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❖フェアというアンフェアだが魅力的な仕掛け❖ まいに知・あらび基・おもいつ記(2022年2月16日)

(長さも中身もバラバラ、日々スマホメモに綴る単なる素材、支離滅裂もご容赦を)

◆フェアというアンフェアだが魅力的な仕掛け◆
どうして人間は「◯◯フェア」というフレーズに弱いのだろうか(❓)。

最近、家の前のコンビニでは「アジアン・グルメフェア」として、アジア各地(もちろん日本を除いて)のグルメをテーマにした、お弁当、おにぎり、おつまみ、スイーツなどが売られている。

スパイス香るグリーンカレー、温玉ビビンバ、手巻おにぎり旨辛ビビンバ、ダルゴナコーヒーもこ、ダルゴナコーヒー&とろけるミルクプリン、手巻寿司プルコギキンパ、バターチキンカレーおむすび、じっくり煮込んだ豚角煮丼(ルーロー飯)、甘辛ヤンニョムチキン、マヌルパンガーリック&チーズなど多種多様である。

グルメではない私の知識不足かもしれないが、プルコギやビビンバなど、アジアでもどこの国か分かる商品もあれば、どこか分からない商品もある。しかし、とにかく「◯◯フェア」というフレーズに惹きつけられる。デパ地下などで「北海道フェア」などを行うと、とても盛況であるというニュースを見かけるのも、それも同じであろう。

ただ北海道人の私は「北海道フェア」にはそれほど惹かれない。一方で、アジア人にも関わらず「アジアン・グルメフェア」には惹かれているのは不思議である。

ここには、「希少性の法則(原理)」が関わっている。希少性といっても一様ではなく、「量の限定」に関わる希少性もあれば、「質の限定」に関わる希少性もある。

「質の限定」は、ガルブレイスの依存効果に関わるのが典型的であろう。テレビなどである商品がクローズアップされ、その宣伝や広告の影響力で、消費者の購買意欲が喚起され、需要量が底上げされて、供給量は変わらないのに、相対的に希少性が演出されていくことになる。

ここには、有名人が使っているというような付加価値の事例なども含まれる。

今回の中心的な話題になっているコンビニなどの「◯◯フェア」や、家電量販店の「5台限り」はどうだろうか。

「◯◯フェア」は純粋に「質の限定」に見えるが、それが通常の商品ではなく、期間限定という意味を含んでいる。また、「5台限り」はそのまま「量の限定」に見えるが、実際の供給量の減少ではない可能性が高く、付加価値の意味を含んでいる。

つまり、これらは供給量が減少するという純粋な「量の限定」に当てはまらない。情報という仕掛けによって「期間限定だから、それが終わると手に入らない」とか、「あと5台しかないから売り切れるかもしれない」という希少性の錯覚へと消費者心理を誘導しているのである。

そうやって心理面の誘導を狙った情報の仕掛けはアンフェアに感じる部分もある。産油国の減産の発表についても、心理面の変化を狙っているところがあるので、同様にアンフェアに感じてしまう。

「◯◯フェア」や「5台限り」は、もともと買おうと思っていたが、なかなか手に入らず、供給量の少なさを体感し、希少性を有する商品だと気づくパターンではなく、あくまでも「質の限定」に関わる希少性といえる。

これに対して、先ほど述べた、もともと買おうと思っていたパターンは、純粋に「量の限定」に関わる希少性である。

2020年前半のマスクや、最近の検査キットが典型例といえる。

最近、行動経済学の考え方が、中学や高校の教科書で積極的に紹介されている。それは、経済活動を理解するためには、物質的な問題だけでなく、人間の精神的な問題を分析することの重要性が増しているからである。

そして、私が「アジアン・グルメフェア」に反応してしまうのは、アジア人という括りは大きすぎて、同じアジアであってもプルコギやバターチキンカレーに「異文化的な希少性」を感じるからである。

これに対して、私が「北海道フェア」に反応しないのは、北海道人として「異文化的な希少性」を感じないからである。

しかし、長らく北海道に住んでいないので、懐かしさが「異文化的な希少性」を生み出すことは考えられる。それにもかかわらず反応しないのは、三浦知良の「日本代表としての誇り、魂みたいなものは向こうに置いてきた」という名言のフォーマットを借りるならば「魂みたいなものは北海道に置いてきた」という感じだろうか。

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