見出し画像

プレスコードって何ですか?

日本人らしさを奪った影の憲法

 先日先の大戦の激戦地のひとつとして知られる
   硫黄島
で、自衛隊主催の慰霊祭がとり行われた。
    ところがこの際SNSで
   先の大東亜戦争で最大の激戦地云々~
という表現を使って発信したところ、その
   大東亜
というところだけを切り取られ
   侵略戦争を連想させる
と叩かれたそうだ。
 自衛隊はあわててこれを太平洋と訂正したが、メディアはあたかも鬼の首をとったかのように勇んでこれを報道した。
 さも自衛隊はまた戦争をする気なのではないかと言わんばかりに・・・

 日本には報道の自由があるので、そのような取り上げられ方をしても仕方ないが、残念だったのは自衛隊がまるで自らの過ちを認めるかのようにすぐに
   太平洋戦争
と訂正したことだ。

 もはや戦後80年近くも経てば、自衛隊ですら先の大戦の意味や、なぜ大東亜戦争と呼ばれていたか知る由もなくなったのかもしれないと思うと残念でならない。
 もう現在の自衛隊は、過去のことなど忘れてアメリカと手を組み、台頭してきた中国と対峙することしか頭にないのだろうか。
 それはそれで大切なことかもしれないが、せめて今の平和を築くために、先人たちがどれだけ血を流してきたかだけは忘れないでもらいたい。

 しかしなぜ日本はこれほどまでに過去を振り返ることに臆病な国となったのだろうか。
 私は、その根源は
   プレス・コード
にあると思っている。
   プレス・コード?
   それって何?
そう思う方が多いだろう。

 プレス・コードとは、先の大戦後に日本を統治することとなった占領軍総司令部、いわゆるGHQが日本の新聞に対して発令した規制のことである。
 「プレス」はメディア関係者のことを意味し、「コード」は
   こういうことをしないように
ということを例示を設けて定めた規則のようなものである。
 つまりプレス・コードとは、アメリカが日本の新聞業界等あらゆるメディアにかけた検閲制度により、占領政策への批判を取り締まることを目的としたものであった。
 この規則によって日本は独立する1952年まで、言論の自由が奪われていたことになる。
 これにより、全国紙を出していた朝日、毎日、読売、日経、東京新聞などはもとより、地方紙や学術論文、文学作品、ラジオ放送、手紙、電話などほぼ全ての媒体に対して検閲が行われた。
 ではその具体的な内容はどういったものであったか。
 主なものでも30項目もあったらしいが、要約すると
 ・GHQに対する批判の禁止
 ・極東国際軍事裁判に対する批判の禁止
 ・GHQが起草した日本国憲法に
        対する批判の禁止
 ・連合国に対する批判の禁止
 ・中国、朝鮮に対する批判の禁止
 ・戦争擁護や神国日本を喧伝する
        ことの禁止
 ・大東亜共栄圏を喧伝することの禁止
 ・原爆に対する批判の禁止
 ・欧米諸国の植民地支配批判の禁止
 ・欧米人による有色人種差別の歴史に
        関する批判の禁止
などである。

 なぜここまでしなければならなかったのか。
 実は今では考えられないかもしれないが、戦後このプレス・コードが発効されるまでは、まだ日本の新聞もまともだった。
 戦後占領してきたアメリカをはじめとした欧米諸国に臆することなく、自国の非を認めつつも、それまでの欧米諸国の過酷な植民地支配や原爆投下といった戦争犯罪にまで言及してその非を諫めたが、これに業を煮やしたGHQが、勝者の驕りをもって、自国でさえしていない検閲制度により日本の思想統制を図ろうとしたのだ。
 メディアも戦後の一時期は
            ペンは剣よりも強し
という気概を持っていたと言える。

