❖あれはテレマークスキーだったのだろうか❖ まいに知・あらび基・おもいつ記(2022年2月8日)
(長さも中身もバラバラ、日々スマホメモに綴る単なる素材、支離滅裂もご容赦を
◆あれはテレマークスキーだったのだろうか◆
今もスキー板を保管する小屋はあるのだろうか。
私は小学生6年生の途中まで北海道の北見市に住んでいた。北見市はオホーツク海側で冬になるとそれなりに積雪があり、また学校の校庭は高低差が大きい場所があって、冬の体育はスキーだった。
学校の敷地内に木造の小屋があり、そこにたくさんのスキー板や靴やストックが保管されていた。自前のスキー板などを持っている子は、小屋にそれを預けていたが、私のような自前のものを持っていない子は、体育のときに学校のものを借りて授業に参加していた。
私は地域のスポーツ少年団にも入っていて、冬になると近くのスキー場でスキー講習を受けていた。自前のスキー道具一式を持っていない私は、ウェアも板も靴もストックもとにかく全てをレンタルしていた。小学生では、全部持っていない子が他にもいたが、わざわざスポーツ少年団に入っているのにスキー道具を持っていないのは私だけだった。
スポーツ少年団の先生は、レンタルする場所に私を連れて行ってくれたが、他の子の対応をするため、私がサイズ合わせしたりするのを待ってはくれず、レンタルしたら集合場所に来るように私に伝えて、去っていった。
現在もそうだが、当時はそれに輪をかけて内向的だった私は、レンタルの係員の人にサイズがどれくらいかであったり、サイズが合っているかであったりの意思表示をはっきりできず、かなり時間がかかってしまった。
ようやく私は板を付けたが、いつも体育のときに付けている板との違いを感じていた。しかしそれを係の人にしっかりと伝えられず、またかなり時間がかかっていたこともあり、私はそのまま集合場所へ向かった。
スポーツ少年団の活動は既に始まっていたようで、集団はリフトに乗って山の上に行ったらしい。私が集合場所に着いたとき、ふもと担当の先生しかおらず、先生はリフトに乗るように伝えてくれた。
私がリフトを降りたとき、もうほとんどの子がふもとに向けて滑っていた。私は板の違和感を先生に伝えようとしたが、すぐに滑るように指示され、それに抗って違和感を伝えるような自己主張を私は持ち合わせていなかった。
私はゲレンデを降り始めた。しかし体育のときとは異なり、エッジが効かず、スピードがぐんぐん増していく。全くコントロールできずに、私は脇に積まれた雪の中に突っ込んだ。
私は望まぬ形で、皆の笑い者になった。
何とか先生に板の違和感を伝えようとしたが、先生も笑っていて、私は伝えるのを諦めた。そしてリフトに乗り山の上へ。私はもう一度、笑い者になった。
私はそこで何とか体調不良だと伝え、その場からの離脱を許された。そして、板などを返却し、プログラムが終わるまでレストハウスにいた。
結局、板の違和感を先生に伝えることはできなかったが、スキー板は普段体育で使っているのとは違い、踵が固定されておらず、浮く形のものだった。
その後、スキー板には種類があることを知った私は、それがゲレンデ用ではなく、クロスカントリー用だったのではないかという思いと、なぜ係の人はクロスカントリー用を出したのかという疑問が生まれた。
最初はそうして、自分に非がないことを正当化し、転んで笑われた恥ずかしい気持ちから自分を守ろうとしていた。これはフロイトなどが類型化した防衛機制の一つ「合理化」だったように思える。
だが答えを確認する術はなく、笑われた恥ずかしさや、自分に非はなかったのではないかという気持ちから生じるフラストレーションを上手く処理できない私は、別の防衛機制である「抑圧」によって、記憶の奥底に仕舞い込み、自分の心を守った。だからこの出来事自体、すっかり忘れていた。
しかし昨日、朝のテレビ番組で、林修先生のクイズを見ていると、踵が浮くゲレンデ用のスキーとして、「テレマークスキー」が紹介されていた。テレマークスキーとは、ゲレンデ用のスキーだが踵が浮く構造で、足を前後に開いて回転できるものである。この回転技術はテレマークターンと呼ばれ、ジャンプ競技で足を前後に開き着地の衝撃を和らげる姿勢もここからきている。
この番組を見たとき、かつての記憶が一気に戻ってきて、私がクロスカントリー用スキーだと信じていたものは、実はテレマークスキーだったのかもしれないと思うようになった。
同時に、ゲレンデにおいて踵が浮くスキーがあるということは、クロスカントリー用を間違えて履かせても気づかない可能性があるかもしれないという疑念が再燃してしまった。
あの時のスキーは、踵が浮くだけでなく、他の人の板より、細く、学校で履いていた板のようにブレーキが効かないのも、あれがやはりクロスカントリー用でエッジがなかったからではないかと。
当然のことながら、あの時のスキー板が実際何だったのか、それは分からない。しかし教員という職業である私が、あの時の自分の無念を晴らせることとしては、あの時の自分のようにSOSを上手く伝えられないが何とか出そうとしている子どもの些細なサインを見逃さないことだろう。
「私たちがここにいるのには理由があります。 松明を掲げて、暗闇の中にいる人々を導く役割があると信じています。」
これはアメリカのアクターで、映画『天使にラブソングを』などで知られるウーピーゴールドバーグの言葉だが、私も教員として「気づきという松明」によって、子どもたちのサインを照らし、心が守られる場所になるようなサポートをしていきたい。
もちろん集団生活では多くの試練があり、それらを経験して心を鍛えていくことは、健全な人格形成にとって重要である。しかし様々な衝撃で、心が潰れてしまわないように衝撃を和らげるサポートも必要である。そんなサポートこそが、「教育におけるテレマーク」であろう。
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