42歳、8社目の転職【上】退職編
転職8社目。世間の平均的な回数に比べれば遥かに多い転職回数ですが、ここまで後ろ髪を引かれた退職は初めてでした。それでも在籍期間が1番長かった4年5ヶ月。退職することを会社に伝えてから3ヶ月経った今、42歳の人事部長の周りで何が起こっていたのか、感謝とリスペクトを込めて書き綴ります。
初めてリアルタイムで書く転職記
私のnoteを初めて読んでくださった方、ありがとうございます、はじめまして、かなやんです。いつも応援してくださっている皆さま、本当にありがとうございます。
2003年に大学を卒業して社会人になって以来、実に8社目の転職となりました。平均して1社2〜3年の在籍期間。それでも今回は、4年5ヶ月という、私にとっては長すぎる位の期間、人事責任者としてお世話になりました。
実はnoteやTwitter、YouTube、LinkedinといったSNSで、自分の転職歴やキャリアの話を発信し始めたのはここ数年のことで、それは全て過去の出来事でした。今回のようにリアルタイムで起こっていたのは初めて。大抵のことは寝て忘れてしまう自分にとって、思い出はキレイに美化されてしまうのですが、リアルタイムとなると、決してポジティブな気持ちばかりではありませんでした。新しい会社に入社して1週間、ようやく過去形になったので、転職記の続きを書いてみようと思います。
ぼっち人事から人事部長までの4年半
従業員200名弱グループ5社全体の人事責任者を務めていました。今までの転職に比べれば、そうそう簡単に辞めますとは言えないポジションだと思っています。それでも退職することになりました。
特に一緒に仕事をしていたのが、人事メンバーのナオ君とモエさんと、直属の上司にあたる管理部門の役員でした。4年半前、まだグループ会社ではなく1社だけで人事部がなかった頃、人事1人目として入社して、上司である役員が作り始めていた人事部や管理部門を形にして、私が入社して1年経たないうちに人事未経験のナオ君とモエさんにも入社してもらい、ずっと一緒に仕事をしてきた4人でした。
私が入社した時には、経理と総務が3人いただけだったのに(そしてその3人は、今でも会社を支えてくれています)、気付けば管理部門だけで15人以上の組織になっていました。私が入社してまずは部門ごとにやっていた中途採用を巻き取り、さらには会社として初めての新卒採用に取り組み始めました。当時は毎月数名の入社が続く状態で、毎日のように朝から夜まで中途面接に加えて新卒採用のイベントも開催していました。入社半年も経たずしてすぐに1人ではまわらなくなり、人事未経験だったナオ君とモエさんに入社してもらいます。その後入社2年目は採用もやりつつ、メンバー2人を育成しつつ、労務や給与計算、人事制度をほぼゼロから整え直すこともスタートしていました。2人も入社して1年も経たずあっという間に自走してくれるようになりました。そして同時に会社が半年のうちに1社から一気に5社になり(つまりは毎月のように会社が増えたり分かれたりしていました笑)その準備に追われ、実際にグループ会社化してからも、業種職種の全く異なる5社の労務や制度を標準化するまでは、そこから更に1年以上かかっていました。
退職を伝えたときの周囲の反応
そんなカオスな状態を共に走ってきた管理部門役員とメンバー2人、そして共に200人の会社を支えてきた15人以上に増えた管理部門のメンバーでした。会社の状況としては、まだ区切りとは言えないタイミングでもありました。
そんな時に辞めるなんて、という後ろめたさも自分にはありました。でも、辞めることを伝えてから今日までの間、私を責めたり、表立ってネガティブな反応をする人はいませんでした。むしろ、みんな神じゃないかと思う対応ばかりでした。
最初に伝えたのは、上司である管理部門役員でした。退職を決意するまでの経緯を一通り話終わったあとに言ってくれた言葉は、「こうなったのは自分の責任で、申し訳ないです」でした。もっと怒られるか、今辞めるなんてありえない的な反応をされると思っていたので、まさかの反応でした。その後、数ヶ月かけて大量の引き継ぎ期間中も、一度も責めたり、引き継ぎが面倒だみたいな反応をされることがありませんでした。