 しかし最終的には彼らもGHQの意向には従わざるをえなくなった。
 なぜならGHQは、プレスコードに従わない会社はその発刊物の発売禁止という強い姿勢で臨んだからだ。
 メディアも企業であり、売り上げの道を閉ざされるとなれば倒産の危機に直面して社員を露頭に迷わせることとなる。
 背に腹は変えられなかった。
 こうして日本のメディアはGHQの言いなりとなって、気骨を奪われた単なる営利企業と化してしまった。
 確かに占領下という特殊な時代で、GHQが政権より上に座していた実情を思えば、生きていくためには致し方ない時代だったのかもしれない。
 しかしそのプレスコードの呪縛も日本の独立と同時になくなったはずだった。
 ところが、ところがである。
 なぜか独立したあとも、このプレス・コードだけはメディアの中でしぶとく生き残っているようなのだ。
 先に挙げたプレスコードの項目と、現在の日本メディアの報道姿勢を見て何か感じるところはないだろうか。
日本の主要メディアが金科玉条としている
 ・改憲勢力に対する批判
 ・中韓に対する配慮
 ・「大東亜」という表現に対する偏見
 ・神国日本という考えに対する偏見
など、プレスコードを未だに引きずっていると言えないだろうか。
 そして自国がアジア諸国を植民地支配したことについては、その謝罪と補償を声高に主張するが、欧米の植民地支配については一言も発しない。

 これで真の独立国のメディアと言えるだろうか。
 おまけに安全保障分野では、アメリカに大金を払って負担してもらい、日本の津々浦々にまで米軍基地の配置を許しておきながら、自衛隊の国軍化など主張すれば、それこそ袋叩きにされるという矛盾にすら気づいていない。
 
 これでは日本は未だにプレスコードという
   影の憲法
に縛られ、単に経済的自由のみ保障されたアメリカの属国とみられても仕方ないだろう。
 メディアの影響力は大きい。
 このような姿勢の報道に日々接するたびに、日本人にはそれが戦後日本の姿として静かに浸透し、現在に至っている。
 これで日本人の気骨が完全に奪われてしまった。
 インフラの修復や経済再生など物的なことは時間とともに回復するが、日本人のアイディンティなど精神的なものがひとたび破壊されれば、その回復はそう簡単にはいかないことが証明された。
 戦争に負けるということの本当の恐ろしさは、ここにあるのかもしれない。

 今回の
   大東亜
というフレーズひとつでメディアが大騒ぎする原因の根源がここにある。

 そしてこのプレスコードの縛りは、何もメディア業界だけでなく、日本の学界や宗教界、教育界に今でも影を落としている。
 日本の憲法学者に至っては、日本国憲法ののことを
   硬性憲法
と定義して、その改正にブレーキをかけた。
 硬性憲法とは、その改正が困難な憲法のことである。
 確かに日本国憲法では、憲法の改正には
   各議院の総議員の3分の2以上
   の賛成で国会がこれを発議し、
   国民投票で過半数の賛成を必要
   とする(憲法第96条)
と定めてあり、その改正は困難であることが容易に想像がつく。
 しかしもともとこの憲法を定めたのはGHQであり、彼らが日本人に簡単に変えさせないようにしたかったという思惑も窺がわれるが、憲法学者はそのことには言及せずに、わざわざ硬性憲法などと定義して
   憲法を変えることは悪いことだ
と思いこむイメージ造りに加担している。

 またGHQは、先の大戦で特攻攻撃までしてきた日本人の精神性に手を焼き、戦後はその精神的支柱と考えた神道を国民から遠ざけることに腐心して教育界にまで口をはさみ、日本の将来を担う子供たちから愛国心を奪うために神話教育まで禁止した。
 靖国神社に政治家が参拝しただけでメディアが大騒ぎしたり、日本の教育界がいまだに神話教育を行っていないことなどの真の背景もこのプレス・コードに行き着く。
 しかしほとんどの人が、その本当の原因がプレス・コードにあることに思いが至らない。

 さらに深刻な問題は、これらの問題を指摘すれば、まるで判を押したかのように
   右がかった考えだ
とか
   先の大戦に対する反省が足りない
などという批判にさらされることである。
 プレスコードの呪縛からの脱却という問題が、右左という問題にすり替えられる。

