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「死に向き合って考えたこと」キャリアに悩むあたなたへ。転職7社、やりたいことをやって幸せになるためにボクがしてきたこと(4)

あと半年で40歳。ボクも大切な人を何人か亡くしてきました。死を身近に感じることは、本当に人を強くするな、と思います。

父のガン

ボクが高校3年生のとき、父が胃がんになりました。その直前、父は原因不明で半身マヒになり、文字通り上から下まで半分だけ体が動かない状態で、顔も凄まじい形相でストローでしかご飯を食べられず、とても怖かったことを覚えています。ただその半身マヒのおかげで、精密検査をした結果、胃がんを早期発見することが出来ました。胃がんは進行が早いらしく、あと少しでも発見が遅かったら、大変なことになっていたそうです。父は胃の三分の二を切除して、一命を取り留めました。その後、5年は再発の可能性があり、いつ死が訪れてもおかしくない状態でした。

結局父はその後再発することはなく、食べることの大好きだった父は、いったんは食が細くなったものの、驚くことに小さな胃になっても以前のような食欲が戻り、半身マヒも元通りになり、今も元気に生きています。

ボクは、半身マヒの恐ろしい形相の父を見ていた後、胃がんが判って手術までの期間、父が入院している病院へお見舞いには行けませんでした。それくらい怖く、そして自分のことではないにしろ、死が自分の身近にすぐそこまで近づいてきた初めての経験だったのです。

父は生還したわけですが、日常の中に、そんなに簡単に死が近づいてくる恐怖を植え付けられた自分は、自然と死を意識するようになり、父のようにいつ死ぬかわからない恐怖に、いつ襲われるかわからないのであれば、出来るときに好きなことをやり切ろう、と、無意識のうちに思うようになっていました。

大切な恩師の死

その後、二人のお世話になった恩師が、突然亡くなりました。一人は、アルバイト先ファミレスの女性店長。当時、女性が店長になるのは大抜擢で、肝っ玉母ちゃんみたいな人で、高校生くらいの息子さんと娘さんもいて、いつもパワフルで元気だったのに、高速道路を運転する車の事故で突然亡くなってしまいました。ボクがフリーターやりながら劇団を主宰していたときで、いつも優しく応援してくれていました。

もう一人は、大学時代もフリーターになって劇団を主宰している間もずっとお世話になっていた舞台照明会社の社長。彼がいなかったら、大学時代に思い通りのミュージカルは創れなかったし、会社を辞めて劇団を主宰しても続けられなかったかもしれない、それほど支えられていました。劇団主催を辞めたあと、しばらく会わなくなっていたのですが、実は大病が彼の体をむしばんでいたそうで、ボクが九州で働いていたころ、突然連絡が入り、ステキな奥様を残して亡くなりました。

母の死

そして5年前、突然の母の死。交通事故でした。雨も降っていない、晴れた昼間、パートからの帰り道、施設の方たちを送迎する大きめな車が、運転を誤り、青信号を渡る母は、帰らぬ人となりました。

その時期、ボクは入社して半年くらいの会社で、社内がバタバタになり、必死で仕事に取り組んでいた時期で、普段はないのに、その日に限って、少し遠方で仕事をしていました。お客様との打ち合わせ後、父の動揺した留守電をやっと聞き、そこから2時間、電車の中でパニックになりながら病院に向かい、到着する頃には、もう、母と話すことは許されませんでした。

ボクを後悔させなかった、母への感謝

母が亡くなったのが、ボクが34歳のとき。よくある、もっと親孝行しておけば良かった、という後悔は、全くありませんでした。それは、自他共に認めるマザコンで、社会人になってからは各地を転々として、母と一緒にいる時間は少なかったものの、常に連絡をくれて気遣ってくれていた母とは、ちゃんと会話が出来ていたのです。だから、もう話せなくなってしまうことに、後悔することがありませんでした。(もちろん、寂しさはいっぱいありました。)

やりたいことはやりたいときに

もう一つ、母を誇りに思ったことが、葬儀の日、本当にたくさんの方が駆けつけてくれたこと。身内のお葬式を手配するのは初めてのことで、母の携帯電話が事故により中身を確認することが出来なくなっていて、母の知り合いに連絡を入れることは本当に大変でした。でも、なんとか母のことを知ってくれた方たちが、そこからたくさんの母の知り合いに拡げてくれたようで、お通夜も葬儀も、たくさんの人たちにお越しいただけたのです。しかも、母の様々な趣味毎に、色んなグループの友人がいらっしゃって、こんなに友達がいたんだと、驚かされました。母の棺の中には、たくさんの趣味にまつわるものが一緒に入れられたのです。ずいぶんとにぎやかなお葬式でした。

友人と旅行にいくとか、ダンスの発表会があるとか、描いていた絵の展覧会があるとか、母にはまだまだ楽しいことが残っていたとは思うのですが、やりたいことをやりつくしていた母のことを知り、父のガンのときのように、改めて、好きなことはやりたいときにやれるときにやらなきゃなと、気付かされました。

こうして、限られた生の時間の中、やりたいと思ったことは、やりたいときにやり切る、そんな考え方で、ボクは日々を生きているのです。

かなやんレベル3→8
・限られた生の時間は待ったなし
・やりたいと思ったことはやりたいときにやり切る


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かなやん|たぐいまれ代表|情熱研修企画|キャリアコンサルタント
ここまで読んでいただきありがとうございました!