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「離島の保健師をやってみた」第五回 〜離島から戻ってきた〜

 私が離島で保健師をしていたという話をすると、「で、どうして離島から戻ってきたの?」という質問もよくあります。せっかく苦労して離島まで行って保健師を頑張っていたのに、なぜわざわざ帰ってきたのか…、これも、普通の常識で考えると、おおよそ想定外なのでしょう。私自身もやっぱり想定外でした(笑)。

 島に行くまえは、「もうこのまま島で一生暮らしていこう」と大きな決断をしていきましたが、なかなかどうして、人生うまくいかないものです。いや、現在の私は、島から戻ることができたから、いま自分の好きな研究活動ができていると考えれば、案外、人生うまくいっているのかしら?

 2年間という短い間でしたが、保健師として離島の医療活動に関わることができただけでなく、自分自身も、島の住民として離島の生活を経験できました。それは、想像以上に充実しており、ハードな毎日でした。暮らしの環境も変わり、仕事の内容も(今までの看護師などの経験があるとしても)おおよそはじめてであったため、それはそれはめまぐるしい日々が続きました。島の生活にも慣れ、仕事の内容も、だんだんと覚えていき、少しずつ、それなりに、こなしていくことができたころ、それは、およそ島についてから、半年くらい経過したころでした。

 その時点で、島の住民の皆様に、保健師としての私を周知していただきましたが、すこしずつ、いろいろな人間関係や、島の事情に関わらざるを得ない部分も生じてきました。役場のなかでも、いろいろな人間模様があり、徐々に意見の衝突や、軋轢が生じてきました。自分自身も少し頑張りすぎた部分もあり、最終的にバテてヘロヘロ状態となり、「このままでは共倒れになる」と感じ、島をあとにしました。

 状況が許せば、島での保健師生活を続けていきたい気持ちはありましたが、いろいろな兼ね合い(ちょうど母校の教員募集があり「そろそろ帰ろうかな」という気持ちにもなりました)もあり、リタイヤとなりました。島から戻り、再び大学の教員になりましたが、教員になって半年くらいは、「もう一度、島に行って保健師をしてみたいなあ」という気持ちが強かったです。実際にいくつかの離島に保健師の採用について問い合わせたり、履歴書を送ったりもしました。しかしさすがにもう若くはないなと感じたこと、そして、一度、チャレンジしてリタイヤしたのだから、もういいだろうという気持ちから、総合的に判断し、思いとどまりました。(笑)

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小池武嗣(こいけたけし)
フライトナースや離島の保健師の経験を還元できるようなバーチャルリアリティ環境の構築およびコンテンツ作成が主な研究分野です。研究のための寄付を募っております。研究の成果はこのnoteで公表していく予定です。どうぞよろしくお願いいたします。

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