記事タイトル

「リクルートで学んだこと3~営業マンの育成方法」キャリアに悩むあたなたへ。転職7社、やりたいことをやって幸せになるためにボクがしてきたこと(14)

当時のホットペッパーは全国的にほとんどが3年契約社員で占めていました。飲食店に行くユーザーを20代女性というターゲットに定めていたため、飲食店オーナーと伴走する担当営業もその視点が必要ということで、3年で若いメンバーが入れ替わることは事業戦略として考えられている部分でもありました。

未経験から売れる営業マンへ

3年でメンバーが次々と入れ替わっていくということは、短期間で売れる営業マンを育成する必要がありました。どう育成するか、その当時は支社ごとに委ねられている部分が多く、ボクの所属していたグループは、とにかく反復することを継続していたなと思います。今思うと、本性は怠け者ばかりのメンバーだった気がしますが、お互いにビジネスパートナーとして、怠けるところを抑制しあいながら、切磋琢磨していたなと思います。

朝の時間が濃厚すぎた

飲食店営業のコアタイム(店長やオーナーが相手してくれる時間)は14時から17時くらい。戻って夜は広告原稿作り。では朝はゆっくりしているかと言うとそんなことはなく、15人ほどのうちのグループでは、毎朝様々なメニューを自主的に作って、チーム全員で実践していました。ロープレヨミ会(数字の進捗を追う)その繰り返しでした。ロープレが苦手な人もいれば、数字の苦手な人、あるいは今月は売り上げが上手くいかずヨミ会が嫌な月もありました。でも逆に得意な人もいるわけで、それをお互いに補っていました。

得意だったロープレ

演劇をやっていたボクにとって、ロープレは楽しい時間でした。毎月のように新しいキャンペーンをやっていたホットペッパーだったので、売る商品や強化する商品が目まぐるしく変化していたし、当時はパソコンや携帯の媒体仕様も常に改善を進めていた時期だったので、どう原稿に落とせばどう魅せられるのかを考えることはとても楽しく、それをクライアントにどう提案できるかは腕の見せ所でした。ありがたいことに全国のロープレ大会では賞もいただけたほどで、コロコロ変わる商品内容を、いかにわかりやすく魅力的に伝えるかは、グループの中でも率先して考えてみんなに伝える役割もいつの間にか担っていました。

逆にうちのチームは、資料作りには力を入れていませんでした。毎月キャンペーンは変わるので営業推進室のようなところが説明資料は作ってくれて、それをアレンジすることは自由だったのですが、大抵東京グループの人たちがシャレオツな資料を作っていて全て共有されているので、それを使っていました。その分の時間を、ロープレだったり広告原稿作りだったりに充てていたので、理にかなった進め方をしていたんだなと、今更ながら思います。(おかげでプレゼン資料作りにはいつも苦労しています。)

苦手だったヨミ会

一方で、数字を論理的に組み立て、それを提案に結び付けることはとても苦手でした。そもそも数字も苦手ですが、時間をかければ理解はできる。でも営業はそれだけじゃダメで、その記号である数字を生きた数字に息を吹き込み、クライアントに提案する必要がありました。今考えるとそれってとても楽しいことだと思うのですが、当時は、ただ数字を達成するため、クライアントの気持ちなんて考えずに売るなんて、という気持ちがあったので、なかなか苦痛な時間でした。そして勢いで売る自分には数字を事前に計画してその通りに相手にウンと言わせるなんて、考えられないことでした。ただ、出来るビジネスマンには当たり前のことですが、この当たり前の数字をデザインするってことは、難しながらも学ぶことが出来た3年間でした。

反復練習は強し

何事も同じですが、やはり同じことを根気よく続けることは、必ず力になります。ボクが所属していた3年間は、特にこれらのことを力を入れていて、どれだけ忙しくても、その時間だけはチームみんなでしっかりと確保していたおかげで、ボクもかなり鍛えられたと思っています。

かなやんレベル17→18
・場数を踏むことは全ての近道
・数字への考え方


ここまで読んでいただきありがとうございました!