俺が泣かず飛ばずの売れないやつだから、他の部署に飛ばしたんだろうが!!」 と心の中で思っていた。 しかし、私自身、成績が伸びず、半分やけになっていた頃でもあったので、「どうにでもなれ!」という気持ちで、その辞令をすんなり受け入れた
(前回より続き) この能力開発教材を販売する会社からの採用決定の電話を受け取ったのは、スキーレジャーに出発する直前だった。 つまり、入社の季節は冬。 あれから、季節は巡り、厳しい営業の世界で耐え抜き、再び冬がやって来た。 その知らせは、12月のある日。 当時、私のような成績の良くない社員は、月末になると先輩が上げた契約の書類を、出張して回収に回る。 先輩は営業活動を止めたくないが、月内業績になるため、正式な契約を取り交わすために足を運ばなくてはならない。 その使
(前回より続き) 私が入った電話営業部の中には、 ”ユーザー上がりは売れない” というジンクスがあった。 ユーザー上がりとはつまり、この会社に入る前に、一般の商品ユーザーの一人として商品を購入し、後に社員になった人のことを指す。 なぜ、ユーザーだとダメなのかと不思議に思うが、確かにその当時、その部署では、「商品」から入社した人と、「会社」に入って商品を知った人とでは、成績に差が出る傾向にあったことは事実だった。 一般的にも営業の世界には、「商品に惚れるな」という言葉が