 ただここに日本古来の「穢れ」の精神が介在するからやっかいだ。
    メディアは
   血を流すことに対する嫌悪の情
を抱く日本人の精神性を悪用し、軍隊は悪いところというイメージ操作に利用しているからだ。
 まあそれを利用するメディアもある意味「穢れ」の思想から抜けきらない日本人とも言えないことはないが、歴史的に見れば、貴族社会にはびこった穢れの思想からくる武士に対する偏見による治安の乱れを救ったのは武士そのものであった。
 そして元寇という未曾有の国難に対して成す術を知らず右往左往するしかなかった朝廷を後目に、決然と立ち上がって日本を救ったのも武士であった。
 さらにその後戦国時代という長い混乱の時期を経て、長期政権により日本に安定した社会をもたらしたのも、徳川幕府という武家政権だった。
 明治に入り、当時の超大国である清やロシアとの戦いに勝利してその国難を救い、その後日本を国際連盟常任理事国の地位まで押し上げたのも、日本の軍事的強さが背景にあった。
 このように過去のどの時代にあっても、最終的に日本に平和と繁栄をもたらしてきたのは、この国の
   防人
たちであった。
 それが先の大戦で一度アメリカに負けただけで、一時的にではあるが国内に欧米の統治を許す結果となり、国民は欧米の資本主義、民主主義的価値観一色に塗りかえられて過去の歴史と決別した。
 その後日本は独立を果たしたとは言え、アメリカが残した「置き土産」とも言えるプレス・コードはとてつもなく大きかった。
 
 先日私が住んでいる地域の地方紙に、沖縄戦でその負け戦の責任をとって自決された
   牛島中将の辞世の句
が、那覇市に駐屯する陸上自衛隊第15団のホームページに掲載されたことで
   沖縄の歴史と県民感情への
   理解の浅さを疑う
と批判する社説が掲載されていた。
 この牛島中将の句は
   秋待たで 枯れ行く島の浅草は
   皇国の春に 甦らなむ
というものであるが、これを評価することは
   ・民間人多数を巻き込んだ
    日本軍の象徴的な存在を
    認めることだ
   ・死んでも皇国に甦るとは
    皇国史観そのものだ
と読者に説き、さらに今年1月に自衛隊幹部が靖国神社に集団参拝したことにまで及んで、その行為を
   先祖返り
とまで批判した。
 参拝した人にも思想・良心の自由や信教の自由があることなどは無視である。
 確かに沖縄戦で犠牲となった多数の民間人には哀悼の意を尽くすしかないが、ここでもこの社説を書いた方には、プレス・コードが根強く残っていると思わざるを得ない。
 
 おまけに、この悲惨な戦争の原因となった米軍の過剰な艦砲射撃等には一切触れていない。
 米軍は上陸に先立って4万5000発の艦砲射撃を行ったほか、ロケット弾や迫撃砲弾など5万発を「鉄の雨」と称されたほど、狭いかの地に撃ち込んでおり、これが民間人の犠牲を増やしたことは明白である。

 歴史を知れば、プレス・コードにある
   連合国に対する批判の禁止
   大東亜歴史観の禁止
などが背景にあると気づく記事だが、おそらくその記者はそのことに気づいていないだろう。
 そして、戦後長く培われた考えこそが正義と思ってペンを走らせたのだと思う。
 いろいろ批判することはメディアの仕事であり、思想良心の自由が保障されている日本では致し方ないかもしれないが、このような記事を見てほくそ笑むのは、アメリカであり中国だ。
 沖縄に駐留する米軍に対するさや当てにはなっておらず、現在その沖縄に駐屯して中国の脅威から日本を守っている自衛隊に対するイメージダウンを図って喜ぶのは中国だけだ。

 願わくば、沖縄の地が再びアメリカや中国という大国の利権の凌ぎ合いの場にならないことを祈るばかりだ。
 そして多くの日本人が一刻も早くプレス・コードの呪縛に気づいて
   普通の日本
を取り戻して欲しい。
 
 

いいなと思ったら応援しよう!