【一人で勝手に旅気分】366
(過去の旅についての振り返りです)
★アクティブさと消極性の両立(2019年10月)
【記事累積:2132本目、連続投稿:1065日目】
<探究対象…インド、カルカ、ボランティア、好奇心>
今日の「ナゼ・ナゾ」は、インドの写真です。この写真を撮影したのは、ラオス第1期の途中にあった大型連休を利用してインドの国際ボランティアキャンプに参加したときでした。さて、どんなところが「ナゼ(疑問を持った)・ナゾ(気になった)・アンテナ」に反応したのでしょうか。
今日の写真に映っているのは、1週間のボランティアを終えて、インド北部の町カルカを離れる直前の駅の様子です。
私がここに注目した理由は何であるのか推察してみると、インドの国際ボランティアキャンプに参加するというアクティブさがあるにも関わらず、その際に好奇心をもって様々なチャレンジをしようとする積極性があるのかというとそうでもなかったからだと思います。
「海外でボランティアキャンプに参加する」
「インドの山奥のプログラムを選択する」
「さほど英語が使えないのに申し込む」
このような状況だけ見ると、好奇心旺盛かつアクティブで、どんなことにもチャレンジする積極的なタイプだと思われるかもしれません。確かに、海外で何年も生活し、色々旅行もしてますし、国際ボランティアキャンプにも参加していますが、積極的か消極的かで考えると、消極的な方だと思います。
それは自分自身の生活や活動の中身をどれだけ充実させるかという「ソフト面(質的な面)」については消極的であるという意味であって、生活や活動の大きな枠組みを変化させたいという「ハード面(量的な面)」はその限りではありません。
中身の充実をさせようとするとどうしても他者との関わりが増えます。そのため「ソフト面(質的な面)」の話は、同時に「対人的」になりやすいと思います。そうなるとコミュニケーションに苦手意識がある私は及び腰になり、その部分では消極性が目立つようになるのです。
一方、単純に生活空間や活動範囲を広げようという「ハード面(量的な面)」は、自分自身で決めて動きさえすれば変化させられるものであり、「対人」よりも「対物」中心だと認識しているせいなのか、その部分で積極性を発揮することはできているのです。その結果、海外で生活したり、ボランティアに申し込んでみたりすることに抵抗感はないようです。
2019年に参加したインドボランティアのときも、山奥で桃の木を枯らせてしまうツタをひたすら刈るという活動については積極性を発揮できました。私をサポートしてくれたNGOのスタッフからは、私がほとんど休憩を取らずにどんどんツタを刈っていくため、そんなペースだと後半の日程にやることがないとブレーキをかけられたくらいです。
そしてNGOのスタッフは私のペースをおさえることと、ツタの伐採以外の経験も楽しんでほしいという思いから、「カルカ・シムラ鉄道」を見に行かないかという提案があったのです。ここは2008年に世界遺産の「インドの山岳鉄道群」の一部となりました。
この提案を聞いたときは、自分の経験も増えるし良いなと思ったのですが、他のボランティアプログラムに参加している団体と一緒のツアーになる可能性があることを知り、行きたいという気持ちは一瞬でしぼんでしまったのです。
せっかくのインドで、色々な経験ができるチャンスではありましたが、「ソフト面(質的な面)」に付随する「対人的」要素の煩わしさによって、消極性が私を支配し、結局「カルカ・シムラ鉄道」は見に行きませんでした。
今回の「ナゼ・ナゾ」は、アクティブと消極性は相反するものではなく両立しうることを再認識した写真でした。ボランティアを終えて、鉄道でニューデリーに戻るためカルカの駅で列車を待っているとき、ホームを眺めていると「カルカ・シムラ鉄道」を紹介する看板などが目に入りました。
インドにボランティアに行くというアクティブさがあったとしても、それによって何でも受け入れる、何でもチャレンジするという積極的な人間になるわけではなく、判断や行動の取捨選択において消極性が優位である人間もいることを強く認識した瞬間でした。
でも今振り返ってみると、やっぱりもったいなかったなという気持ちもあります。インドに行く機会はそこまであるわけではないので、あれが「カルカ・シムラ鉄道」に乗ることができる最初で最後のチャンスだったかもしれません。
こうして旅の振り返りをしていると、「後悔先立たたず」のエピソードがとても多い気がしています。いつになったらこうした後悔の経験がその後の教訓として活かされることになるのでしょうか。