❖足元美術館XX(優しい絵の具、悲しい絵の具)❖ まいに知・あらび基・おもいつ記(2023年3月7日)
運河沿いの木々を眺めて散歩をしていると、ふと木の根の付近が気になった
木からこぼれた黄色の花びら、同じくこぼれた茶色の葉っぱ
それらに紛れて、別の色があった
それは青と赤
花ならば青も赤も珍しくはない
しかしその青と赤は花ではなかった
花ならば、木からこぼれ、地面に散らかろうとも、いつかは自然に還ってくれる
でもその青と赤は決して自然には還らない
時間とともに細かく砕けて見えなくなることはあるかもしれない
でもそれは自然に還ったことを意味していない
人間の目で捉えられないくらい細かく砕けただけ
その青と赤は地球のどこかに潜んでいる
地球のどこかで漂っている
見えなくなったから解決したわけではない
それなのに人間は見えなくなったら無関心
自然はごまかせない
細かく砕けた青と赤を見逃さない
そうして今日も自然の一部が蝕まれる
自然に還るカラフルならば、目にも楽しく歓迎だ
しかし自然に還らぬならば、楽しさよりも醜さか
木々の根本のキャンバスに優しい絵の具と悲しい絵の具
自然が散らかす優しい絵の具
人為が散らかす悲しい絵の具
散らかすことが悪ではなくて
還らぬことが悪なのだ
優しい絵の具は無邪気だが
悲しい絵の具は罪深い
イギリスの俳優ビル・ナイはこう言った。
「地球に生まれ落ちたときよりも、より良い状態で残していくために、ときには他人のゴミを拾わざるを得ないこともあります」
悲しい絵の具がさらに大きな悲しみを生み出さないように
人為の身から出た錆を片付けるのは
当然に人為の仕事である
ちなみに「ゴミ」はタイ語では「カヤ(ขยะ)」という。それから「ゴミ袋」は「トゥン カヤ(ถุงขยะ)」という。トゥン(ถุง)の部分が「袋」という意味を持っている。
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