伝えた順序の正確なところで言うと、管理部門役員に言う数日前に、辞めるかもしれない、と言うことをナオ君とモエさんには伝えていました。そこまでに至った理由は2人も知っていたものの、その時点ではまだ2人とも、辞めない選択肢もまだあるかもしれないと、期待が残っていたそうです。そして管理部門役員に伝えた後、正式に退職することを2人にも伝えました。モエさんはしばらく言葉が出ないほど涙が止まりませんでした。ナオ君は「残された人事部を守るの自分しかいないんで」と私の仕事、特に人事あるあるの、ネガティブなことも多い調整に次ぐ調整の嵐の中心となる立場を、勇敢にも引き受けてくれました。
管理部門の心優しい部長陣それぞれからも、寂しいという言葉を掛けてもらったのですが、その中でも印象的だったのが、普段はあまり他人のプライベートなことを根掘り葉掘り聞かない、グループ化した際に怒涛の労務整理で助けてもらっていた人に、「実際のところ、どうして辞めるんですか?」と2人だけの時に声を掛けられたことでした。正直、そこまで他人に首を突っ込むような人ではないと勝手に思っていて、詳細な退職理由は管理部門役員とナオ君モエさんにしか言っていなかったのですが、その人には伝えました。その時に改めて気付いたのですが、会社の中で、労務や給与計算という仕事の実務を本当に知っていたのは、その人と私だけでした。だから、200人を支える労務部門が実際のところどのくらいの仕事なのかを本当の意味で知っている人は、他にはいなかったわけで、私が辞めることの実務的な恐怖を理解していた唯一の人ということになります。
少し話はそれますが、労務や給与計算の仕事は、今後もIT化やAIがもっと自動的に処理してくれるようになることは間違いないと思います。でも一方で、日本の労働基準法は複雑なので、会社ごとにどうしてもカスタマイズが必要で、そこには全体をコントロール出来る人手は残ると思います。ただ、この仕事は世の中の全ての会社員が関係していることなのに、その中身を知っている人は、経営者を含め本当に少ないです。私も労務の仕事をするまで、社会保険の仕組みは全く知りませんでした。だから全国の労務担当、特に出来上がった仕組みの中で手を動かすに留まらず、仕組みを作って動かしている方たちは、今日も周囲には理解されない苦労をしている日々かと思いますので、これからも勝手に仲間だと思っています。
そして、社長からも激励の言葉をいただきました。直接話した際には「いよいよ起業ですか?これからは友達なので、その時には全力で応援します」と。そして退職の翌日には、今までの御礼をメッセージしてくださいました。
世の中の退職理由のほとんどが人間関係だとよく言われますが、私の場合はそうではなかったので、いつも本当に周りの人に恵まれているなと感じずにはいられませんでした。
怒涛の引き継ぎ期間
そこからおよそ3ヶ月は、ナオ君とモエさんへの怒涛の引き継ぎが繰り広げられました。すぐに私の後任を迎え入れることはしないことになっていたため、私が抱えていた実務的な仕事を、2人に分担して引き継いでもらうことになりました。ほとんど毎日、やりながら覚えるというよりは、こちらが一方的に伝え続ける、というような速いスピードでした。2人の上司として、その機会はいつか来て良いものだとは思っていたのですが、突然過ぎたし短期間過ぎたことは否めません。それでも2人は、一度も文句を言うことなく、嫌な顔をすることもなく、そして諦めることもなく、真摯に引き取ってくれました。私が有給休暇に入ってからも、退職してからも、何度か連絡は取り合っているのですが、会社を支えるなくてはならない縁の下の力持ちとして、今も必死に頑張ってくれています。
送別会、そして退職
引き継ぎや週末の採用イベントもあったので、有給休暇の日もあればそうでない日もある繰り返しで、最終出社日はあるようなないような感じで退職日を迎えました。それより遡って退職日の1ヶ月前には、こんなご時世の中、管理部門のメンバーだけ10人以上が集まって送別会もしてくれました。
基本、月初も月中も月末も常に忙しい管理部門。こんな風に自分のために集まってもらえるなんて思っていなかったので、本当にありがたいことです。
ちなみに、いつも人事部ではご飯に行っていたのですが、退職が決まってからはそんな時間は本当になく、ご飯に行くこともなく気付けば退職日を迎えていました。感謝の気持ちを込めて、今からでも美味しいものをご馳走しなきゃです。
こうして、温かい人たちに囲まれて、私史上最長の4年5ヶ月という期間が幕を閉じたのでした。