たけし日本語学校

西アフリカ ベナン共和国にゾマホンさんと「たけし日本語学校」をつくりました。 ふだんは東京にある企業で仕事をしながら、約20年間、ベナンの活動をしています。 よろしければ私のFBもご覧ください。https://www.facebook.com/masayuki.yamamichi

たけし日本語学校

西アフリカ ベナン共和国にゾマホンさんと「たけし日本語学校」をつくりました。 ふだんは東京にある企業で仕事をしながら、約20年間、ベナンの活動をしています。 よろしければ私のFBもご覧ください。https://www.facebook.com/masayuki.yamamichi

最近の記事

<調査報告>なぜベナン共和国で日本語が学ばれているのか     大石有香

本文は『言語と交流』第20号 2017.7に寄稿したものを執筆者の承諾を得て掲載しております。執筆者の大石有香氏にはこの場を借りてお礼申し上げます。 1.はじめに ベナン共和国(以下、ベナン)は、西アフリカのギニア湾沿いに位置する、人口 1,088万人(the world bank,2015)の国である。余談であるが、この数年で人口が 1 割以上増加している。これは、これまで戸籍整備がなされている地域とそうでない地域がある、それから遊牧民族は戸籍整備が難しい、などの状況があ

    • べナンへ行こうよ!さっちゃんへの手紙

      さっちゃんへ  僕がさっちゃんのお父さんと初めて会ったのは、お父さんが19歳の時でした。僕がベナンで活動を始めた頃で、ようやくホームページを開設したばかりでした。そこにお父さんから「ぜひお会いしたい」というメールが届いたのです。 僕たちはJR新宿駅南口の改札で待ち合わせしました。お父さんは背中に大きなリュックサックを背負い、胸ポケットにはメモ用紙とペンをさしていました。いかにも旅慣れている格好でした。 会ったその日にお父さんは僕にベナンに行きたい事、なぜベナンに行きたいか

      • 人生甘くないよ!たけし日本語学校奮闘記 第9話「初留学」

        2003年9月1日、西アフリカベナン共和国で「たけし日本語学校」を開校しました。開校から今日まで、いろいろな事がありました。育った環境も違えば、年の差も15歳離れているベナン人と日本人の2人が、「たけし日本語学校」という1つの夢に向かって進む珍道中を数回にわけて書き進めたいと思います。 ※この話はすべてノンフィクションです。 これまでのあらすじ2000年から始めたベナン共和国で日本語学校をつくるプロジェクトは、紆余曲折を経て、2003年、ようやく開校までにこぎつけました。喜

        • 人生甘くないよ!たけし日本語学校奮闘記~番外編~「長老たちのまなざし」

          ベナン共和国に初めて行ったのは2004年。それから17年の月日が経ちました。今回は日本語学校ではなく、小学校建設、運営で出会った村の長老たちのことを少し書きたいと思います。 学校がなぜあるのか知りたかった学生時代僕は大学時代、教職課程を専攻していました。 教職課程では大学4年生になると教育実習があり、僕は地元の高校で教育実習をすることになりました。 教育実習初日、僕はいまでも忘れられない経験をしました。 職員室に入ると、僕が担当する教科の教科書、資料集が準備されていました。

          人生甘くないよ!たけし日本語学校奮闘記 第8話「希望」

          2003年9月1日、西アフリカベナン共和国で「たけし日本語学校」を開校しました。ゾマホンさんとともに歩んだ道のりを実話をもとに当時の僕の心境も付け足しながら書いています。新型コロナの影響で日本語教育のみならず、不安な日々を過ごしている方も多いと思いますが、「人生、甘くないよ!」と口ずさんで、乗り越えていきましょう!! 前回の話2003年9月1日、日本人の日本語の先生をベナンに派遣し、とうとう「たけし日本語学校」は開校しました。しかし、派遣した日本語の先生は1ヵ月もたたないう

          人生甘くないよ!たけし日本語学校奮闘記 第8話「希望」

          人生甘くないよ!たけし日本語学校奮闘記 第7話 「ゾマホン絶体絶命!?」

          2003年9月1日、西アフリカベナン共和国で「たけし日本語学校」を開校しました。開校から今日まで、いろいろな事がありました。育った環境も違えば、年の差も15歳離れているベナン人と日本人の2人が、「たけし日本語学校」という1つの夢に向かって進む珍道中を数回にわけて書き進めたいと思います。※この話はすべてノンフィクションです。 前回2000年から日本語学校をつくるために、これまでいろいろ取り組んできました。前回はベナンと日本の格安航空券を探すお話を書かせていただきました。そして

          人生甘くないよ!たけし日本語学校奮闘記 第7話 「ゾマホン絶体絶命!?」

          人生甘くないよ!たけし日本語学校奮闘記 第6話 「ゾマホン走る」

          2003年9月1日、西アフリカベナン共和国で「たけし日本語学校」を開校しました。開校から今日まで、いろいろな事がありました。育った環境も違えば、年の差も15歳離れているベナン人と日本人の2人が、「たけし日本語学校」という1つの夢に向かって進む珍道中を数回にわけて書き進めたいと思います。※この話はすべてノンフィクションです。 前回西アフリカベナン共和国に「たけし日本語学校」の教室づくりがはじまりました。一方でゾマホンさんはベナンに行こうとしていた僕に、このまま日本にとどまって

