人生甘くないよ!たけし日本語学校奮闘記 第1話「出会い」
2003年9月1日、西アフリカベナン共和国で「たけし日本語学校」を開校しました。開校から今日まで、いろいろな事がありました。
育った環境も違えば、年齢も15歳離れているベナン人と日本人の2人が、「たけし日本語学校」という1つの夢に向かって進む珍道中を数回にわけて書き進めたいと思います。
※この話はすべてノンフィクションです。
ゾマホンさんとの出会い
2000年、僕は羽田空港から新宿駅までのリムジンバスに乗り込みました。
ほぼ満席です。そんな中、ポツンと1つだけ席が空いていました。
「隣、いいですか?」
ゾマホンさんは疲れた表情で
「どうぞ。」とだけ言い、バスの窓にもたれかかって目を閉じました。
それが、僕とゾマホンさんの最初の出会いでした。
当時、僕は大学生、ゾマホンさんは大学院生のかたわら、テレビのお仕事をされていました。
まさかこの出会いが自分の運命を変えるとは想像もしていませんでした。
僕は剣道をやっていたこともあり、将来、地元富山県に帰り、学校の先生か、警察官になろうと考えていました。
しかし、教育県の富山では地元の国立大学以外で教員になるのは難しいと聞かされていました。さらに教員が足りているらしく、採用枠もかなり限られていると聞かされていました。
そんなこともあり、僕はすぐに富山に帰らず、海外の学校で経験するのもありかな・・・と淡い希望を抱いていました。
ベナンに日本語学校を作りたい
僕はあまりテレビを見ていなかったので、ゾマホンさんのことは詳しくは知りませんでした。ただベナンで「たけし小学校」をつくったことは知っていました。目を閉じているゾマホンさんに恐る恐る声をかけました。
「ゾマホンさん、いまの日本の教育についてどう思いますか?」
「すみません、いま私は疲れているので、少しだけでよければお話しします。」そこから約20分、ゾマホンさんは熱く日本の教育について話をしてくれました。
・・・ゾマホンさんの結論「日本の教育ではアフリカのことは正しく教えていない。」とのことでした。
なるほどと納得した僕は、さらに質問をつづけました。
「ゾマホンさん、僕にできることはありますか?」
そうすると「ベナンに日本語を教えに来てください。」といわれました。
いま、思い返せばたったこれだけの会話ですが、ゾマホンさんのこの一言が僕に「ベナンで日本語を教える」という明確な目標をもつきっかけになりました。
ゾマホンさんの再会
初めての出会いから2年が過ぎました。僕は晴れて大学を卒業し、日本語学校に就職しました。その間ゾマホンさんとは一度もあっていません。
2002年4月18日、僕はゾマホンさんに思い切ってメールをおくりました。
自分が日本語学校に就職したこと、ゾマホンさんが本当にベナンに日本語学校をつくりたいのかなどなど・・・
翌日、ゾマホンさんから大事な話だから四ツ谷で会いましょうと連絡がきました。ゾマホンさんとは2年ぶりの再会でした。
ゾマホンさんと僕は、ゾマホンさんが通っている上智大学構内の自動販売機の前のベンチで再会しました。
ビジョンは決まった!
「これからの時代は人材育成が重要ですよね。
そのためにベナン共和国で日本語教育をやって、日本の大学に優秀な留学生を送ろうよ。」
ゾマホンさんと会わなかった2年の間に、僕なりにいろいろ調べ、結論ゾマホンさんが「母国に日本語学校を作りたい。」という夢を僕もおいかけていました。
「ベナンで日本語教育を実施し、留学生を日本におくる。」
「魚を欲しがる友達に魚をあげるよりも、魚の捕り方を教えた方がいい。」
2人のやるべきことを決めるのに、時間はかかりませんでした。
よし、これで決まり!
ビジョンより大事なこと
お互いのビジョンはあいました。でもまだ2人は会って数時間の関係。
(僕の心のつぶき)
「ゾマホンさんはどれくらい本気でやろうとしているのか?」
(ゾマホンさんの心のつぶやき)
「彼を信用してよいのだろうか?卒業したばかりなのに何ができるのだろうか?」
どれだけ相手を信頼、信用するか・・・これが何よりも大切でした。
そこで僕がとった行動は
「ゾマホンさんの都合にあわせて、会う約束をとりつける」でした。
ゾマホンさんは僕より目上の人です。そして僕のやりたいことはゾマホンさんの国です。ならば、ゾマホンさんに自分をあわせることからはじめよう。
そう決めました。
「明日17時に会いましょう。」と約束しても、
ゾマホンさんが時間通りに来なくても、ひたすら同じ場所で待つ。
催促もしない。何時間でもずっと待つ。そしてぜったい怒らない。
アフリカで育った人と、日本で育った僕とは「時間」の感覚は全く違います。まずはゾマホンさんの価値観を知り、受けとめること。
信用は言葉ではなく行動で。
そうは決めたものの、いざやると大変でした。
忍耐、忍耐。。。。
会う回数が増え、少しずつではありますが、ゾマホンさんに僕の本気度とパートナーとしての信用を得る手ごたえを感じ始めました。
そんなある夜、ゾマホンさんと僕は小田急線の梅が丘駅近くを歩いていました。すると突然ゾマホンさんから
「私のことを信じてくださいますか?」と一言。
「はい、僕はゾマホンさんを信用します。」
固い握手を交わしました。ゾマホンさんの手がとても冷たかったのをいまでも覚えています。
ここから「たけし日本語学校」設立の道がスタートしました。(つづく)
体験をとおしての気付き
「やることを決めるより、それを誰とやるかを決めるのはもっと大事」
「信用は行動でしか得られない」
「人生、甘くない」
(つづく)
次回予告「なにもないっ!」