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「リクルートで学んだこと4~長いスランプを越えた先に」キャリアに悩むあたなたへ。転職7社、やりたいことをやって幸せになるためにボクがしてきたこと(15)

入社して半年くらい経ってから、2年目になるまでの半年間、ボクは全く売れないスランプを経験しました。既存クライアントの売上のみで、文字通り売上が微動だにしない半年間は、会社にいる意味、お給料をもらう意味を考えると、自分で自分の存在価値を否定するしかない暗黒時代でした。

売れない言い訳はいくつでも

チームで唯一の郊外担当だったこと、コアエリアのノウハウは通用しない(と思い込んでいた)こと、郊外エリアでは売れてる本誌を撤退したばかりだったこと、撤退したので不信感を持たれていたこと、現状維持でお店は充分潤っていてアップセルの必要性がなかったこと、郊外エリアはそもそも競合店が多くないので広告合戦にもならなかったこと、シャッター街になりつつある時期でコアエリアから郊外エリアにユーザーを呼ぶことは地域的に難しくなっていたこと。。。

売れない言い訳はいくつでもありました。何より入社一年目でありながら郊外エリアを一人で担当していたので、郊外エリアを担当したことのない先輩たちに相談するものの、なかなか答えがわらかない。郊外エリアで上手く売れるノウハウも見つけにくい。コアエリアでみんなが順調に売上を上げていくのを横目に、郊外エリアの既存クライアントの売上を現状維持するのみ、競合店が少ないのでネット原稿もほぼ前月の流用で、一体自分は何のために仕事をしているのか、わからなくなってきていました。

逃げ道はなかった

東京配属でなければ逃げ出していたかもしれないです。北九州と言う逃げ場のない地に配属され、3年半の契約満了後にはウェディングプランナーの会社に入ると伝えた上で修行しに来ていたので、仮にその時点で逃げ出しても、もう帰る場所はないような追い込まれ方を自分自身で課していました。

だからと言って、逃げ場がないから頑張れたかというと、頑張っても空回り続き。一人郊外エリアでトボトボ歩きながら空回りを続けられるほどタフでもありませんでした。

やれることだけをやる

そう簡単に劇的に変われる方法はありませんでした。ボクに出来たことは、会社に行くのが嫌になりながらも会社だけには行くこと。少なくとも既存クライアントには迷惑を掛けないようにやるべきことはやり、顔も出しに行くこと。少ないながらやることはあったので、それだけはコツコツやり続けました。

転機は自分からではなく、時間と周囲の環境からやってきました。

続けていたからこそ訪れる機会

ジッとコラえる期間にもよるかもしれませんが、辞めたり逃げたりせずに、出来ることだけは経験を積んでいたからこそ、次の機会に恵まれたときに、すんなり道が開き始めました。

コアエリアを担当していた同期が大怪我をきっかけに退職することになり、同時にコアエリアを担当していた先輩の異動も決まったため、急に人手が足りなくなりました。その頃にはボクも間もなく丸一年経とうとしていたので、ゆっくりながらも経験は詰めていたことと、ちょっと難しめなクライアントでも大丈夫という安心感はチーム内でも得られていたため、コアエリア担当の二人から引継ぎをもらうことになり、その引継ぎも大きめの難しいとされるクライアントばかりでした。

難しいクライアントというのは、上手く信頼さえ勝ち取れば、大きく逆転できます。ボクは逆転を狙ったわけではなく、初めてのコアエリアでただ実直にそのクライアントたちと向き合うしか術はありませんでした。そしてコアエリアのノウハウを郊外エリアでは当てはめることが出来なかったそれまでの長いモヤモヤ感が、一気にはじけるときでもありました。

ただ実直であり続けた

半年間全く売れず、腐っていたボクが、逆転を狙ってやろうとか、やっと担当できるコアエリアで花を咲かせてやろうなんて、そんな挑戦的なことを考えられるほど、ボクはガツガツしていませんでした。その機会も今まで通りただ実直に向き合う、ボクに出来たことはそれだけでした。

それが功を奏して、ボクは一気に営業成績を上げることになります。本誌を扱ったことがなかったからこそ、やりたかったアイデアはたくさん頭の中に蓄積されていたので、クライアントへの提案もノリに乗ります。

上司の優しい後押しもあり、おかげでボクは全国のMVPに躍り出ます。正直、MVPで表彰される人たちが格好良く共有するナレッジは、ボクにはあったのかどうかわかりません。ただただ、出来ることを必死にやってきたから。それだけでした。MVPはたまたまだと思っています。

郊外エリアの本誌復活

MVPよりもボクにとって大きかったことは、その後の郊外エリアの本誌復活でした。予算削減のために一度実行されたことを、簡単に覆すことはそうない会社ですが、それを復活させてしまったのです。ボクのスランプ期間、郊外エリアのクライアントがいかに本誌の効果があったのか、それがいきなり会社の都合で打ち切りになり裏切られた気持ちだった、ということを何度も聴いていました。(郊外エリアで本誌が打ち切られたのは、ボクが入社する少し前だったのです。)上司が変わったタイミングだったこともあり、郊外エリアでの本誌の必要性を訴えかけて、そこまで言うならやってみよう、と上司が言ってくれて、あれよあれよと本誌復活までこぎつけたのです。

郊外エリアの本誌撤退から2年ほど経っていたので、復活とは言っても、また掲載してもらい、ユーザーに再認知させることは簡単なことではありませんでした。本誌設置ラック場所の交渉をしたり、本誌掲載無料キャンペーンをやってみたり、本誌街頭配布を自分でやってみたり、やれることをとにかく色々やらせてもらいました。渋々だったクライアントも、最後は熱量で押すしかありませんでした。

あれから8年も経つのですが、都心と違い、地方はいまだにフリーペーパーは強く、シャッター街だった郊外エリアが再び盛り上がっていることもあり、今現在は本誌に郊外エリアのお店もたくさん掲載されています。研修で未来予想図をイラストで描いたことがあったのですが、郊外エリアに本誌が復活して、シャッター街が再び飲食店とユーザーとの新しい出会いに溢れているボクの未来予想図が、ボクの卒業後に引き継がれ、形になっていることは本当に嬉しいことです。

スランプを抜けるのに、ドラマチックなことはしていませんし、挑戦し続けたと言えるほど頑張ったわけでもありません。辛い日々を、少しずつでも、ただただ前に歩み続けたことで、時間と環境がチャンスをもってきてくれて、その機会に乗ることができたのです。

かなやんレベル18→19
・1ミリずつでも実直に動く
・下がった後は必ず上がる


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かなやん|たぐいまれ代表|情熱研修企画|キャリアコンサルタント
ここまで読んでいただきありがとうございました!