          人生甘くないよ!たけし日本語学校奮闘記 第6話 「ゾマホン走る」

          人生甘くないよ!たけし日本語学校奮闘記 第5話 「約束」

          2003年9月1日、西アフリカベナン共和国で「たけし日本語学校」を開校しました。開校から今日まで、いろいろな事がありました。育った環境も違えば、年の差も15歳離れているベナン人と日本人の2人が、「たけし日本語学校」という1つの夢に向かって進む珍道中を数回にわけて書き進めたいと思います。※この話はすべてノンフィクションです。 前回ベナンに日本語学校を建設するお金を準備するため、助成金探しで飛び回る日々。外務省にいって、助成金の希望はあっけなく砕かれたものの、なんとか教室づくり

          人生甘くないよ!たけし日本語学校奮闘記 第5話 「約束」

          人生甘くないよ!たけし日本語学校奮闘記 第4話「誕生」

          2003年9月1日、西アフリカベナン共和国で「たけし日本語学校」を開校しました。開校から今日まで、いろいろな事がありました。育った環境も違えば、年の差も15歳離れているベナン人と日本人の2人が、「たけし日本語学校」という1つの夢に向かって進む珍道中を数回にわけて書き進めたいと思います。※この話はすべてノンフィクションです。 前回2002年7月6日にゾマホン講演会を主催し、100名近くの方が参加されました。「たけし日本語学校」設立にむけて大きな一歩を踏み出しました。いよいよ日

          人生甘くないよ!たけし日本語学校奮闘記 第4話「誕生」

          人生甘くないよ!たけし日本語学校奮闘記 第3話「無力」

          2003年9月1日、西アフリカベナン共和国で「たけし日本語学校」を開校しました。開校から今日まで、いろいろな事がありました。 育った環境も違えば、年の差も15歳離れているベナン人と日本人の2人が、「たけし日本語学校」という1つの夢に向かって進む珍道中を数回にわけて書き進めたいと思います。 ※この話はすべてノンフィクションです。 前回の内容「たけし日本語学校」をつくる前に、両国に大使館がないと、ビザの取得も難しいため、まずは日本にベナン共和国大使館を設立するために動き始めまし

          人生甘くないよ!たけし日本語学校奮闘記 第3話「無力」

          人生甘くないよ!たけし日本語学校奮闘記 第2話「始動」

          2003年9月1日、西アフリカベナン共和国で「たけし日本語学校」を開校しました。開校から今日まで、いろいろな事がありました。 育った環境も違えば、年の差も15歳離れているベナン人と日本人の2人が、「たけし日本語学校」という1つの夢に向かって進む珍道中を数回にわけて書き進めたいと思います。 ※この話はすべてノンフィクションです。 前回の話大学卒業後、日本語学校に就職した僕はゾマホンさんと再会します。 そしてゾマホンさんと一緒に日本語学校をつくることを決意します。 いよいよ日本

          人生甘くないよ!たけし日本語学校奮闘記 第2話「始動」

          人生甘くないよ!たけし日本語学校奮闘記 第1話「出会い」

          2003年9月1日、西アフリカベナン共和国で「たけし日本語学校」を開校しました。開校から今日まで、いろいろな事がありました。 育った環境も違えば、年齢も15歳離れているベナン人と日本人の2人が、「たけし日本語学校」という1つの夢に向かって進む珍道中を数回にわけて書き進めたいと思います。 ※この話はすべてノンフィクションです。 ゾマホンさんとの出会い2000年、僕は羽田空港から新宿駅までのリムジンバスに乗り込みました。 ほぼ満席です。そんな中、ポツンと1つだけ席が空いていまし

          人生甘くないよ!たけし日本語学校奮闘記 第1話「出会い」

          「たけし日本語学校」という名前

          ベナンには2つの「たけし」学校が存在します。西アフリカ、ベナン共和国には「たけし」という名のついた学校が2つあります。 1つは2000年にベナン農村部に建設した「たけし小学校」です。 この小学校はゾマホンさんが出版した本の印税で建設し、建設後はベナン共和国政府に寄贈しました。この小学校の在校生数はおよそ1,000人です。 また、この小学校の建設後、近くに保育園(託児所)もつくられました。 2つめは2003年にベナン首都部に建設した「たけし日本語学校」です。 この日本語学校は

          「たけし日本語学校」という名前

          はじめまして。たけし日本語学校です。

          はじめに はじめまして。 西アフリカベナン共和国のたけし日本語学校です。 どうぞよろしくお願いいたします。 私は2000年にベナン共和国出身のゾマホンさんと偶然、 バスの中で知り合い2003年9月にベナン共和国に「たけし日本語学校」を 設立しました。 ここでは、主にアフリカでの活動を中心に、これまでの試行錯誤したこと、 これからどうしていきたいか、などを書いていきたいと思います。 「私、いつか外国で学校をつくってみたい。」 「日本語教育に興味がある。」 「企業で働きながら

          はじめまして。たけし日本語学校です。